複製された悲嘆の拒絶
振り下ろされた二対の剣、その一撃を躱す術など僕には残されていなかった。だが、僕の左半身だけが僕の意識の外で突き動かされたように左手を奮い上げる。左手に握るは何の変哲もない剣、振り下ろされる剣はまるで比べものにならない大きさだ。だが、その片腕だけで二対の剣を御しきってしまう。衝撃すら感じない、間違いなく自分の腕なのにまるで別の誰かが代わりに操っているような、そんな感覚だった。
「え…………なんだこれ」
僕はふと自分の左腕を見た。その腕は漆黒に染まっていた。黒なんて表現では生易しい、完全な闇に染まっていた。鍔迫り合いをするまでもなくレベッカの剣をはじき返した僕の左腕、その手が握る僕の剣には僕の顔が映っていた。
「…………どういうことだよ、意味が、分からないぞ」
その剣に映る僕の顔は、腕と同じように左側だけ闇に染まっている。よくよく見てみると、体の左側は全てを飲み込んでしまうような暗闇、そこに体があるかどうかも分からないくらいの色合いだった。だが同時に、左側だけ傷が完治している。
「まさか、無欲の世界か…………」
右手に力を込める。痛みこそあれど、手を握ったり開いたり出来る。では左腕はどうだろうか。
「………………」
言うことを聞かない。力を込めようにも、そもそも自分の体が右半身で終わっているとしか思えない、左半身が存在していることを感覚として認知できないのだ。それでも僕という存在の意識はまだ僕自身が保有している。感情も気持ちも、ちゃんと僕には残されている。
「ヴァンさん、その体…………どうして」
視線をやるとそこにはアリスがいた。まるで僕が立っていることが不思議でならないような、そんな驚きに満ちた表情だった。僕は右腕で左胸の辺りを擦ってみる。心臓の鼓動は確かに響いていた。だが僕は覚えている、鳥の羽、そして騎士の一撃が心臓を貫いていたことを。
「分からない、でも……たぶん無欲の世界、もう一人の僕の力だ」
アリスはこの力を知っている。だが、このパターンは僕も初めてなのだ、アリスも戸惑っているのだろう。それでも、アリスは僕が立ち上がったこと、その事実に素直に喜んでいるようだった。僕も複雑な心境だったが、まだ意識がある事でなんとか感情に折り合いをつける。
レベッカの方を見やると、そこには地面に立つ彼女がいた。最後の鎖、その一本が砕け散る。先ほどまで暴れ回っていた鳥の羽や騎士は皆消え去っており、彼女の足下にはいくつもの古びた武具が落ちている。息を荒げたレベッカは、うつろな瞳で僕のことを見据えていた。
「私を苦しめないで――最後の願いが成就したよ。これで私の願望魔法が効力を発揮して、武器の封印もろとも全てを解き放つ」
傷付ける事は叶わず、近づくことは出来ても直ぐに離される。愛する余裕なんて無く、その三つの封印が解けたことでレベッカを苦しめる封印の力が弱まり苦しみさえ感じなくなった。彼女の封印は全て解き放たれてしまった。
大地が鳴動していた。レベッカの足下に散らばったいくつもの武具が集まっていく。どこからか吹きすさんだ風が彼女の髪をなびかせ、その表情を揺れる髪が隠す。魔法のような力で結合していくその武具は、槍のような形状をしていた。先端は丸くなっており、砲塔を持った槍、そんなイメージ。
全体的に黒いその槍には碧いラインが亀裂のように走っている。レベッカの身長と同じくらいの大きさになったところで、その武器は封印から完全に解放される。
巻き付いていた縄のような物が千切れ落ち、その武器はこの世界に顕現した。
「今こそ力を示す刻――大地を見下ろし、天空を飲み込み、万物を拒絶する。何物も許さない、全てを嘆きと悲嘆の渦で乖離する。啼き叫ぼうか、複製された悲嘆の拒絶」
レベッカの手に封印から解き放たれた武器が渡る。どんな一撃が飛んでくるのか、腰を落としたそのとき、後方からすさまじい勢いでレベッカに近づく存在があった。
「許さない、ヴァンさんを一度殺したその罪、絶対に許さないッ!!」
「待てアリス、早まるな!!」
薙刀を振りかざして獣が如く速度で飛び出していったアリス。止めようとしたが、そんな速度の彼女を止められる訳がない。咄嗟にレベッカの方を見ると、その槍を振りかぶり身構える彼女の姿があった。
「封印武具の解放に恐れないなんて、肝が据わってるんだね」
「はああああああああああああああああああああああああッ!!」
人知の外の領域、それほどの速度で風を切るアリスに対して、レベッカはレプリカントナハトを突き出す。だが、そのタイミングは少し早い。彼女に槍を突き刺すのではなく、彼女の目の前に槍を見せつけるかのように、突き出した。
「否定し、拒絶しろ、複製された悲嘆の拒絶!!」
武器に亀裂のように走る碧いラインが呼応する。その光が満ちあふれたとき、レプリカントナハトの先端が空間に干渉した。まるでこの世界にヒビを入れているような、そんな光景だった。堅い物を爪でひっかいたような、居心地の悪い啼き叫ぶような悲鳴が轟く。
するとあれだけの速度で飛んでいたアリスの体がその空間に飛び込んだ途端、急停止する。最初から止まっていたかのように、慣性もなく停止したのだ。優雅に着地したアリスに、レベッカは微笑んで見せた。
「アリスに用はないよ」
続けて、地面にレプリカントナハトを突き刺したレベッカ。碧いラインはまたもレベッカの呼びかけに応じるようにその力を示した。突如として地響きが轟き、アリスの足下の大地が隆起する。アリスに牙を剥くかのように、尖った大地が競り出てきてアリスの体を貫こうとする。だが最初の些細な揺れを感知したアリスは咄嗟の判断で後方に大きく跳び、その一撃を回避した。
その光景を見届けた後、僕の左半身が暴走し、レベッカに攻撃しようとする。その力が右半身にも及び始め、黒い領域がどんどん広がっていく感覚に襲われる。
「クソッ、だめだ、言うことを聞けッ、あアァァガァ!!」
自分でも信じられない速度で飛び出していた。見る見るうちにレベッカとの距離が縮まっていき、あっという間に剣が届く距離になる。レプリカントナハトが突き出される刹那、僕の体は勝手に跳躍してレベッカの頭を飛び越える。そのまま彼女を背に捉えて、逆手に持った剣を突き出した。だが、
「私には届かないよ。拒絶して――複製された悲嘆の拒絶」
僕とは正反対の方向に突き出された槍が不気味に輝く。その浸食は彼女の背下にいる僕の剣にまで及び、剣が彼女に触れる前に空間の亀裂が割って入る。その瞬間、啼き叫ぶような悲鳴と共に僕の攻撃はなかったことにされ、力なく放り出されたように僕の体は崩される。
「もうちょっとだね、早く侵されちゃえば良いんだよ、身を委ねちゃえば良いんだよ。その漆黒に」
妖艶な微笑みを浮かべて、レベッカは囁いた。そして、僕の体を抱きしめる。武器を持たない方の手で、僕の体をがっしりと抱いて体を押しつけてくる。柔らかい肌、温和な香り、包み込むような温かさ、確かにその全てを感じた。
何をしているのだろうと、率直に思った。僕を特に忌み嫌う、そんなレベッカからは考えられない抱擁だった。頬と頬がふれあう距離、僕の耳元で彼女は囁く。吐息混じりに、悩ましげに、レプリカントナハトを鳴動させて。
「ヴァンの抗いを拒絶して、複製された悲嘆の拒絶」




