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雨龍覚醒――銀の空を呼ぶ少女  作者: 孔雀丸


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第2話「雨を待つ街、恐竜の影」

雨の日の街って、なんか違いませんか。

晴れてる時には気にもしなかったものが、雨の日だと妙に目に入る。


看板の文字。シャッターの絵。


飾り棚に並んでいる小さなもの。

福江市にとって恐竜は、ずっとそこにある「普通」でした。


誰もが子供の頃から慣れ親しんで、疑いもしなかった「普通」。

でも今日の慎悟には、その「普通」が——


少しだけ、違う顔に見えます。

今回は戦闘ゼロ。


叫びも、変身も、なにもありません。


ただ、二人が商店街を歩くだけ。

それでも、この話を飛ばさないでほしいんです。

この章が、後から効いてくるから。

ゆっくり読んでいってください。

 店を出た瞬間、雨の匂いがした。

 湿った地面の匂いではなかった。 もっと深い——地面の下の、暗いところから上がってくるような、重い匂い。

 慎悟(しんご)は立ち止まり、空を見上げた。 低い雲。滲む街灯。 傘を差した人々が、信号を待ち、スマートフォンに目を落として歩いていく。 普通の日曜日が、ごく普通に続いている。

 なのに、街全体が——息を吸ったまま、止まっていた。

 ムーンバックスでの時間は穏やかだった。

 南海(みなみ)が最近観たというロードムービーの話。 老人が昔の恋人を探して旅をして、結局会えないまま終わる映画。

「でもね、それがよかったの」

 南海は、少しだけ遠くを見る目をした。

「おじいさん、最後に笑ってるの。会えなくても。きっと、走ってる時間そのものが、もう会いに行けてたんだと思う」

 慎悟は、その言葉を口の中で転がした。 走っている時間が、もう会いに行けていた。 南海はときどき、こういうことを何でもないみたいに言う。 そして慎悟は、その言葉の重さを、後からゆっくり実感する。

 あの日から——校舎裏で恐竜の鬼に初めて出会ったあの日から——慎悟には、穏やかな時間を指先で確かめるような癖がついていた。 この日曜日は本物だ。 今ここにある笑い声は本物だ。 そう、誰に言うでもなく、静かに確かめながら。

 ——失いたくない、と思う。 言葉にするほどのことじゃない。 ただ、確かに、そう思う。

「こっち、ちょっと遠回りしてもいい?」

 店を離れる頃、南海が商店街のほうを指した。 「雨、濡れずに歩けるから」

「ああ」

 アーケードの屋根が雨音を受け、二人の周りで低く響いていた。 折りたたみ傘とコンビニのビニール傘が、並んで歩くたびに縁を触れ合わせた。

 福江市の商店街には、どこに行っても恐竜がいる。

 土産物屋の棚に、四種のフィギュアが並んでいた。 細長い頭のバリオニクス。背びれの高いスピノサウルス。背中に骨板を並べたステゴサウルス。重い装甲に覆われたアンキロサウルス。 それぞれが小さく笑うような顔をして、棚の端に揃っている。

 クリーニング店のシャッターには、色あせたトリケラトプスの壁画。 和菓子屋の「恐竜まんじゅう」ののぼり。 子供たちが最初に覚える、巨大な名前。 この街が長年かけて積み上げてきた、誇りと親しみのかたち。

 晴れた昼間なら、ただ可愛いだけのものだ。

 でも今日は——。

 シャッターのトリケラトプスが、雨の反射でぬめって見えた。 のぼりの輪郭が、湿気で滲んでいた。 フィギュアの四体が、棚の端からこちらを向いている。

 観光のための作り物だ。分かっている。 分かっていても、今日は違った。 親しみのはずのものたちが、薄く皮を剥がれて、その下にある別の何かを——見せ始めているような気がした。

「ねえ、慎悟くん」

 南海が、ふと足を止めた。

「この街って、こんなに恐竜だらけだったっけ」

「……昔から、だろ」

「うん。昔から。だよね」

 自分に言い聞かせるように繰り返して、南海は袖口をそっと握った。 考え事をするときの、彼女の癖だ。

「でも今日は、見られてる気がする。なんか……こっちのことを、知ってるみたいな」

 慎悟は、何も言えなかった。 同じことを、さっきから感じていたからだ。

 南海がちいさく息を吐いた。 胸元を、無意識のように押さえている。 「ごめん、変なこと言った」 「変じゃない」

 それだけ答えた。 南海は何も返さなかった。ただ少し、傘を持っていないほうの手を慎悟の腕に添えた。 強く掴むわけでもなく。ただ、触れているだけ。

 アーケードを抜けると、駅前広場が広がった。

 正面の大型画面に、全身骨格が映し出されていた。

 薄暗い展示室。灰色の照明。 長い頸椎、湾曲した肋骨、地を踏みしめる太い後肢。 骨格は完全に静止している。 ただ——雨が画面の表面を伝って流れ、映像がわずかに揺れた。

 その一瞬。

 肋骨が、ゆっくりと広がった。

 眠っていたものが、息を吸い込むように。

 慎悟は反射的に足を止めた。 傘の柄を握る指に、力が入る。

 次の瞬間には研究員が刷毛を使う場面に切り替わり、柔らかいフォントのテロップが流れた。

 ——福江市恐竜展、開催中。

 ただの映像だ。ただの宣伝だ。 夏の催しの告知で、子供たちを笑顔にするためのもの。 分かっている。

 でも、その言葉は——胸の底のどこかに引っかかったまま、落ちていかなかった。

「慎悟くん」

 南海が、傘の下から慎悟を見上げた。 表情は穏やかだった。 でも、その目は何も見逃さない。

「……何でもない」

「うん」

 南海は何も追わなかった。 代わりに、傘を持っていないほうの手を、慎悟の腕に少しだけ力を込めて添えた。

「帰ろっか」

「ああ」

 二人は駅へ向かって歩き出した。 傘の群れが、灰色の街をゆっくりと流れていく。 声は減っていない。車も走っている。 バスも、時刻表どおりに来る。

 それでも、街は——吐き方を忘れたまま、息を止めていた。

 改札の手前で、慎悟は一度だけ振り返った。

 雨の匂いが、また強くなった。 さっきとは違う。 降り続ける空からではなく——もっと深いところから、地面の下から、じわりとにじみ上がってくるような、あの匂いだった。

 ──────────

 その雨は、まだ何も壊していなかった。

 ただ、地面のずっと奥で——何かが薄く目を開けて、雨の音を数えていた。

 眠っているふりをしながら。

 四体の気配が、街の骨の中で動き始めていた。


読んでいただき、ありがとうございました。

街が「息を吸ったまま止まっている」感じ、伝わりましたか。

慎悟はあの日から——恐竜の鬼と初めて出会ったあの日から——穏やかな日常を指先で確かめるようになった。


南海も、きっと同じです。


二人は言葉にしないけど、お互いにそれを知っている。

恋人って、そういうものだと思うんです。


言わなくても、分かってる部分がある。

土産物屋のフィギュア四体——バリオニクス、スピノサウルス、ステゴサウルス、アンキロサウルス。


第1話でも出てきた、あの四つです。


気づいた方、鋭い。

次回は場面ががらりと変わります。

雨の金津邸。


薄暗い広間に、新しい鬼たちが集まります。

金津美里が、どんな目で彼らを見ているのか。


彼女の言葉が、どれほど冷たくて——どれほど正確なのか。

第3話「金津邸、黒い雨」、お楽しみに。

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