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78 そうだ堺に行こう

すみません。

大変遅くなりました。

仕事が押して、丸1日投稿が遅れてしまいました。

お待ちいただいた方には、大変申し訳ありませんでした。


※2018/01/31関船の全長を修正しました。

 3月に入り早10日。

 俺は新しいお菓子の開発に(と言うほど大袈裟では無いが)頭を悩ませていた。

 今井宗久さんから、茶会へのお誘いの手紙を頂いたのだ。

 その際に、生ものでは無いお菓子をお持ち頂けないかと書いてあったので、羊羹の他にも土産物になりそうなお菓子を考えなくてはならなくなったのだ。

 つまり、抹茶に合うお茶菓子を持って来いというわけだが、今のように砂糖や小麦粉、乳製品などが簡単には手に入らない時代だ。

 結局あられや五色豆のような、乾き物的な物にならざるを得ない。

 だが、お公家さん方は柔らかい物が好きである。

 となると、どうしても水分を含んだものとなり、生ものかそれに近いものになってしまう。

 そういう意味では羊羹は画期的と言っていい製品だ。

 栗などの余計な物が入って無いプレーンの羊羹なら、常温でも1ヶ月以上保存可能なのだ。

 しかも柔らかい。

 何かこんな感じの物って、他に無かったかな?

 餅とかだと、そんな感じの物はあるが、当然日持ちがしない。

 甘味対決の時食べた能登の豆飴はちょっと近い感じがしないでもない。

 豆か。

 そういえば甘納豆っていつ出来たんだ?


 ※江戸末期に日本橋の榮太樓で作られたのが最初と言われていますね。


 幕末かぁ。

 あれ?脳内レシピによれば、そんなに難しく無さそう。

 小豆とかを砂糖で煮込んだ後、乾燥させるだけみたいだけど。

 こんだけのことなのに、幕末までかかるのか?


 ※あく取りとか煮込み具合とか、色々と形良く作るにはノウハウが要るみたいですよ。


 ふうん。

 まあ良い。

 ちょっと作ってみるか。


 市場で、ちょっと大きめの小豆を買ってきて、餡子を作る要領で水にさらした後ぐつぐつと煮込む。

 5分ほど煮立てたら、お湯を捨て、また水を入れて煮込む。

 沸騰したら少し火を弱め、15分ほど煮込んで、あくが出たらまた、お湯を捨てる。

 この辺までは餡子の作り方と同じだ。

 再び水を入れ、もう一度沸騰させたら、今度は弱火で50分ぐらい茹でるのだが、餡子の時と違い、豆の形を残すため、ぐつぐつ煮立てないよう静かに茹でる。

 豆が柔らかくなったら火を止め、蓋をしてしばらく蒸らす。

 その間に別の鍋に水で砂糖を溶いて煮しめない程度に煮沸して蜜を作る。

 30分ほど豆を蒸らしたら、お湯を切り、今作った蜜に漬け込み、一晩おいておく。


 翌日、浸けておいた鍋をそのまま火に掛け、沸騰させる。

 煮立ったら火を止め、蜜と豆を分け、蜜を鍋に戻して、そこに再び砂糖と水飴を加え火に掛け、煮立てないようにしながらよく混ぜる。

 混ざったら火を止め、再び豆を入れもう一度一晩浸けておく。

 これで豆の芯まで、甘味が浸透するのだろう。

 今日はもうこれですることが無いので、持ち込み用の羊羹を作り始めるとしよう。


 翌朝、もう一度火に掛け煮立て、20分ほど弱火で煮込んだら火を止め、豆をざるにあけ、汁気を切り平らな皿などに拡げ冷ましながら乾燥させる。

 豆が完全に冷めたら出来上がりである。

 2回、蜜漬けにするのがかなり面倒くさいが、フワフワとかなり柔らかい甘納豆に仕上がった。

ぱっと見には完璧な甘納豆である。

 この時代は残念ながらグラニュー糖が無いので、粉砂糖でとりあえず、見た目をそれらしくしたが、別に無くても問題無い感じだ。

 食べてみると俺の知っている甘納豆よりは、甘さが足らない感じだが、これはこれで上品な甘さで良いんじゃないだろうか。

 ただ、ちょっと柔らかくなりすぎたようで、一部煮崩れてしまうモノが出てしまったから、もう少し火を弱くした方が良いのかもしれない。

 用水路の工事で、毎日土木作業に明け暮れている玉ちゃんを労う名目で、お試しで食べてもらったら、「吉子様!一生付いていきます、これがあればお嫁になんか行かなくても良い!」などと、世迷いごとを言っていたので、まあまあ成功と言えるだろう。

 と言うことで、今度は美紀さんと厨房の係を交え、もう一度甘納豆を作って見せた。

 煮込み方に注意し、最適な火力と茹で時間で茹でたおかげで、前回より身がしっかりした感じで仕上がった。

 柔らかすぎるより、この方がお菓子としては食べやすいだろう。


 3月15日。

 俺は甘納豆を約1kgと羊羹20本を持って、ようやく堺へと向けて出発した。

 堺へ行くには陸路で京都を経由して行くのが普通だし、その方が時間も速いのだが、今回は海路から行くことにした。

 それと言うのも、京都では未だに三好と六角による戦いが続いており、治安が最悪の状態なのだ。

 今井さんからの手紙にも、船賃はこちらで出すと書いてあったので、要らぬトラブルに巻き込まれないためと、エドに日本の船舶事情を見てもらうという目的もあるので、エドと新九郎、更に新九郎が新たに雇い入れた親衛隊とも言うべき侍5人を連れて、津島港へと向かった。

 そういえば、この世界に来て初めて船という物に乗る気がする。

 渡し船などには何度も乗っているが、海に出る本格的な船は初めてである。

 元々、「戦国の野望」自体が、あまり海上交通のことを考えてなかったのだが、「天道」辺りからだったか、海戦をやるようになって、航路という物が現れたのだ。

 そもそもこの国は海に囲まれた島国なのだから、海上交通も昔から盛んだったはずで、港を押さえることがいかに重要なことか、もっと取り上げられても良かったと思うのだ。

 特に、堺や長崎など、海外と取引出来る港は、実は一国を手に入れるよりはるかに重要な事なのだ。

 エドは堺に居たので、日本の船についてはよく知っているようで、色々と西洋の船との違いを説明してくれたが、実は彼自身は和船に実際に乗ったことは無かったらしい。

 今回初めての船旅でいきなり外洋に出るとは、しかも紀伊半島をぐるっと回って大阪湾に至るという黒潮に逆らっての航行なので、なかなか時間が掛かりそうな道程なのだが、その辺もどういう訳か楽しみにしているようだ。

 ま、急がば回れと言うしな。


 津島の港に着くと、今井さんが雇ったという船が既にスタンバイして待っていた。

 さすが手回しが良いな。

 船は20人ぐらいが乗れるボートのような物で、小早と呼ばれる船らしい。

 俺は船のことはからっきしなので、ふうん、とか言っていることしか出来ない。

 しかし、こんな船で大阪まで行くのか?

 渡し船と大して変わらないじゃないか。

 と、思ったら、これで沖で待っている大型の船の所まで行って、そこで乗り換えるのだそうだ。

 船に関しては完全に素人の俺でも、そりゃそうだよなと、思った。

 ちょっと一安心である。

 もはや現代人の知識は、ここでは全く役には立たない。

 内燃機関でもあれば別だが、そんなの何年待つことになるのやら…。


 ※ワットの蒸気機関までおよそ200年ですね。


 無理。最低でも5代かかるわ。

 まあ、そんなことを言っていてもしょうが無いので、身分証明としての通行手形を見せて、我々は小早に乗り込んだ。


 津島港から出て1時間ほど経っただろうか。

 前方にだいぶ大きな船が見えてきた。

 長さは30〜40mぐらいあるだろうか。

 今井さんが手配したというから、てっきり商船だと思ったのだが、良く見ると船側に艪がいっぱい付いてるし、船の周囲には防弾板と思しき板が張り巡らしてある。

 船の真ん中辺に櫓のような物もあるし、ありゃ完全に軍艦だな。

 エドに聞くと、関船という戦闘艦の中でも中くらいの大きさの船らしい。

 バイキングのロングシップとコグとの中間ぐらいの船だ、とか言っているが、何のことやらちんぷんかんぷんである。

 あ、でもコグってのは聞いたことあるな。

 ゲームの「大発見時代」で、オランダとかで始めると最初にもらえる船じゃなかったか?

 いずれにしても外洋航海向きじゃないのは確かだな。

 小早が舷側について漕ぎ手の1人が、関船の船腹をバンバンと叩いた。

 すると、上から「お〜う」と声がして、縄ばしごが下ろされた。

 これで、登れと言うことらしい。

 船員の言葉は完全に大阪弁(それもかなり荒っぽい)なので、あちらの方で雇われた者たちなのだろう。

 商船じゃないので、我々以外に客など居ないだろうと思っていたら、どうやら先に乗り込んで待っている人が居たようだ。

 あれ?もしかして、俺待ちだった?

 僧侶2人と何処かのお武家の奥方と思しきお方が、お付きの人と一緒に船室から出てきた。

 客はその二組で全てだったが、ここは素直にお待たせしたことについて詫びを入れておいた。

 荷物が全て運び込まれた所で、船長と思しき恰幅の良い大男が現れて名乗った。


 「わしゃぁ眞鍋七五三兵衛(まなべしめのひょうえ)ちゅうもんでの、泉州淡輪で船衆をたばねとる」


 おお、眞鍋七五三兵衛かぁ。

 たしか「村上水軍の娘」だったか?

 あれに出てきたね。

 わざわざ一番偉い人が、こんな所まで来ていただくとは。


 「泉州のもんが、こない遠くまで何をしよるか、と思うとるやろが、堺の町衆からようさんはろうてもろたで、わしが直々に仕切らせてもらいます」


 すると、僧侶の1人から質問が飛んだ。


 「熊野の者には、きちんと話が通っておるのだろうな、私がここに居ることが知れては拙いのだ」

 「そやから、わしがこうして直々に来とるんやろ。黙って座っとったらええ」


 そう言って七五三兵衛が僧侶を一睨みすると、それきり皆黙ってしまった。

 顔が恐い。

 要するに我々は泉州海賊の船に乗せられた訳だ。

 この時代、水軍はそれぞれの地域、と言うか水域で縄張りが決まっていた。

 伊勢湾なら志摩水軍、九鬼水軍、伊勢湾から紀伊半島にかけては熊野水軍、紀伊半島から淡路島にかけては淡路水軍という感じである。

 その支配下の水域を、他所の船が通る時はそれなりに仁義を通さねばならないらしい。

 今回は堺の商人達が大枚を叩いてくれたので、七五三兵衛が自ら話を通し、通行の安全を保証すると言うことなのだろう。

 その七五三兵衛が俺の方にやってきて、ジロジロと舐め回すように見て言った。


 「あんたが大谷はんか?」

 「はい、道中宜しくお願いします」

 「おぉ、何もせんと座っとったらええ。何も心配要らん」

 「それはどうも」


 そう言うと、七五三兵衛は我々の前から去って行った。

 あ〜何だか知らないけど緊張した。

 何でだろう……。


 我々から少し離れた所で七五三兵衛は船員に向かって「船出せぇ!」と胴間声を上げた。

 10mは離れているはずなのに、すぐ耳元で発せられたように聞こえた。

 それほど大きな声と言うことなのだろう。

 先ほどの緊張感とは、恐らく恐怖心に違いない。

 生物単体として、自分より圧倒的に強いと感じとってしまった、本能的な物なのだろう。

 俺がそんな感じで戦々恐々としている中、エドはと言えば船員達の縄の捌き方とか、艪の漕ぎ方などをかなり近くまで寄ってしげしげと眺めている。

 大丈夫かな。

 邪魔になって無けりゃ良いが。


 船はゆっくりと動き出し、2時間ほどしてようやく伊勢湾を抜け出した。

 外洋に出たことで、空気がガラッと変わった。

 単に風向きが変わったと言うことなのかも知れないが、目の前が急に開け唯々水面だけが続く景色に変わったことで、何となく緊張感が高まった感じがした。


 湾を出て少しした所で、再び七五三兵衛の胴間声が響いた。


 「南風じゃ、帆上げぇ!」


 その声に「応っ」と答える声が響く。

 確かに風が強いな。

 3月で南風か。

 春一番かな?

 そんなことを考えていると、七五三兵衛がこちらにやってきて話しかけてきた。


 「あの男は何じゃ?あんたの連れじゃろ」

 「え?」


 そう言われ、指さす先を見るとエドが船員達と一緒になって、帆を張る作業を手伝っている。

 ちょっとちょっと!何やってんの!?


ここまでお読みくださりありがとうございます。


京都ではなく、大阪でした。

次回で、堺に着くと良いな…。

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