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僕は勇者

「ヴァンの抗いを拒絶して、複製された悲嘆の拒絶(レプリカントナハト)


「がぁあああああああああああぁあああああぁああ!?」


 変化は直ぐに訪れた。彼女のささやきと共にレプリカントナハトから広がる亀裂の侵食が僕の体を飲み込んだ。その瞬間、自分の体の中のもう一人の僕が暴れ出す。別に今まで力で押さえ込んでいた訳ではなかったが、左半身だけで済んでいた漆黒化が急速に右半身にまで及んでいく。同時に意識は遠のいていき、感情が薄れていく。


「何を…………しているんだ」


「何って、お手伝いだよ。このままだとヴァンは死ぬ。アリスも死ぬ。王国は滅びる。それはあなたの本望じゃないでしょ、ヴァン。だから無駄な抵抗を取り払って、私と戦える力を与えようとしているんだよ」


 レプリカントナハトを手放して、彼女は両腕で僕の体を抱きしめた。右腕を僕の首に、左腕を僕の腰に回してお互いの体を密着させる。僕の胸と彼女の胸が触れあい、押し合う。女の子の柔らかさや、彼女の不気味さに僕は動揺し、慌てているというのに僕の心臓の鼓動は彼女より遅い。まだ確かに僕の心は僕の物なのに、感情だけが高ぶり心臓は機械のように一定のリズムで脈を刻む。


「ほら、私に身を任せて。そのまま力の奔流を抑えないで。大丈夫、大丈夫だよ」


「ヴァンさんから離れてッ!!」


 薙刀を振り回すアリスがレベッカに刃を向ける。しかしレベッカは反応すらしない。アリスの一撃が彼女に届きそうなところでまたもレプリカントナハトが叫ぶ。アリスの動作は止まり、再度攻撃をしようにもその動作は完全に中断される。薙刀を捨て僕に手を伸ばしたアリスだったが、その手が侵食された空間に触れた瞬間、壊死するかのように崩壊しかけた。それに驚き咄嗟に手を引いたアリスを見て、レベッカは言う。


「今私たちを覆うこの空間はレプリカントナハトによって拒絶している。何者であろうとも、その存在は拒絶され留まり続けることは出来ないよ」


 その言葉を聞いたアリスはぎっと唇を噛んで立伏せるしかなかった。


 僕の侵食は凄まじい勢いで進行し、抗おうにもその意思が拒絶されてしまう。恐ろしい形相になって格闘しているであろう僕をレベッカは抱きしめ続けた。


 彼女は身を捩り、背中を擦り、足を絡め、首筋に唇を這わせる。そのたびに吐息が僕の肌を撫でている。そんな行為の一つ一つにさえ、僕は既に何も思わなくなってきていた。感情の欠落が、もうすぐそこにあった。


 ただ右腕だけはまだ動く。レベッカの両の腕が僕の肩に置かれ、拘束力が弱まったその瞬間を狙って僕は彼女の体から自分を引きはがすように押し飛ばした。

レベッカを押し飛ばすことは叶わず、自分の体を押し飛ばすような形になった僕の体は、一瞬レプリカントナハトの領域を通り、直ぐにその外に出る。アリスが駆け寄ってきて安否を伺うが、それに応答する意識も感情も持ち合わせてはいなかった。もう九割が別の自分になっていたのだ。


「やっぱりヴァンはすごいね。レプリカントナハトの拒絶を受けて尚抗うんだもん。でもその力どこから湧き出るの? 何でそうまでして力に抗うの?」


「…………僕は、自分の力でこの国を救う。それが、勇者である僕の努めだからだ」


「でも自分の力ではこの国どころか目の前の女の子さえ救えないよ。それなのに力を使わないのは傲慢じゃないかな」


「なんだって…………」


 レプリカントナハトを持ち直して、彼女は続ける。


「受け入れれば得られる力がある。その力があればこの国を救えるかもしれない。それなのにその力を拒み、拒絶し、受け入れない。その理由が自分の理想とする勇者に近づくため。それは勇者という責任から逃れているんじゃない?」


 彼女が一歩踏み出す。


「この戦争を自分の理想体現に使い、その観念に捕らわれる。さぞかし気分は良いのかもしれない。誇りもあるのかもしれない。でもそれは、他人から見れば醜い固執に過ぎない。【勇者】という抽象的な概念に捕らわれた、無様な入れ物だよ」


 僕の体が強ばる。寄り添うアリスすらも震えている。反論しようとすれば出来るのかもしれない。だが、言い得ない重圧が降りかかって口が開かない。


「ヴァンは何を持って勇者とするの。何を持って自分を正義と位置づけるの。勇者という酷く残酷な概念を持つ器として、何を正しいとするの」


「…………信念を持つこと、だ」


 レベッカの足が止まる。侵食が進み行く中、僕は頭を垂れたまま言葉を紡ぎひねり出す。


「僕は自分が勇者である事に信念を抱いている。その信念を失えば、いつか感情と欲望に殺される。国を救いたい、皆を助けたい、その確固たる信念が、僕を勇者であり続けさせてくれるんだ!!」


「その信念があったとして、救えなかった現実に意味はあるの!?」


 感情を感じた。レベッカの感情を今日初めて感じた。僕は目を伏せたまま、目を合わせないまま拳を握り、唇を噛み締める。


「救えない現実に意味はないかもしれない。でも、救った現実があったとしてもそれが勇者たる信念に基づいていないのなら、国を滅ぼそうとする信念に打ち勝つ信念でないのなら、それは救ったことにはならない。寧ろ悲惨な未来へ道連れにしているのと同じなんだ――」


「それが偽善だと何で分からないッツ!!」


 頭を上げていなかったから、何が繰り出されるのか分からなかった。見ると、腹部をレプリカントナハトが貫いていた。アリスが泣き叫ぶようにレベッカに手を伸ばすが、やはり届きはしない。レプリカントナハトは未だ静かだが、拒絶の侵食が始まれば間違いなく僕は死ぬ。


 でも、今は僕の命なんて大した意味がなかった。彼女の顔を見る。その目には涙のような物が見えた。


「救えない命に何の意味がある!! 力で得る命に意味なんてないって言うの!?」


「そうだッ!!」


「うっ――――!?」


 残る感情を爆発させるように僕は叫ぶ。そうしないと、飲み込まれてしまいそうだから。そうすることで、何かが変わると信じていたから。


「人を殺めるという事がいけないことなんだと、仲間と争うことが間違ったことなんだと、そう心で思い感じることが出来ないのなら、それは救ったとは言えない。力に押しつぶされ、皆を殺しているのと同じだッ!!」


「黙れッ、偽善だ!! 死んでしまっては意味がない!! だから人は自分を―――そして皆を守るために特別な、全てを超越した力を欲し、その力を行使するんだッ」


 レプリカントナハトの拒絶が始まる。碧いラインが共鳴し、侵食が始まる。僕の体が侵されていき、感情が押し殺されていく。体が崩壊してくかのように軋み、痛む。


「がぁアァああ!?」


「ヴァンさん!? …………お願い、もう止めて!! 同じ国に住む同じ人間なのに、こんなの悲しすぎる……」


 僕の右目からは涙がこぼれ落ちていた。でも一方で口は獰猛に歪み、喘ぐように空気を求める。左目は漆黒に染まり今すぐ全てを食い散らかそうとしている一方で、右手は左腕を押さえて震えている。僕は格闘していた。もう一人の自分、力を持つ無感情無欲の魔神と。


「必ず後悔する、救える命は何をしてでも救っておけば良かったって、必ず思うときが来る!! それがヴァンには分からないのッ!?」


 光が増し、僕の体にヒビが伝わる。ただでさえ抑えるのも限界というのに、拒絶の侵食は止まらない。命の鼓動を拒絶されればそれでおしまい。


 それでも僕は戦い続けた。もう一人の僕の暴走を押さえつけていた。


「もう良いですヴァンさん!! もう堪えなくても良いんです!! あなたの思い、信念は私が見届けます、私が証明します。だから、…………死なないで、生きて、勝って!!」


「――――勝つよ」


 アリスの嗚咽が聞こえた。アリスは僕に無欲の世界を使い、勝ってほしいと言っているのだろう。無欲の世界は別に危険な力ではない。使ったところで、僕の命が危険にさらされる訳ではないのだ。もう何度も使用していることから、それは分かっている。でも、この戦い(・・)だけは違うんだ。


「いつか勝つ、今は勝てなくてもいつか勝つ。だから僕は今、力を使いはしない。それは勇者として間違っているのかもしれない、全ての人の救いにはならないのかもしれない。それでも、僕は僕の信念に従う。勇者に、こうあるべきなんて定義はないんだ。僕は僕自身の信念で勇者に――正義にじゃない、勇者になるんだッ!!」

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