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40.ヴァルドール領派遣団

新年一話目です。本年もよろしくお願い致します。

カーが乗って来た馬には何故か二人乗り用の鞍が着けられていた。ひょっとして既に自分の行動は見透かされていたのだろうか、とクラリッサは考えたがそんな疑問は直ぐに吹き飛んだ。


「喋ると舌を噛むから、歯を食いしばってしがみついてなよ」

「……っ!」


返事をする前にクラリッサの後ろに騎乗したカーが馬の腹を蹴った。クラリッサはスタートの衝撃と徐々に強くなる向かい風に目を瞑り、鞍の持ち手にしがみつくしか無かった。カーのガッチリとした体と手綱を握る力強い腕が、クラリッサの体をしっかり支えていたが、あまりの振動に恐怖心で一杯になりそれ以外何も考える事が出来なくなってしまった。


どのくらい時が経過したであろうか。長いようにも短いようにも感じた時間が過ぎて、馬の脚が徐々に緩やかになり始めた。向かい風が落ち着きを見せる頃漸く薄目を開ける事ができたクラリッサの眼前に現れたのは―――少しくたびれたような厳つい門扉だった。詰めていた息を吐きドキドキと早鐘を打つ胸を押さえていると、馬上からひらりと舞い降りたカーに手を差し伸べられる。震えて力の入らない手を差し出すとその手を肩に回す様に誘導され、腰に力強い腕が回り抱え上げられるようにしてクラリッサは抱き下ろされた。


膝が震えてしまい、まだ自分を取り戻せずにいるクラリッサを脇に守る様に立ったカーが門兵と何事か遣り取りをすると、直ぐに他の兵士が飛び出して来て馬の手綱を引いて去って行った。もう一人若い兵士が現れ、胸に拳を当てる騎士の礼を取るとカーは鷹揚に頷いた。頭では理解していた事だが、自分の兄が騎士団ではそれなりの地位に付いていると言う事を目の当たりにしたクラリッサは、物珍しくその様子を眺めてしまう。その若い兵士の誘導でクラリッサとカーは大きな門の横にある小さな扉をくぐり塀の中へと踏み込んだ。

堅牢で高い城壁は怖いくらい装飾が削ぎ落されており、公爵令嬢のクラリッサの目にはその光景はむしろ陰鬱に映る。建物の正面まで来ると、鉄製で如何にも頑丈に出来ている扉の守りを行っている兵士達が一斉に胸に拳を当てて礼を取る。カーが軽く頷くと、またしても脇にある控え扉へと誘われ、冷たい空気が纏わり付くような仄暗い室内へと足を踏み入れた。


廊下には荒く削り出した岩肌が剥き出しになっている壁が続いている。カーに伴われて近衛騎士団の執務スペースを横切った経験があるクラリッサは、その内装と雰囲気のあまりの格差に気が付かずにいられない。近衛騎士団の施設は王宮の敷地内にあり、華美では無くともそれなりに美しく整えられていた。きっと通常の暮らしからはみ出ようとしなければ、クラリッサは決してこのような場所を目にする事は無かっただろう。


けれどもクラリッサの内面はカッカと燃え盛っていたので、これまでなら怯えを抱いてしまったかもしれない状況でさえ、全く気にならなくなっていた。むしろ意気揚々と闊歩する自分に、彼女は自分自身でも驚いている。どんな恐ろしい場所だとしても、この先に待っている存在に一目会うまでは気にせず歩いて行けるだろうと言う自信が、不思議と身の内から湧いて来るのを感じていた。


幾つかの角を曲がって最後の扉を開けた時、眩しい光が目を差した。

高い石塀に囲まれたひらけたスペースに、馬車や騎士達がひしめいている。どうやら派遣団が出立しゅったつの準備を整えている所らしい。見た事も無い鉄製の道具や、旅行のための装備が積み上げられていた。皆忙し気に走り回っている。クラリッサは咄嗟に周りを見回したが、目的の人物は見当たらなかった。


「クラリッサ、こっち」


キョロキョロしているクラリッサにカーが声を掛ける。後に付いて行くと、髭面の厳つい騎士の元へ連れて行かれた。カーが胸に拳を当てると、三十代くらいに見えるその騎士も軽く胸に拳を当てた。


「お忙しい時に申し訳ありません」

「いえ、まだ出立には間がありますから。……そちらは?」


どうやら髭面の騎士はある程度の地位にある人間らしい。その辺りを駆け回っている騎士達より制服の装飾が多い事にクラリッサは気が付いた。彼は明らかに場違いな銀髪の貴族令嬢に眉を顰めた。女学院の制服は日常的に貴族令嬢が纏うドレスよりは動きやすい簡素な物だが、形が独特なのでおそらく一目で学生だと見抜かれているだろう。


「妹です。どうしても付いて来たいと駄々を捏ねまして」

「はぁ……」


呆れたような声に自分の行いが如何に浅はかな物なのかという事を思い知らされる。そんな我儘を聞きいれる兄も兄だと、髭面の騎士の視線は語っていた。高位の貴族の我儘に付き合わされるのは慣れているのかもしれない。困惑しながらも仕方なさそうに受け入れる雰囲気を感じ取り、クラリッサの胸は痛んだ。自分だけでは無く、兄の名誉まで傷つけてしまった。しかしそれでも、自分にはやらねばならぬ事があった。今は手段を選んではいられないのだ、彼が危険な場所に赴くなら尚更。


クラリッサはスッと背筋を伸ばし、出来得る限り優雅に敬意を込めて淑女の礼を取った。顔を上げるとポカンと口を開けて呆気に取られた表情の髭面の騎士と目が合う。


「今日は我儘を言ってしまい申し訳ありません。ええと……」


クラリッサはチラリとカーに視線を這わせると、カーは直ぐに意図を察して「ラウク中尉だ」と頷いた。彼女はボンヤリしている髭面の騎士に、取って置きの笑顔を向けた。


「ラウク中尉、クラリッサと申します。ご無礼をお許しください」


すると髭面の騎士の肌が、アッと言う間に朱に染まった。


「あ……」


ポロリと手に持っている書類が落ちる。クラリッサが拾い上げて手渡すと、慌てた様子で彼は謝罪した。


「も、申し訳ない……っ!」


クラリッサのような貴族令嬢が一介の騎士の為に物を拾うなど、有り得ない事だった。クラリッサも平常ならそのような振る舞いはしない。けれどもここにはそれを叱責するような小うるさい社交界のご婦人方も陰口を言うプライドの高いご令嬢も存在しない。それに彼はおそらくマクシミリアンの上司なのだ、つい自然と彼女はそのような行動を取ってしまった。


「少し……この辺りを見学させていただいても、宜しいでしょうか?お忙しい中ご迷惑かと思いますが」


ニコリと微笑んでそう言うと、ラウク中尉は髭に覆われていない部分の肌を真っ赤に染めたまま大きく何度も頷いた。


「ええ!どうぞ、何処でも存分に覗いて下さい!……おい、ディルク!こちらのお嬢様をご案内しろ……くれぐれも、失礼の無いようにな」

「お気遣いありがとうございます」


クラリッサが微笑むと、カーが彼女にウインクをしてラウク中尉に向き直った。


「実はヴァルドール領の件について、二、三新たな情報が入ったのでお耳に入れたいのですが……」


ディルクと呼ばれた黒髪の青年騎士が、クラリッサに頭を下げた。クラリッサが「お願いします」と微笑むと、貴族令嬢などと滅多に顔を合わせる経験を持たない王立騎士団の平民騎士も、上司同様頬を真っ赤に染めて……コクリと頷き返したのだった。



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