16 戦略と信条
八戸氏は、室町中期、三戸南部家当主、南部政経が改姓し八戸を名乗ってからはじまった。
現在の当主は、南部時代から数えて18代目に当たる八戸政栄だ。
南部家当主の南部晴政が、戦の怪我が原因で、現在政務から遠ざかっている。
この穴を埋めるべく八戸政栄は、相当尽力したと言われているが、南部家の宗家に戻ることは拒んだと伝えられている。
その、宗家への帰還を強く押したのが、俺にも会いに来た北信愛だった。
つまり、今は北信愛が実質南部家を支えていると言って良い。
八戸政栄が、どれほどの実力者かはまだ分からないが、南部家内で、相当な実権を握っていることは間違いない。
そして、俺は八戸にある石灰石鉱山が欲しい。
それは八戸氏の根拠地である八戸根城のそばにある。
八戸氏からすれば、自宅の裏山みたいなものなので、そう易々と余所者を招き入れるわけには行かないだろう。
そして俺の立場は現在、安東家の客将的な立場だ。
正直接点は無いと言って良いのだが、利害が一致すれば味方となる可能性はある。
それは、安東家の北海道に対する権益を絶ちたいという点だろう。
蠣崎季宏はアイヌの産物の上前をピンハネした上、アイヌには逆に増産を求めていた。
これは、明らかに戦費を稼ぐためだろう。
南部家は、この安東家の収入源をどうにかして絶ちたいと考えている事は間違いない。
そのために北信愛が身分を偽ってわざわざやって来たのだ。
だから、話の持って行きようによっては、八戸政栄も乗ってくる可能性はある。
南部家もお家騒動になって、大浦為信と安東愛季を両方相手にするのは非常に困難な事態だ。
安東家だけでも弱まってくれれば、大浦為信と対峙するだけで済むので、戦略が立てやすくなるだろう。
しかし、安東家を裏切ったという評判は、俺の信用を大きく傷つけることになるだろう。
少なくとも安東家から信用されることは無くなるし、簡単に恩義ある相手を裏切ると思われれば、いろいろな面でマイナスである。
俺は、そろそろ帰り支度をしようとしていた今井さんに、この話をしてみた。
だが、今井さんは意外にも、「やったらええんちゃいますの?」と、何が問題なのか分からないと言う顔をする。
確かに、純粋に商人としてなら、誰と話をしようが問題とはならないし、政敵と商売をしたからと言って、その商人から買うのを止めることはないかもしれない。
だが、俺の場合半分商人で、半分は蠣崎家の代理人だ。
主家である安東家にも、間借りしている以上、立場上弱いものがある。
それらを全部ひっくり返すかも知れない話なのだ。
それでも今井さんは「土地借りとるんが嫌やったら、その、何というた?トマトマ?トマコマ?いうところに移ったらええやないか」と、事も無げにいう。
「それで、縁が切れたら、それまで言うことや」と、身も蓋もない。
まあ確かに、北海道進出の足掛かりとはなったが、アイヌと話しがついた今となっては、蠣崎の領地に拘る必要は無い。
むしろ借地料を払わなくて済むなら、今の施設を丸ごと差し出しても構わないくらいだ。
それはそれで、正しい判断かも知れない。
だが、いかに戦国時代とは言え、人は利よりも情で動くとも言う。
その部分は、きちんとしておいた方が良いだろう。
だから、南部と話をする前に、蠣崎とは正式に契約を解消しておくべきだろう。
その上で、鉱山開発や製鉄所を本格稼働させるべきなのだ。
もしかすると、安東さんは許さないかも知れない。
だが、許さないからと言って、何か出来るわけでもないだろう。
万一武力で攻め込んできたとして、皇室をお守りする立場である侍が、まさか和仁様に楯突くことはできまい。
もしそんなことがあれば、菊の御紋が大いに役に立ってくれることだろう。
俺は、今井さんに背中を押されたことで、ようやく決心が着いた。
まあ、人に相談するということは、既にそうしたいという気持ちが決まっていて、それの裏付けが欲しくてするわけだからな。
最初からこうなる運命だったのだ。
俺は蠣崎の役人に、来年中には花沢館を出て、他所に拠点を作るという意向を伝えた。
いちおうこの冬まではご厄介になるので、ここまで世話になったことを感謝する意味でも、手土産にはそれなりに豪華なものをお持ちした。
今井さんが京都で作らせた茶器だったが、普通に買えば鉄砲100丁は揃えられる額になるだろう。
だが、その役人にはその価値が分からなかったと見えて、「はいはい、ありがと」みたいな感じで受け取っていた。
まあ、どう使おうがあなたたちの勝手だけど、こういう物の価値が分からないうちは、やっぱり田舎侍と言われてしまうだろうな。
確かに京からは遠いし、そんなもの知るかってなるのも当然かも知れないが、そこは努力して武士としての器量を高めるようにしないと、ただ喧嘩が強いだけの田舎者になってしまうぞ。
だが、それから3日して、安東愛季と蠣崎季宏が雁首揃えてやって来て、「大変結構な品を頂きまして、家宝にいたしたい」と今さらながら礼を言ってきた。
その流れで「どちらに移られるのか?」と聞いて来たが、一番知りたいのはそれだろう。
あえて明かさないという策略もあり得たが、一応世話になった立場上、そこまで無下にするのも失礼だしな。
「ト・マコマイ付近を計画しております」と、少しぼやかした説明にとどめた。
ト・マコマイとはアイヌ語で山奥に入っていく川を表すマコマイと、沼地を意味するトが合わさった地名だ。
その名の通り、周辺は沼が多く、工場を建てるには埋め立てが必要になるが、それはおそらくアイヌが良く思わないだろう。
だから、正確には苫小牧より東の厚真川周辺の方が、良いかもしれない。
この辺は平地が広く、農業にも適しているので、開発は今よりずっと楽になるだろう。
船で夕張付近から石炭を運び出すなら、夕張川を使うべきだが、そうでないならこっちの方が距離は近い。
難点を言えば、苫小牧沖の水深が浅いことだが、これは北海道全般に言えることで、渡島半島と知床岬以外は概ね水深が浅い。
そういう意味で、函館に帝国海軍の基地が作られたのは、水深が深いためだったのだが、この時代の帆船なら水深が10mあれば十分だろう。
タンカーでも作らない限り、そこまで深い港は必要無い。
むしろ、平地が広いため、開発がしやすいメリットの方が大きいだろう。
ここなら馬車を活かすことも出来るし、大規模農業も可能だ。
それこそ産業構造そのものを変えるチャンスとなるだろう。
日本は山がちな国土で、大規模農業には向かないのだが、北海道は例外である。
本州の川は、滝みたいに急流な川が多いし、大河と言われる川も、比較的真っ直ぐに流れる。
それに比べ、北海道の川は多くが曲がりくねっており、その周囲には広大な平地が広がっている。
もちろんそれなりに高い山もあるし、立派な山脈もあるが、石狩平野は実は関東平野よりも広い。
面積に対する平野の率は日本の中でも屈指なのだ。
なので、農業をする上での問題は、冬がクソ寒いという事に尽きる。
緯度としては、ヨーロッパから比べれば随分と低いのだが、寒さは段違いだ。
これはシベリアという寒さの塊のような土地がそばにあるからで、ここから冬になると季節風に乗って寒気団が次々と押し寄せる。
これによって、特に西側は-30℃近くまで冷え込むようなことが起きるのだ。
しかし、夏は普通に27℃を超え、30℃近くになるので、年間を通じての寒暖差は60℃以上にもなる。
この寒暖差が、農業にも影響が出る。
種類にもよるが、ブドウなどは甘味が増したり、味が濃くなったりする。
降水量とも関係してくるのだが、本州ほど雨も降らないため、葉物野菜には厳しいけど、果樹や穀物には育てやすい環境と言える。
そして、葉物野菜は大規模農業には向かない。
なので耕作やはり穀物が中心となるだろう。
そして、これがある意味切り札なのだが、ジャガイモである。
これが日本の食事情にあたえた影響がどれほど大きい物だったか。
わざわざ史実を繙いて説明はしないが、ジャガイモのおかげで飢饉が無くなったと言っても過言じゃない。
冷涼な気候を好み、生育が早く、二期作も可能となれば、あっという間に普及するのも頷ける。
これで、北海道、ひいては日本全国の食事情を大幅に改善できると思っている。
その種芋が今、手元にある。
それもあってか、帰ると思っていたフィリピン人たちは、なぜか全員、ここでひと冬過ごすことを決めた。
本国や日本で暮らすよりも、なにかしら将来に明るいものを感じとったのかもしれない。
最後まで帰るつもりでいた2名も、周りに説得され、ここに残ることにしたようだ。
まあ、自由な雰囲気もあるし、居心地が良いと感じているのかもしれないけど、果たしてひと冬過ごした後でも、そんなことを言っていられるのか、これは見物だな。
ということで、来年に向けての布石として、苫小牧周辺の下見を兼ねて、タンタカのコタンを訪ねた。
今年中にやるべき事として、厚真川河口付近の浚渫工事と、大型の桟橋を設置し、外洋帆船が直接接岸するようにすることだ。
引っ越しは当然船を使う事になるし、来年春に来港予定のベトナムからの外洋船は、こっちに接岸してもらうことになる。
なので、港の整備は最優先で行わなければならない。
そして、その後に、夕張地方に向かう街道を整備していこうと思っている。
そのための拠点になる土地を、タンタカの許しを得て借り上げようと見て回ったのだが、海岸付近は森林で結構大きな木がたくさん生えていて、開墾にはかなりの手間が掛かりそうだ。
しかし、少し川を上って大地になっているあたりでは、広い高原が広がっていた。
もちろん立木は多く生えているが、土地の傾斜はなだらかで、ここは農地にするためにあるような土地だと直感し、ここから川の流域を地域の開発の拠点としようと思う。
周辺のコタンは、主にこの森林の中にあり、比較的にお互いの距離も離れている。
少々大きな施設を作っても、邪魔にはならなそうだ。
タンタカもその話に概ね同意し、土地の利用料は周辺のコタンで山分けする形で、来年の春から支払われることも決定した。
さっそく、新たな工房、というよりは小規模な工場と言った方がいいような大規模な製造施設の計画を纏め、その建設に向けた準備を冬になる前に、ある程度進めておくことにした。
俺が北海道入りする前から、先乗りして調査してくれていた茂吉の部下には、今からこっちに移ってもらって、下準備を進めてもらうことにした。
気温や降水量などの気候の調査と、海も含め生息する動物、土壌の肥沃度など、地域の特性をキッチリ調べてもらい、移ってからすぐ農業活動を始められるようにするためだ。
お試しで、数種類の作物の苗を渡して、育ち具合など観察してもらって、それによって種を撒く時期などを決める目安にしようと思う。
敵情視察が主な任務だったはずの忍びが、まさか農業をやらされるとは思わなかっただろうが、やはり第一次産業はものづくりの基礎となる大事なものだ。
この知識を誰もが持つことは、国という単位からみても大きな底力になる。
特に、気候変動や災害があった時などに、その差は大きく出る。
その知識の集積が、学校という形を通じで地域に還元されていくのだ。
本来学校というのは、そういう基礎的な力を養う場であって、決して企業に就職するためのパスポートを与える場では無い。
その点、アイヌの人達はそういった知識を、親から、あるいは同じ村の大人たちから学び、独力で厳しい自然に立ち向かっていく。
自然が失われていった現代社会では、学校が就職のための予備校のようになっているのは、ある意味宿命的なものなのかも知れないが、ここではまだ始まってすらいない。
これから人口が増えて、世代が一巡するころから教育については本格的に考える必要があるだろう。
これまで尾張や堺でやってきた通り、国語と算数意外にも、社会と理科が、将来を支える人間を育てる上で、重要になってくる。
まあ日本人はそれで良いと思うのだが、問題はアイヌ人だ。
一つには彼らに文字が無いこと、彼らの文化を我々がよく知らないこと、教えられるのは日本語と漢字、ひらがなカタカナ、算数ぐらいで、社会や歴史の勉強は、彼らの文化を壊す恐れがある。
それと同じぐらい難しいのが理科で、ある意味文化の根源である宗教を否定することに繋がる。
だから、当面作れるのは日本語学校ぐらいなのだ。
日本人の子供は、和仁様ぐらいなので、学校はまだ要らない。
だがいずれ、日本人が増えてくれば必要となってくる。
当然、日本人には高度な教育が施されるので、アイヌ人との知識の格差は時を重ねる毎に広がっていくだろう。
社会が分からないと、中国やロシアの存在が何を意味するのか分からず、理科が分からなければ、農業は一生分からない。
そういう意味で、教育の格差はどうしても生まれてしまう。
おそらくこれは何十年経っても解決しない問題として残るような気がする。
学校を作るならアイヌ人たちだけで作るべきなのだが、彼らはそんなものは必要としないだろうし、この先文字が普及すれば変わってくるかもしれないが、果たして教育がどこまで浸透するかは未知数だ。
日本語を教えることは既に始めているが、現状は近隣のコタンから数名の子供が週に3日、習いに来るくらいだ。
北海道全体でとなると、なかなか難しいものがある。
日本語が彼らの第二公用語みたいになってくれれば良いのだが、そうなるにはかなりの年月が必要だろう。
強制的にやれば、それは文化の侵略であるし、歴史の破壊に繋がる。
だから、平和的にやろうとすれば、どうしても時間が掛かってしまうのはやむを得ない。
平和的にやると決めたのだし、それが彼らとの約束なのだから、辛抱強く進めるしか無いのだ。
おそらく、日本人の子供が多く暮らすようになれば、彼らと接触するうちに、子供たち同士で交流が始まるだろう。
そこで差別ではなく、お互いを尊重する付き合いが出来れば良いのだが、子供たちの世界でそんなことは起きないだろう。
アイヌの子供が歴史も知らず、文字も知らないとなれば、日本人の子供がどういう態度を取るか、考えなくても分かる。
アイヌの子も学校に行きたい、となってくれれば目論見通りで、あとは向こうが勝手に求めるようになるだろう。
まあそうなるには10年は掛かるだろうが、それでも10年かけてじっくり馴染ませていくしかない。
菊の御紋を掲げる皇子様がいる中で、こちらから侵略は絶対にしないと決めたのだ。
それは文化の侵略も含まれると思うのだ。
だから、時間をかけて馴染ませる。
それが、結果的に侵略するより、良い結果をもたらすだろう。
その答えは、200年経たないと分からないかもしれないが。
ここまでお読みくださりありがとうございます。
商売は手早く迅速に、文化交流はじっくり時間をかけて。
この相反する課題を両立させようと、難しい課題に挑む。
結果はすぐに出ないが、信じて進むしかない。
ということで、引き続きお付き合いのほどよろしくお願いいたします。




