17 タンタカの恭順
10月に入り、季節はすっかり冬モードに移りつつある。
関東だと11月の感覚に近いかな。
つまり、春は1ヶ月遅く、冬は1ヶ月早く訪れる感じだ。
その分冬は長い。
この2ヶ月の差が経済活動の上でも大きな障害となる。
しかし、これはここに住む以上変えられないことなので、何とかするしかないのだ。
こっちに来て半年、気候的には暮らしやすいと思うのだが、季節の移り変わりが非常に早いと感じた。
忙しかったこともあるが、やはり、アイヌの人達も、気候の良いうちに如何に多くの恵みを得るか、かなり一所懸命に漁に勤しんでいる感じなので、やっぱりこの感覚は正しいのだと思う。
そう考えると、農業はかなり計画的に準備をして臨まないと、失敗する可能性が高いな。
あまり悠長に構えてはいられない。
今から準備を進めておかないと、アッという間に種蒔きの時期を逃してしまうこともあり得る。
特に麦は既に種蒔きの時期である。
春に撒く麦もあるが、手元にある種は秋に撒く品種だ。
まだ試験段階だが、苫小牧に移ってもらった茂吉の部下には、さっそく小さな麦畑を作ってもらい、種蒔きを始めてもらった。
土壌改良などの下準備を全くやってなかったが、肥料を大量にぶち込んだので、一年目はそれなりに育つかも知れない。
その後が心配ではあるが、それは冬を越してみないことには分からない。
とにかく出来ることは一通りやってみるしかない。
まさしく開拓者だな。
そして次の開発の拠点となる苫小牧の下準備として、港となる予定の厚真川の河口の浚渫が終わり、仮の桟橋の隣に本格的なコンクリートの桟橋を作る準備も進めている。
石灰石は秀吉に頼んで尾張から直接運び込んでもらった。
これは一回こっきりのスポット的な注文だったが、彼は「このまま続けてもええよ」と言ってくれた。
ありがたいお申し出だが尾張からだと船賃が高くなりすぎるし、友好的ではない領主の鼻先を通過する船に、安全の保証はなど無い。
やはり日常的にこの取り引きを続けるのはリスクが高すぎるだろう。
まあ、桟橋だけ作れれば当面は大工事の予定は無いのだが、人口が増えて都市化が進めば、コンクリート製の建物も必要になってくる。
そうなるまでには、八戸と取り引きができる関係に持ち込んでおきたいところだ。
しばらくは、こうしたスポット的な取り引きで凌ぐしかないだろう。
アイヌの人たちは、仮の桟橋でも立派なものが出来たと喜んでいたようだが、この上さらに頑丈な桟橋が作られるとは思ってもみなかったようだな。
まあ、木の桟橋でも機能的には充分なのだが、ここは太平洋に面している。
太平洋は潮位の動きが大きく、しかも波が高い。
さらに冬は季節風も強いということで、木の桟橋では波を被って役に立たないことが考えられる。
そこで、コンクリートで作ることで、防波堤の代わりにしようというわけだ。
そのためには、波消しブロックも必要となるため、それも作る予定だ。
岩でも代わりにならない事はないが、岩は波で転がっていってしまうので、テトラポットのようにはいかない。
やはりあの形は、良く出来た優れものだと思うのだ。
そのため、仮桟橋が出来上がるとすぐに、コンクリート工場が作られた。
まだ工場というほどではないが、機能的には堺にある工場と遜色ない。
敷地が広いというのもあるが、最初から港の近くに作ってあるし、効率よく作業できるよう作業の動線も考えて作ることが出来るので、建物の大きさだけ比べれば堺の半分ほどだが、生産能力はほぼ同等に近い。
なによりたくさん作ってストックしておくスペースがあるので、コスパははるかに優れていると言えるだろう。
そんな、先進的な最先端の技術を、俺はあえてアイヌの人達を交えて公開しながら工事を進めてきた。
この時代でも、石垣のように固めて桟橋を作る技術はあるが、時間と手間がとてつもなく掛かる。
コンクリートなら、それが一月程度で出来てしまうのだ。
アイヌの人達も、水っぽい泥のようなものが石のように硬くなり、しかも好きな形に作れることに驚いていた。
その目にはもはや驚きを通り越して、畏怖さえも感じているようだ。
完全に自分達とは棲んでいる世界が違う、異世界から来た者に違いないと思っていることだろう。
それはある意味正解なのだが、そうだとしてもそれが問題なのではない。
その異世界の技術が現実に目の前に存在しているという事実が問題なのだ。
一足飛びに200年、300年先の世界が、目の前に現れたのだから、彼らの意識も改めざるを得ないだろう。
俺が彼らに惜しみなく最新技術を見せるのは、そうやって技術の差を見せつけることで、抵抗を諦めてもらう狙いもある。
こんな奴らに敵うはずが無いと思ってくれれば、「仲良くしよう」か「逃げる」しかなくなるだろう。
そして、大抵は逃げることも叶わない。
だったら恭順せざるを得ない、という判断になると期待しているのだ。
そして、その目論見は、概ね達成しつつあるようだ。
タンタカも、アイヌ人の中では進歩的な考え方が出来る方だが、それでも心の奥底で俺のことを見る目が変わったように思う。
それまでは同じ人間として、上手く付き合っていこうという、ある意味対等な関係を目指していた感じがあったが、コンクリートの桟橋を見てすっかり目から力が消えてしまった。
ネコ車で、便利な技術を持って来る、ぐらいの存在だったものが、完全に手の届かない存在へとなってしまったようだ。
10月の下旬頃に無事完成を見たコンクリート桟橋だったが、既に波も高くなり始め、冬型の気圧配置になると強い北風が吹き始める。
だが、頑丈な桟橋の内側には大きな波は入ってこないため、小さな船でも停泊していられる。
その事実だけでも、この桟橋を作った意味を、彼らも理解したようだ。
さらに、大きな波消しブロックをクレーン船でどんどん投下して、桟橋を守るように配置していく姿を見て、何かを感じたのだろう。
俺が花沢館に戻る前日になって、今夜は酒を飲もうと言って宴会に誘われたのだ。
なんとそこには周辺のコタンの長と、コマイやカルシといった、俺に友好的と思われる村長らの姿も見えた。
「いやいや、皆さんお揃いでどうしたの?」と、疑問に思うも「立派な桟橋が出来た事を祝いたい」と言うので、何か謀でも巡らしているのかと警戒したが、どうやらそうではなかったようだ。
酒も進んで、俺も口が軽くなってきたこともあって、「最近は皆さん妙に素直ですよね」と、つい口走ってしまった。
そのとたん、全員が顔を見合わせたかと思うと、一列に並んで俺に向かって深々と頭を下げる。
なんだなんだ?と思っていると、タンタカが代表して話し始めた。
「ワシらは、アイヌの生き方しか出来ぬ。だから、あんたを日本の色に染めようとやって来た、ある意味敵と見ていた。どんな事をしてもワシらは変えられないと思っていた。しかし、ネコ車もそう、桟橋もそう、馬車も、鉄砲も、船も、あらゆるものが遙か別の世界のような物だった。それらはワシらがどう足掻いても理解出来ない世界だ。しかし、あんたは我々を大事にしてくれている。力を使って奴隷にしようとすれば出来たはずだ。蠣崎のように騙そうと思えば出来たはずだ。だが、そうはせずに、まず話をして理解を得てから物事を始める。これには本当に感謝している。
ワシらを対等に扱ってくれているということだ。こんなことは今まで無かった。だから言いたい。あんたの下でなら、ワシらは纏まることが出来るかもしれん。だからあんたに、ワシらのコタンコロクルとなってほしいのだが、いかがだろうか」
「ん?コタンコロクル?」
「つまり、族長とか、酋長みたいな意味合いです」と、コマイが翻訳してくれた。
なるほど〜。
いや〜、いずれこうなる日が来ることは目指していたけど、半年ってのは早すぎないか?
驚いている俺に対して、コマイが皮肉な笑みを浮かべて、説明してくれた。
つまり、俺の北海道における覇権はもはや間違いないと彼らは悟った訳で、ならば今から俺に距離が近い立場になることで、アイヌ全体での優位な立場に立てると判断したということらしい。
随分と生臭い話だが、まあ彼らとしても色々あるのだろう。
札幌のコタンが力が強いとか、そんな目に見えないヒエラルキーのようなものがある感じだったからな。
そういう政治的な駆け引きをするところを見ても、彼らも頭が悪いわけではないのだが、文字という集団での知識を共有する手段が無いため、知識の蓄積が出来なかっただけなのだ。
暦というものが無いため、予定を立てられない、何時何処で集まるということが出来ないため、何事もなりゆき任せになってしまうので、全体に纏まることが出来なかったが、日本流の教育が許されるのなら、それも変わっていくのかも知れない。
自然に対する深い憧憬とともに、それに対処する術を口伝で伝え残してきたが、文書化することでそれを一般化できる事を知れば、生き方そのものを変えることになるのだろう。
俺に恭順するという事は、それを許容するという事だ。
それをあえて言葉にして伝えはしなかったが、その覚悟は見て取れた。
なので「条件として皆さん全員に日本語を覚えてもらうこと。これができるなら族長でも酋長でも何でも良い。あなた方の先頭に立つことを、引き受けましょう」と、俺は答えた。
コマイは「それはもとより」と返し、タンタカは「もちろんそれは約束しましょう。そして、あなたの下で働くことも厭わないでしょう」とまで言いだした。
何だ?急に敬語になったな。
つーか敬語喋れるのね。
ってことは、今まではあえて使わなかった訳ね。
日本語は下手くそな振りだったのか。
なかなか喰えない奴だなコイツ。
人は騙されて賢くなる。
俺が来る以前に蠣崎に相当してやられた事は想像に難くないが、悲しいかな人間とはそういうものだ。
タンタカも元から腹黒かった訳じゃないと思うが、蠣崎たちとやり合ううちに、悪いことを覚えていったってことだろう。
そんな現状だが、日本人はまだ世界基準から比べれば誠実な方だと思うのだ。
大名たちは騙し合いを繰り返しているが、名誉だけは最後まで保とうとしている。
だが、西欧やオリエントの人達は、人を騙すのがデフォルトだからな。
最初に出会った時に、とりあえず騙してみる。
そこで引っかかるか、その手には乗らないかで、付き合い方を変えていくのだ。
アイヌの人達は、そういう連中とはまだ出会ったことは無いからな。
そして、中国人や満州人も、もちろんロシア人もその系統で、原始時代ではとりあえず殴ってみて相手の力量を測る、みたいな生き方をしてきた連中なのだ。
まず強く出て、相手の出方を見るという姿勢は、現代に至るも変わっていない。
アメリカ人や中国人は、最初は仲良くしようと近づいてくるけど、本質的な部分は変わっていない。
ビジネスに特化した人種ってのは、最初は笑顔で近づいてくるのだが、気がつくと身包み剥がされているってパターンだ。
アイヌの人達はまだ、本格的にそういう世界には晒されていない。
近隣の気心の知れた民族との細々とした関係しか知らなかったが、日本人と北海道を巡る争いを経験したことで、それが甘い幻想だったことが分かってきたと思う。
やっぱり、常に戦争と接している民族は、強さと賢さが違うのだ。
日本人が世界基準に一番近づいたのが、実は戦国時代だったのだろうと思う。
その証拠に、秀吉の朝鮮出兵で、大明国は国力に深刻な打撃を受けたのだ。
おそらく、スペインと戦っても良い勝負をしたと思う。
船舶と大砲の技術だけは大きく劣っていたが、それ以外ではかなり強かったはずだ。
そして、この世界では、その劣っていた技術も俺が埋め合わせをした。
さらに、コンクリートもある。
兵数はともかく、どこの軍隊と比較しても見劣りはしないだろう。
クラウゼヴィッツの戦争論でも書かれていたように、戦争が起きるにはまず政治的対立があり、彼我の戦力差が明確にあること、そして為政者による相手を屈服させる意志、が重要なのだが、今日本の状況は、そこまで切迫したものは無い。
ただ、既に二つの条件は満たしてはいるのだ。
意志さえあれば、その域に到達してしまうだろう。
だから、日本統一後に秀吉が行った戦争は、至極当然の流れだったのだ。
李氏朝鮮はその辺を理解していなかった。
明がバックにいるから大丈夫と思っていたようだが、秀吉の相手は最初から朝鮮ではなく、明だったのだ。
だから朝鮮に、いきなり無条件での服属を求めた。
それを何を勘違いしたのか、これを突っぱねたため、アッという間に制圧されるという事態を招いたのだ。
どうやら自分達の方が勝っていると思っていた節があるが、周囲の情勢を正確に見定めることが出来ないと、こうした歴史的な過ちを犯すのだ。
アイヌの人達は、ギリギリそれに気付いた、と言うか俺が気付かせたのだが、世の中がどうなっているのかようやく分かったのだ。
そして、俺に自分達を導いてくれと言ってきたのだ。
そういうことなら、任せなさいと言うほかは無い。
ここからは、俺のターンだ。
ガンガン行かせてもらおう。
ここまでお読みくださりありがとうございます。
アイヌの恭順を取りつけたことは、大きな転機になるはずだが、これから冬を迎えてはたしてどうなるか。
北海道の冬がいよいよ立ちはだかるのか。
引き続きお付き合いのほどよろしくお願いいたします。




