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雨龍覚醒――銀の空を呼ぶ少女  作者: 孔雀丸


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3/12

第3話「金津邸、黒い雨」

第3話をお届けします。

前回までは、慎悟と南海の穏やかな日常――その裏で胸騒ぎだけが静かに膨らんでいく回でした。

今回は一転して、舞台は金津邸です。

十彩獣団は、まだ一人も出てきません。

代わりに、敵側の核――金津美里という少女が、どういう論理で、どういう手触りで、人を「駒」に変えていくのかを描きました。

新たに登場するのは、バリオニクスの鬼・滄爪と、スピノサウルスの鬼・棘王。そして、すでに退学という形で社会からこぼれ落ちていた盤角と岩砲。

四人とも、美里の前にひざまずきます。

でも、ひざまずく理由は、四人ともまったく違います。

滄爪にとっては駆け引きの一手。棘王にとっては、長年腐っていた何かへの答え。盤角と岩砲にとっては、初めて「呼ばれた」という事実そのもの。

同じ言葉をかけられても、受け取る側の傷の形が違えば、まったく別の感情になる。そこを丁寧に書いたつもりです。

美里というキャラクターは、声を荒げません。表情も、ほとんど動きません。

それでも、彼女が口を開くたびに、広間の空気がわずかに歪んでいく。そういう「静かな支配者」として、今回しっかり立たせています。

そして、屋敷に降る雨。

この雨が、なぜ黒く見えるのか。今回はその理由までは明かしていません。ただ、これから続く章で、何度も意味を持って戻ってくるモチーフなので、頭の片隅に置いておいてもらえると、後々ニヤッとできると思います。

少し重い話ですが、どうぞ最後までお付き合いください。

 福江市(ふくえし)に降る雨は、誰の上にも等しく落ちているはずだった。

 駅前のアーケードを濡らす雨も、河川敷を白く霞ませる雨も、清王学園(せいおうがくえん)の屋上を叩く雨も、本来なら同じひとつの空から来ている。

 だが、金津邸(かなづてい)に降る雨だけは、黒かった。

 比喩ではなかった。

 少なくとも、この屋敷の中にいる者には、そう見えた。

 庭石の表面を伝う雨筋が黒い。 瓦のへりから垂れる雫が黒い。 池の面に落ちて広がる波紋まで、墨を一滴垂らしたように、にじんで濁る。

 雨は、屋敷を濡らしているのではなかった。

 屋敷が、雨を飲み込んでいた。黒い木柱の内側に、何年分もの怨みが積み重なって、降るたびに少しずつ染み出してくる——そういう古さが、金津家にはあった。

 ──────────

 金津邸は、福江市の旧家の中でも異質な存在感を放っていた。

 明治の頃に建てたまま手を入れていない武家屋敷の造りで、柱は人ひとりでは抱えきれないほど太く、黒く磨き込まれた床は踏むたびに冷たい光を吸う。壁には家紋と、抜き身にされていない日本刀が幾振りも並んでいた。

 その奥、もっとも薄暗い広間に、金津美里(かなづみり)は座していた。

 着物を思わせるダークレッドの衣装。 傍らには対の刃——「国影(くにかげ)」の銘を持つ太刀と脇差。

 十六歳の少女が、ただ畳の上に座っているだけだった。

 なのに、広間の空気は、彼女を中心に巻かれていた。

 雨音が、彼女のために鳴っているようだった。

 ──────────

 美里のほかに、広間には六つの影があった。

 背後にはギガノトサウルスの鬼・烈王(れつおう)が、感情を抜き取られた番兵のように立っている。右に霧香(むこう)が鉄扇を膝に置いたまま目を伏せ、左の壁際では牙蓮(がれん)が巨大刀の柄に指をかけたり離したりしながら、露骨に退屈していた。魔盾牙(まじゅんが)は巨大盾の縁に手を置き、彫像のように沈黙している。

 これだけの鬼が同じ部屋にいて、誰ひとり口を開かない。

 それが、金津美里という少女の作る静けさだった。

 広間の隅、もっとも光の薄い場所だけが、例外だった。

 ランベオサウルスの鬼——巨響(きょきょう)。鬼軍団の医療を束ねる男が、眼鏡の奥の目を細めて、手元の帳面にゆっくりと何かを書きつけている。その筆の音だけが、雨音に混じって聞こえた。

 誰も、彼が何を書いているのか、尋ねなかった。

 尋ねた者が、過去にいなかったのかもしれない。

 ──────────

 美里は、急がなかった。

 これから運ばれてくる者たちのことを、彼女はすでに知っている。知っているから、待つことに不安がない。

 ——焦りが混じるのは、結果のわからない者だけだ。

 やがて、広間の襖が、音もなく開いた。

 雨の匂いと一緒に、四つの影が入ってくる。

 先頭は、バリオニクスの鬼——滄爪(そうそう)

 黒い装甲は深海のように暗く、その上を水色の線が血管のように這っている。美里の前まで進み、膝をついた。

 ひざまずいているのに、敗者には見えなかった。

 むしろ、王の前に進み出る軍師のように、薄く笑っていた。

「お招き、ありがとうございます、美里様」

 滄爪——河間純二郎(こうまじゅんじろう)の声は、丁寧で、滑らかで、どこか冷たい水のようだった。

 その隣に、スピノサウルスの鬼——棘王(きょくおう)

 背中の巨大な帆状の装甲から、青黒い水気がゆらりと立ちのぼる。彼は何も言わなかった。ただ巨大な大斧を床に横たえ、深く頭を下げただけだった。

 三人目は、ステゴサウルスの鬼——盤角(ばんかく)

 背骨に沿った骨板が、薄暗い広間の中で不安定に明滅する。膝はついている。だが、視線が落ち着かない。美里を見たい。幹部たちにも見られたい。——本当は、あの夜のことなど、誰にも知られたくなかった。投稿した動画が拡散し、退学を突きつけられ、親に怒鳴られた夜。あの夜から始まった転落を、この場所が上書きしてくれると、信じたかった。

 自分が「呼ばれた」という事実を、誰かに、何度でも確かめてほしい。そういう目だった。

 最後に、アンキロサウルスの鬼——岩砲(がんぽう)

 重い装甲を鈍く鳴らしながら、盤角の隣に膝をつく。右肩の砲門のような装甲が、本人も気づかぬうちに震えていた。怖くはない、と自分に言い聞かせていた。

 退学になったって、学校なんか最初から合わなかった。友達の動画にたまたま映り込んだだけで、なんで自分まで。——もう、「なんで」と言える場所がなかった。

 ただ、壊したかったのだ。ただ、何かひとつ。その怒りに名前をつけてくれる者が、これまでいなかっただけで。

 だから、ここがある。

 四つの影が、広間の床に並んだ。

 雨音だけが、沈黙を埋めていく。

 ──────────

 美里が、口を開いた。

「滄爪」

 呼ばれた滄爪が、顔を上げる。

「はい、美里様」

「あなたは、ただの戦士ではないわ。戦場を読む目がある。水の流れを操るだけでなく、人の心の流れも読める。——それは、刀よりも厄介な才能よ」

 滄爪は、笑みを深めた。

「光栄です。もっとも——光栄という言葉ほど、扱いに困るものもありませんが」

 牙蓮が、壁際でわずかに眉を上げた。初対面の鬼が美里の前でその軽口を叩く度胸に、少しだけ興味を持ったらしい。

 美里は、咎めなかった。

「謙遜は不要。あなたには、覇竜十傑(はりゅうじゅっけつ)の席を与えるわ」

 広間の空気が、ほんの少しだけ揺れた。

 霧香が、閉じていた鉄扇をわずかに開き、また閉じた。それが彼女の、了承の仕草だった。

 滄爪は深く頭を下げ、すぐに顔を上げた。

「ありがたく。あなたの盤面に加えていただけるなら——十彩獣団(じゅっさいじゅうだん)の仲間ごっこを、内側から壊してご覧に入れます」

 少しだけ間があった。

 滄爪の目が、一瞬だけ細くなる。何かを思い出すような、あるいは、ずっと前から知っていた何かを確かめるような、そういう目だった。

「一人だけ、楽しみな相手がいますからね」

 誰のことか、彼は言わなかった。

「期待しているわ」

 美里の声は、優しかった。優しかったからこそ、そこに含まれた刃は、見えにくかった。

 ──────────

 美里の視線が、棘王へ移った。

「棘王」

 棘王は、無言のまま、もう一段深く頭を下げた。

「あなたも、覇竜十傑に加えるわ」

 その瞬間、床についた棘王の拳が、かすかに震えた。

 怒りではなかった。

 喜び、とも違った。

 それは、もっと濁った感情だった。

 長いあいだベンチに座らされ続けた者が、ようやく名前を呼ばれたときの——喜ぶ作法を、もう忘れてしまった者の、傷だらけの震えだった。

 清王学園バスケ部。補欠の席。

 隣のコートでシュートを決め続ける後輩の、涼しい横顔。

 何度練習しても縮まらない差を、「努力が足りない」と片付けた大人たちの顔。

 全部、この拳の中にある。

 棘王は、低く、短く言った。

「……戦います」

 それだけだった。

 美里は、その短さを気に入ったように、目を細めた。

「それでいいの。あなたに長い言葉は求めていない。あなたをベンチに座らせ続けた世界も、その名前も——まとめて、正面から叩き潰しなさい」

 棘王の背中の帆状装甲が、青黒く発光した。

 その光は、涼やかではなかった。梅雨の夜、街灯の消えた水たまりに映る空のように、暗く、重く、底が見えない。

「……俺は、もう、座らない」

 広間に、その一言だけが、石のように落ちた。

 滄爪が、横目で棘王を見た。

「頼もしい。正面を壊してくださる方がいるなら——僕はその横から、首だけを取りに行けます。役割が噛み合うというのは、気持ちのいいものですね」

 棘王は、返事をしなかった。

 その沈黙は、否定ではなかった。半分は、了承だった。

 美里は、その二人のやり取りを、満足げに見ていた。

 水の知将と重戦車。読む者と壊す者。

 ——この二枚は、本物だ。

 心の中で値踏みを終え、美里の視線が残りの二人へ移った。

 ──────────

 盤角と岩砲。

 二人は、明らかに緊張していた。盤角の骨板が落ち着かない子供の貧乏ゆすりのように小刻みに光る。岩砲は胸を張って見栄を作ろうとしていたが、烈王や棘王の巨体の前では、どうしてもひと回り小さく見えた。

 滄爪が、さりげなく二人を一瞥した。

 仲間を見る目ではなかった。

 新しく届いた道具の性能表を読み上げる目だった。何ができて、何ができないか。どこまで使えて、どこで壊れるか。それだけを、静かに測っていた。

 盤角と岩砲は、気づいていなかった。

 牙蓮が、退屈を持て余したように口を開いた。

「で? その騒がしい二匹も、十傑に入れるわけ? ずいぶん安くなったものね、うちの席も」

 盤角と岩砲が、びくりと身を硬くした。

 美里は、ゆるやかに首を横に振った。

「いいえ。盤角と岩砲は、まだその器ではないわ」

 盤角の表情が、わずかに曇った。

 岩砲が、不満げに歯を食いしばった。

 だが、美里はその曇りが沈みきる前に、すぐ次の言葉を重ねた。

「けれど、役目はある」

 その一言で、二人は、また顔を上げた。

 ぶら下げられた言葉ひとつで、表情が浮いたり沈んだりする。それこそが、美里が彼らを「駒」と断じた理由だった。

 牙蓮が、そのやり取りを横目に見て、無言のまま視線を外した。その目に浮かんだものが——軽蔑だったのか、それとも別の何かだったのか、この広間では誰も気にしなかった。

 ──────────

 美里は、ゆっくりと立ち上がった。

 広間の鬼たちが、一斉に頭を下げる。

 彼女は四人の前を、静かに歩いた。

 草履の音が、一歩ずつ確かに鳴る。

 滄爪の前で止まった。

「あなたは、十彩獣団の頭脳を壊しなさい。瓜生翼(うりゅうつばさ)——彼は、必ずあなたに反応する。旧い知り合いというのは、いちばん深く斬れる刃よ」

 滄爪は、わずかに目を細めた。

「旧友との再会、ですか」

 一拍の間があった。

「……丁重に、沈めてみせます」

 棘王の前へ。

「あなたは、力を示しなさい。あなたを補欠にした学校そのものを、あなたの斧で塗り替えなさい」

 棘王は、無言で頷いた。

 その拳が、また、かすかに震えていた。今度は、怒りだった。

 盤角の前へ。

「あなたは、人々の視線を集めなさい」

 盤角が、勢いよく顔を跳ね上げた。

「はい、美里様……! 俺たち、必ず、やってみせます!」

 岩砲の前へ。

「あなたは、騒ぎを大きくしなさい。大きければ大きいほど——十彩獣団は、動かざるを得なくなる」

 岩砲が、笑った。

「任せてくださいよ。そういうの、得意なんで」

 美里は、最後にもう一度、四人全員を見渡した。

 そして、優しく微笑んだ。

 その笑みを、盤角と岩砲は、救いだと思った。

 滄爪だけが、その笑みの構造を正確に理解していた。

 ——清王学園にぶつければ、十彩獣団の連携の癖が見える。誰が誰をかばい、どこで足が止まるか。盤角と岩砲の暴れっぷりが、勝手に弱点の地図を描いてくれる。地図さえ手に入れば、描いた筆は、捨てていい。

 感謝されて死ぬのは、ただ死ぬより残酷だ。

 それでも滄爪は、何も言わなかった。

 言う必要がなかった。

 ──────────

 四人が去ったあと、広間には美里の言葉だけが残った。

「この世界には、三つの道がある」

 盤角と岩砲の背中に向けて、美里は語っていた。いや——正確には、四つの壁に向けて、語っていた。

「進学と、就職と——鬼になること。最初の二つは、誰かが決めたルールの中で生きることよ。評価されて、序列に並んで、役割に固定されて。あなたたちは、そのルールで、切り捨てられた。でも、切り捨てたのはルールよ。あなたたちに、価値がなかったわけじゃない」

 誰も、もうそこにいなかった。

 それでも美里の声は、雨音に混じって、広間の暗がりに染み込んでいく。

「第三の道は、そのルールを壊す道。選ばれなかった者が、選ぶ側へ回る——たったそれだけのこと」

 一拍の沈黙。

「あなたたちは今夜から、評価される側じゃなく、評価を決める側よ」

 その言葉の、どこが嘘だったのか。

 どこが本当だったのか。

 明確に分けられる者など、この広間にはいなかった。

 ──────────

 霧香が、静かに言った。

「この作戦は、失敗します」

「知っているわ」

 美里は、当然のように答えた。

「滄爪と棘王は助ける。盤角と岩砲は——捨て駒でいい」

 誰も反対しなかった。

 それが、金津美里の軍団だった。

 広間の隅で、巨響が手元の帳面に短く書き留めた。

 滄爪と棘王——使える枚数。 盤角と岩砲——損耗許容範囲。

「廃棄可」。

 巨響は、何も感じていないように見えた。感じていたとしても、帳面には書かなかった。

 ──────────

 美里は、また一人になった。

 雨音だけが、傍らに残された。

 恐竜という生き物が、かつてこの土地に眠っていたのは偶然ではない。福江の地層は、原初の暴力を、いまも記憶している。倫理も法も持たぬ力だけの王たち——絶滅した側ではなく、絶滅させた側。

 選ばれなかった者が、力さえ手にすれば「選ぶ側」へ回れる。

 美里の思想は、この土地の古い記憶と、不気味なほど噛み合っていた。

「清王学園に——雨を、降らせるの」

 広間の空気を、静かに吸い込むように。

 美里は、一人でそう呟いた。

 その声に、怒りはなかった。

 熱もなかった。

 あるのは、完全な確信だけだった。

 ──────────

 しばらくして、広間に静寂が戻った。

 雨音は、強さを変えていなかった。

 ただ、その雨の中に——微かに、何かが混じり始めていた。

 金津邸の地の底から、あるいは、もっと遠い何処かから。

 それはまだ、音とも言えないほど小さかった。

 だが、確かにそこにあった。

 ──────────

 その夜、金津邸に降る黒い雨は、まだ誰にも気づかれていなかった。

 気づかれたころには——もう、止まらない。


ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

今回、一番時間をかけたのは、盤角と岩砲の扱いでした。

二人とも、いわゆる「分かりやすい悪役」にはしたくなかったんです。SNSの不適切動画で退学になり、家でも怒鳴られ、行き場をなくした少年たち。彼らがやったことは決して褒められることではないけれど、彼らを「最初から悪い奴」として書いてしまうと、美里という存在の怖さが半分死んでしまう気がしました。

美里が本当に怖いのは、彼女が誰かを脅して従わせているわけではないからです。

ただ「あなたには役目がある」と言うだけで、すでに切り捨てられていた人間が、勝手に救われたと思い込んでしまう。そこに、彼女の冷酷さの本質があります。

霧香が「この作戦は失敗します」と告げて、美里がそれを承知の上で実行する場面も、書いていて背筋が冷たくなりました。

失敗すると分かっている駒を、それでも平然と前に出す。これが、覇竜十傑というチームの土台にある空気です。十彩獣団とは、根本的に違う組織だということを、ここで示せたかなと思っています。

巨響が無言で帳面に書き留める「廃棄可」の二文字も、地味ですが、お気に入りの一文です。誰も声を荒げないからこそ、その静かな処理のほうがずっと怖い。そういう狙いで書きました。

次話、第4話は「第三の進路」です。

美里が盤角と岩砲、そして去っていったはずの広間の壁に向けて語った思想――進学でも就職でもない、第三の道。あの言葉の正体を、もう少し深く掘っていきます。

なぜ拒否が許されないのか。なぜ、この思想に逃げ道がないのか。

そこを正面から書く話になりますので、ぜひ続けて読んでいただけたら嬉しいです。

感想・評価・ブックマーク、いつも本当に励みになっています。一言でも届けてもらえると、次の話を書く手が速くなります。

また次の話で、お会いしましょう。

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