14 中山道
だんだんと、遅れがちになってしまいました。
2021/09/24:整合性がおかしくなっていた蜂須賀小六のセリフを変更しました。
我々は朝早く、尾張に向け出発した。
俺と小六には馬が有るが、節さんだけ歩かせるわけにも行かないので、馬を借りて行くのだが、節さんは乗馬はできないので、結局馬子の人に引いてもらわなければならない。
この時代には馬車というものが無い。
牛車というのも有るが、皇室やお公家さんが使うものとして認識されているので、移動手段としては徒歩か、人が引く馬に乗せてもらう馬借ぐらいしか無い。
だから速度は徒歩と変わらないのだが、歩かないだけましということなのだろう。
焦ってもしょうがないので、のんびりと尾張までの道程を楽しむとするか。
しかし、これだけ移動手段が限られているなら、逆に自分の領地内だけでも馬車とか作って交通網を整備したら、大儲けできるんじゃないかな?
どうなんでしょう、神様?
※領地内ならあるいは可能かも知れませんが、他国にまで及ぶ交通網の整備は難しいでしょう。
各地の領主は住民、特に農民の他国への移動に非常に神経をとがらせています。
それは石高に直結する問題だからですが、一向一揆などが他国へ波及することを恐れている面もあります。
自分が君主となり、農業改革を行い、社会を近代化するというなら、それも1つのあり方と思いますが、織田家の家臣であり、国の豊かさの判断基準が石高である以上、そこまでの自由化は恐らく認められないでしょう。
そうかあ。
厳しいなぁ。
ま、そういった将来に向けての構想も、領地の経営が軌道に乗ってからだな。
※そういうことですね。
ちなみに、領地から離れていても自領の現状を把握できますよ。
あぁ、そうだよね。
ちょっと確認してみようかな。
○吉子村
領主:大谷吉子
所属:織田家
人口:1503人
石高:380石
金収入:1800
米収穫:2800
総兵数:400(200)雇い兵
商業:280
農業:420
木産:100
鉄産:35
民忠:64
特産品:魚
◇施設
市場:1
城郭:1(建設中)
港:2
まあ、縄張りの指示を出してまだ半月である。
そうそう大きな変化があるわけがない。
ただ、人口が増えたことで経済が微増した感じだ。
本格的に活況を呈すようになるには、城の完成と街道の整備を待たねばなるまい。
今8月だから全部完成するのが10月末、米の収穫が終わった後である。
ただし、今年は年貢を免除しているので、兵糧は増えないのが残念ではあるが、それより民忠のアップの方が重要だからな。
何とか早く人口が増えて欲しいものである。
街道の整備の状況も見てみると、美濃路に接する放射道路2本は既に完成している。
今はその2本を繋ぐ環状線の整備に掛かっているようだ。
なかなか仕事の進め方が的確だねえ小一郎君。
ついでに城の方も見てみると、こっちはまだ1つ目の堀を掘って出た土を、土塁として積み上げている最中だ。
まあ、こっちは土木工事がほとんどだし、それが終われば八割方終わったようなものだからな。
皆さんシッカリやっているようで頼もしいかぎりである。
尾張までの行き方は、東海道を使う手と中山道を使う手があるが、東海道は木曽川を遡上する渡舟に乗らねばならない。
この渡船が“三里の渡し”と言って、桑名から津島までの区間を往復しているのだが、何せこの時代の手漕ぎの渡船である。
もちろんフェリーなど無いので人馬を一緒に運ぶことはできない。
我々は馬を置いていくわけにいかないので、必然的に陸路で行く中山道しか無いのである。
また、夏場であるこの時期、木曽、長良、揖斐の三河川はしばしば氾濫をおこし、長期にわたり通行できないこともあった。
若干遠回りであっても、急がば回れで安全な陸路を選ぶことが多かったようだ。
焦っても仕方がないとは言うものの、急いでないわけでは無いので、目標は1日宿場町三つで行きたいと思う。
つまり京の次の宿場町は大津である。
その次は草津、その次は守山となるわけだが、三つ目まで一気に行ってしまおうというのだ。
歩きの場合、宿場を1つ飛ばすのが普通らしいが、我々は2つ飛ばすことにしたのだ。
歩きだとかなりの強行軍になるが、一応馬なので、何とかなるだろうという見込みであった。
予定通り行けば、一週間以内に到着できるのではないかと考えていた。
道中は時折荷車を引く商人の一団などとすれ違う程度で、町人とはほとんど行き会わない。
こんな時代ということもあるのだろう、その代わりに早馬や飛脚の往来が多い。
馬に揺られながら、お互いのことを話し合おうと思ったが、節さんがもうひとつ体調が芳しく無いようで、あまり喋ろうとしない。
馬鹿話でもしていれば暇な道中も意外と早く感じるものだが、黙ったままというのも、これ程苦痛なものは無い。
何となく気まずい空気のまま、琵琶湖の南岸を進んでいく。
そしてとうとう、3日目の関ヶ原の宿で、節さんが体調を崩してしまった。
馬に酔ったとか、そう言うことでもないだろうが、俺の見た限りだが、どう考えても過労としか思えない。
医者の不養生も甚だしいというものだ。
吉乃さんにも勧めたが、こんな時は甘酒である。
宿の親父に聞いたが、甘酒は置いていなかった。
酒屋に行けば有るかと思ったが、夜遅かったので閉まっていた。
※あのう大谷さん?
甘酒ならお持ちじゃ無いですか?
おっと、珍しく神様の方から話しかけてきたね。
え?甘酒なんか持ってたか?
※装備品のところを見てください。
え?甘酒って装備するものなの?
あ、持ち物箱に入ってた!
何かいろんな物持ってるな俺。
今の今まで気づかなかったよ。
おにぎりとか、団子とか、寧々さまの握り飯とか。
そうか、持ち物箱ってアイテムボックスのことだったのね。
この甘酒、吉乃さんに上げたときの残りかぁ。
しかし、RPGじゃ無いんだから、アイテムボックスとかアリなの?
このお団子って、チュートリアルの時に町子ちゃんからもらったヤツだよね。
よく腐らないな。
まあいい、これを飲んで元気になっておくれ。
驚いたことに甘酒が効いたのか、次の朝、節さんは見違えるほど元気になっていた。
ついでだから寧々さまの握り飯も差し上げて、友好度も微妙に上げておいた。
少し友好度が上がったせいだろうか、節さんが小六の居ないところでお話ししたいと言うので、小六に買い出しを頼んで、我々は茶屋で団子を食べながらお話しすることにした。
話というから、何か人に言えないような事かと思ったら、何のことはない。
体調不良の原因は生理だった、ということを言いたかっただけのようだ。
確かに男には聞かれたくない話ではあるが、まさかそんな理由だったとは。
さらに、彼女は実はそうとうな酒飲みで、それが原因で昔イロイロやらかしちゃったことから、道三先生に酒を止められていたらしく、それも結構なストレスになっていたようだ。
甘酒とはいえこの時代の物は、けっこうアルコール度数が高く、それなりに酔っぱらうらしい。
一杯だけだったが、久々に酒が飲めてぐっすり眠れたし、ちょうど生理も終わったので、体調はすっかり戻ったそうだ。
まったく心配掛けやがって。
今日はちょっと出発が遅れたので、二つ先の大垣宿までにすることにした。
関ヶ原の次の垂井宿から中山道を逸れて美濃路へ入る。
垂井の次が大垣で、その次が墨俣である。
墨俣で、秀吉のところに寄ってみようと思うので、そのためにも大垣で一泊した方が良いだろうと言う話になったのだ。
関ヶ原から大垣までは5時間あまり。
昼前頃に出発したので着いたのは5時過ぎあたりだろうか。
夏なのでまだまだ日が高い。
オッサンなら間違いなくビールなシチュエーションである。
ビールが無いなら冷酒だ、とばかりに、俺と小六は居酒屋の軒先で一杯やり始めた。
イヤ〜旨い!小六も枝豆をつまみながらグビグビとやっている。
もう一緒に飲まん、とか言ってたのは何処のどなたでしたかねぇ。
もちろん節さんも、嘗ての酒豪の片鱗を見せつける豪快な飲みっぷりである。
強面で大柄なヤクザ者のような小六に、少し影のある美人だが大酒飲みの節さんに、顔は吉田ようさんだけど服がRPGのアマゾネスのような俺という、絶対に近寄っちゃいけない類の人たちが店の前で酒盛りをしているのだ。
店に入ろうと近寄ったが、あまりにも怪しい連中がいるので止めたり、引き返してしまった人もいるようだった。
店としてはいい迷惑だったかも知れないが、その分大量に飲んでるんだから、良いんじゃ無い?
だが、我々は忘れていた。
大垣城は斎藤家が支配している城だと。
大垣宿は大垣城の城下町でもある。
そんな場所で、我々は少しばかり目立ちすぎたようだ。
間もなく日が落ちるという頃、街の見回りをしている侍衆に、声を掛けられた。
妙な連中が酒盛りをしていて店が迷惑をしていると、タレコミがあったかどうかは分からないが、どこの何者か身の証しの立つ物を見せよと言われてしまった。
今で言う職質である。
さて困った。
通り抜けるだけなので、正直に身分を言ってもそれほど問題にはならない気もするが、斎藤方とは刃を交えた間柄。
どこで誰の敵になっているか分からない。
ここは節さんの身分に頼ることにしよう。
俺たちは節さんのボディガードということにしてもらう。
曲直瀬道三の弟子という肩書きは、ここでも威力を発揮した。
「お勤めご苦労さんです」という感じで侍衆は引き返そうとした。
だが、その侍衆の中に最初から俺のことをジッと睨んでる男がいた。
こちらは一向に見覚えは無いのだが、向こうには有ったようで、侍衆のリーダーがその場を去ろうと歩き出したとき、ついにその男が声を発した。
「待たれよ!拙者その方に見覚えが有るぞ」
「何じゃ知り合いか?」
「いや。しかし忘れもしない十四条の戦のさなか、織田信長を追い詰めた我々を背後から攻め立てた者こそ、そこにおる大谷吉子じゃ!」
ああ、バレちゃったか。
どうするか、ここで大立ち回りはさすがに不味いだろう。
逃げるにしても節さんがいるからな。
そのリーダー格の侍がこちらに向き直り、値踏みをするように俺のことを眺めている。
そして不適な笑みをうかべて言った。
「それがどうした」
「いや、稲葉殿の敵ではないか」
「それは戦場でのこと。異趣を返すなら戦場で返すのが筋と言うもの」
「くっ……」
「このような場で騒ぎ立て、市井の者に迷惑を掛けるものではない。大谷殿もあまり人目につくような素振りはせんことじゃな。では失礼する」
「あぁ、どうも…」
いやあ、できた御人も居るものである。
この時代、大垣城主はたしか氏家直元、一般には卜全の名の方が通りが良いだろう。
ひとかどの人物であったと聞くが、そういった城主の人柄が、こういう警備の侍衆にも良い影響をもたらしているのかもしれない。
少々浮かれすぎたかも知れないと反省し、我々は大人しく宿で休むことにした。
次の日は夜明けと共に宿を出たので、墨俣には9時前に到着した。
特に秀吉に用は無いのだが、川並衆と仲良くしたいというなら、小六とも知り合っておいて損は無いだろうと思ったのだ。
思ったのだが、小六が秀吉に会ったとたん「よう!最近は秀吉と名乗っとるそうじゃの藤吉郎」「おう!小六さんかぁ。久しいのぉ!」という具合で、どうやら旧知の間柄だったようだ。
昔は蜂須賀小六の方が兄貴分だったらしく、地域の顔役的な存在で、秀吉は小六のもとで小遣い稼ぎのようなことをしていたそうだ。
だが、小六が斎藤氏に仕えるようになってからは、ずっと疎遠になっていて、小六が一時、織田信清に仕えていたことも、その後出奔して尾張に戻っていたことも知らなかったようだ。
「なんじゃぁ。ワシも小六に声かけとくんじゃったのう。吉子に先を越されてばっかりじゃな」
「何を言うちょる。お主に顎で使われてたまるか。ワシが言うことを聞くのは別嬪さんだけと決めとるんじゃ」
「そうじゃろそうじゃろ、吉子はええ女じゃ」
「そんなことより、その後川並衆との繫ぎはどうなったんだ?」
「おう、将右衛門(前野長康の通り名)とは随分と気が合ってのう、なんかすっかりここに居着いとるんじゃ」
「なにぃ?将右衛門はここにおるのか?」
「おう、待っちょれ」
そう言って秀吉が一旦奥に引っ込んで、戻ってくる時には、ぞろぞろと三人ばかり人が増えて帰ってきた。
一人はもちろん前野長康さん。
もう一人は大量の握り飯を抱えた寧々さま。
そしてもう一人は前野長康の弟、坪内利定。
そう、大沢次郎左衛門との調停を依頼していた坪内玄蕃である。
彼がここに居るってことは、その件で動きがあったということだろうか?
俺が目配せすると、彼はうなずいた。
じゃあ後でその件は詳しく聞くとしよう。
まずは、寧々さまの握り飯からである。
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