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83 神父

1日遅れてしまいました。

すみません。

 コスメ・デ・トーレス(トルレスとも言う)は、ザビエルとともに日本にキリスト教を広めた先駆者である。

 長崎の平戸に居を構え、日本におけるイエズス会の活動の責任者となっていた。

 いつもは北九州近辺で活動しているトーレス神父がなぜ堺にいるのか。

 そう言えば、玉ちゃんが洗礼してもらったガスパル・ヴィレラ神父は京都にいるはずだが、ひょっとしてそっちと関係があったりするのか?

 ま、会ってみないことには分からないわな。

 色々と聞きたいことはあるのだが、確かトーレス神父はスペイン人だったはずだ。

 スペイン語は全く分からないんだが、エドが少し話せたか?

 でも、ザビエルとともに日本に入ってるんだから、10年以上居ることになるのだし、日本語ペラペラなんじゃね?

 などと、面会に向けて俺は無駄に期待を高めていた。

 エドにも一緒に来てもらって、礼拝させてもらえば良いと思うのだが、ついでにヨーロッパ人同士の誼で向こうの状況などを聞き出してもらえれば一石二鳥と言うものだ。


 今井さんに連れられ、我ら大谷家一行は堺の町をお上りさんよろしくキョロキョロと歩く。

 途中、少し大きめの屋敷の前で今井さんは止まり「ここがわしの屋敷です」と言って手で示した。

 なるほど、さすがは豪商と呼ばれるだけの、屋敷……と言うほどでも無いな。

 確かに大きくて広いが、べつだん豪華と言うほどのことは無い。

 一瞬中に入るのかと思ったが、今井さんはそのまま通り過ぎ、二区画ほど先の普通の民家の前で止まった。

 ここも今井さんの家とだいたい同じくらいの、ちょっと大きめの屋敷である。

 って言うか、この辺の家はどれもだいたい同じような作りで、今で言う分譲住宅のような感じである。


 「こちらが日比屋了五さんのお宅です」

 「はあ、日比屋さん…ですか」


 今井さんは「少々お待ちを」と言うと、「ごめんくださいな」と言ってその家に入っていった。

 誰だ日比屋了五って。


 ※1567年にガスパル・ヴィレラにより受礼した、キリシタン茶人で豪商の日比屋了珪のことと思われます。

  堺における、キリスト教布教の中心人物と言えるでしょう。


 ほほう。

 ちょっと中を覗き見ると、確かに庭に小さな教会らしき建物がある。

 扉に十字架のマークが付いてるから間違いないな。


 暫くすると、今井さんと日比屋さんと思しき人物と、もう1人、見間違いようも無い外国人宣教師が連れ立ってこちらにやって来た。


 「お待たせいたしました、こちらがこのお宅のご主人日比屋了五さんです」

 「日比屋です。以後お見知りおきを」

 「尾張の織田様のご家中、大谷吉子様です」

 「どうも大谷です」

 「こちら、イスパニヤからいらした宣教師、コスメ・デ・トーレスさんです」

 「トレスです。よろしうおたのもうします」

 「これは、ご丁寧に」

 「かみのおしえにきょみがあるとうかがいました」

 「あ……そう、ですね。少し」


 俺が、かなり引き気味に返事をしたのを見て、トーレス神父はにこやかに笑っておれの手を握りながら言った。


 「だいじょぶです。さいしょはこわいとかんじるかもしれませんが、さいごにはきっとこころがゆたかになってることでしょう」

 「そ、そうだと良いですね」

 「ま、こんな所で立ち話もなんでございましょ、ささ、どうぞお上がりください」

 「あ、すみません。それじゃ失礼して、お邪魔させていただきます」

 「さあ、お連れの皆さんも、どうぞどうぞ」


 通されたのは、またしても茶室であった。

 ただ、ここの茶室はだいぶ広い。

 20人ぐらいは楽に入れそうである。

 ここでは今井さんが点てたような濃茶ではなく、薄茶を煎れてくれた。

 とは言え、作法としては同じようなもので、やはり順番に飲んでいくのだが、器は各々に用意されている以外は、器を回すのも飲み終わったら亭主に返すのも作法は同じである。

 ただ、今回は作法など良く分からないエドだとか、5人の用心棒らもいる。彼らは作法など無視して適当にグビグビと飲んでいた、誰も咎め立てもせず嫌そうな顔もしていない。

 え?これって俺の教育が至らなかったって事ですかね?


 ※まあ、そういうことにはなるのでしょうが、皆さんを招き入れた段階で、こうなることは承知の上だったのではないでしょうか。

  逆にここで全員が作法を身に付けていたなら、「さすがは大谷さん」と周りの評価は上がったでしょうけど。


 なるほど〜。

 まあ、そのうち城内で教養講座でも開くとするか。

 感心したのは、トーレス神父もそれなりに作法に則ってお茶を飲んでいたことだ。

 なるほど、郷に入っては郷に従えで、まずは日本人の生活を知ることから始まるのだな、と。

 努力してるんですね皆さん。

 さらに感心したのは、エドが英語で話しかけても、だいぶ片言ではあったがいちおう英語も話せたことだ。

 さすがに英語で経典を聞かせることは出来ないようだが、ラテン語でミサを行うことは出来るので、お望みなら行いましょうと言うことになって、エドもミサに参加することになった。


 正直、俺としてはキリスト教などに興味はない。

 興味があるのは、彼の人脈とヨーロッパの知識、情報である。

 そして、何よりも欲しいのはヨーロッパ人の船大工である。

エドも船乗りだけあって、船のことには詳しいし簡単な修理なら出来るだろう。

 だが、彼にガレオン船を作れるかと問えば「ノー」と答えるだろう。

 エドに教わって知ったことだが、日本の船とヨーロッパの船の違いは、基本構造がまず違うのだ。

 日本の船は、外板を接ぎ合わせて船体を作る、言わばモノコック構造であるのに対し、ヨーロッパや中国の船は船体の中心に竜骨と呼ばれる骨組みがあり、それに外板を貼り付けて船体を作っている、フレームシャシー型である。

 日本の船は軽くて丈夫な構造ではあるが、衝撃に弱く、船体をぶつけ合うような戦い方は出来ない。

 また、ヨーロッパの戦闘艦の多くが、外板が二重構造になっているのに対し、日本の船は基本的に一枚であり、座礁などで穴があいた時、浸水しやすい。

 なので大砲の弾などが吃水線付近に当たれば、一撃で沈んでしまうという致命的な欠陥があったのだ。

 外洋に出て商売をするにせよ、戦うにせよ、今のままでは外国船には太刀打ち出来ないのだ。

 海外に打って出るには、色んな意味で外国船と戦い、勝てないまでも"負けない"船でなければならない。

 そのためには、ヨーロッパの造船技術を持った船大工が、是非とも必要なのだ。

 ただ、宣教師達も、おそらくその辺の船の構造の違いは理解しており、これが戦略上重要な要素であることは気づいているだろう。

 だから、そうおいそれと技術を移転してはくれまい。

 キリスト教の布教を求める代わりに、その辺の技術を取引の材料としてくるに違いない。

 だが、俺はあえてそれを求めてみようと思う。

 俺には未来の知識がある。

 だから単に知識だけなら、それ程欲しいわけじゃない。

 欲しいのは、今どこの国が東アジアを狙っているとか、その国の軍事力などの戦略情報などで、イギリスとスペインの軍事バランスなどの話は、羊羹を一年分差し上げてでも欲しい情報である。

 問題はそれを果たして明かしてもらえるだろうか、という点だ。

 こちらの手札としては、尾張での布教活動の許可と、拠点の提供を信長さんに進言することぐらいしか出来ないのだが。

 ただまあ、信長さんと俺は考え方が近いので、布教は許すが入信はしないし、代わりにヨーロッパの土産を置いていけといったスタンスを取るだろう。

 そしてウチには既に洗礼を受けた、玉ちゃんが居るので、教会を作ることについても、問題は無い。

 そういった0からやらなくても良い、という強みはあるので、会うくらいなら可能なんじゃないかと思うのだが、どうだろうな。

 まだ、一尾張の国主程度では難しいだろうか。

 美濃を取っていれば、話は違うだろうけどな。


 などという思惑を、有り難いミサの間廻らせていたので、ミサで何が語られたかは全く聞いていなかった。

 分かったのは、トーレス神父が「ちちとことせいれいのみなにおいて、アーメン」と言ったことだけだった。

 別に洗礼を受けに来たわけじゃないので、構わないだろうと思っていたのだが、トーレス神父がこちらまでやって来て言った。


 「あなたのめは、ちょっとおちつきないですね。はなしをきいていましたか?」


 ゲゲッ!バレてるしっ!

 俺の動揺した色を見て、神父は満足したように笑いながら、「さいしょはだれでもそうです」と言って、ちょっと驚くような質問をしてきた。


 「あなたは、ほとけのおしえについて、どうおもっていますか?」

 「え?仏ですか?」

 「はい、ぶっきょうというものですね、どのようにかんがえてますか?」


 まさかキリスト教の神父からそんな質問が来るとは思ってもみなかったが、考えてみれば商売敵のようなものである。

 確かに熱心な仏教徒にキリスト教の話をしても、なかなか聞き入れてもらえないと言うことはあるだろう。

 そのへんを確かめに来たと言うところだろうか。


 「仏教も余り信じてません」

 「ほほう、それはきょうみぶかいですね」

 「っていうか、どの宗教も、余り信じたくありません」


 そう正直に答えたところ、今度は怪訝な顔をして暫く考え込んでいた。

 あれ?なんかマズいこと言ったかな?


 ※科学が現代ほど発達していない時代ですから、宗教が自分の存在を確かめる唯一の手段だったのではないでしょうか。

  自分が何者で、どこから来てどこへ行くのか。

  もちろん今でも重要な哲学的なテーマですが、科学的な考え方をする人は、自分を生物の一種と考え、生物としての一生を全うすれば死ぬということを甘んじて受け容れていますね。

  ですが、少し前までは、人とは神に見出された特別な存在であり、人に課せられた使命は他の動物より高邁なものであると考えていました。

  特にキリスト教では、そういう考え方が強く見受けられます。

  なので、どんな神の教えにも興味が無いという大谷さんの考えが、理解出来ないのだと思いますよ。


 そういうもんですかぁ。

 いっそ大谷教でも始めようかな。

 そんな感じなので、「信じているのは自分だけです」と言ったところ、神父様にガシッと腕を摑まれ、「あなたにはいますぐ、すくいがひつようです」と言ってマンツーマン指導を受ける事になってしまった。

 オーマイガッ!!


ここまでお読みくださりありがとうございます。

宗教家と思想論争をしてはいけないという“教え”ですね。

次回は京都に?

いや、まだ分からない……

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