安堵と落胆
「ヴァンさん危ないっ」
そんな言葉が聞こえてきたような気がした。後ろの方から走ってくる足音と目の前に迫ってくる鳥の羽、どちらが先か。そんな些細な順番の違いで生きるか死ぬかが決まってしまう。
そして若干早かったのは足音の方だった。一瞬のうちに首元のあたりを持ち上げられてその場を脱する。僕がいた場所は一瞬のうちに鳥の羽で埋め尽くされ、地面が抉り取られる。そこまで見て、ようやく感情が元通りになった。一度大きな身震いをして、自分を助けてくれた存在を確かめる。
振り返ると、そこには気高き毛並みが見えた。凛々しき瞳は元々光を閉ざしていたが、今では美しいハイライトを灯している。
「あ、アリスぅううぅうう!!」
「はい、アリスです!! 助けに来ましたよ、ヴァンさん!!」
少し離れたところでアリスはゆっくりと僕を地面におろしてくれる。その大きな体躯で僕を庇いつつ、鼻のすっと伸びた狼を彷彿とさせるその顔を僕に摺り寄せてくる。
「言われた通り来ました、私偉いですか?」
「おおっ、偉い偉い超えらいぞ!! あと少し遅かったらもう死んじゃってたかもしれないよ、本当にありがとう」
暫し至福のもふもふタイム到来だった。ただ現状アリスが体を巻いて僕を守っているだけで、戦いは継続中だ。クンクンと可愛らしく鳴くアリスの鼻にそっと額を合わせて落ち着く。アリスもそんな僕を見てある程度事の深刻さを察してくれたらしかった。
「アリス、現状はすごい複雑で説明している暇はない。ただやらなければいけないことは決まっている。あそこにいるレベッカに近づき、攻撃を与えなければいけない。僕はあの鳥の羽にやられて歩くのも辛い状態なんだ」
「じゃあ私の背中に乗ってください。あの鳥の羽を躱しながら接近すればいいんですね、問題ないです」
「油断はするなよ、あの鳥の羽はおかしな挙動を取る。そしてあのレベッカを守る二対の剣、あれも未知数だが確実に恐ろしい武器だ」
アリスは僕の首を軽く噛んでそのまま自分の背中に乗せる。するとそれまでアリスの体で遮られて見えなかったが、鳥の羽が四方八方に飛び散り円弧を描きながら迫っていた。回転をしながら迫り来るそれは見た目以上の速度で接近していると思われた。
「翔けます!!」
勢いよく唸ったアリスは一蹴り、風圧で目を開けているのが厳しいほどの加速を見せて一瞬のうちに鳥の羽を置き去りにする。と言っても、鳥の羽も急旋回して追尾の軌跡を描いている。いつまでも逃げているだけではレベッカに肉薄することはできないため、少々無理を強いる。
「アリス、後ろから来る鳥の羽の軌道は僕が教える。アリスはとにかくレベッカに接近してくれ!!」
「分かりました」
アリスはまるで鳥の羽への心配をしていないようだった。その信頼に感謝しつつも、責任を感じる。飛来する鳥の羽は軌道がよめないが、ギリギリまで引きつけて直前の挙動を察知、予想する。
前後左右、ときにはジャンプなども織り交ぜて縦横無尽に回避する。僕の言葉にいちいち正確に反応するアリスに改めて驚いた。
そうこうしているうちにあれ程近づくことができなかったレベッカがもうすぐそこまで迫っていた。鳥の羽は後方で再度展開し直しているところ、攻めるなら今だった。
「アリス、後ろ足で跳ねて僕を飛ばしてくれッ!!」
「えっ、でも――」
「それが一番早い、急いでっ!!」
その後の反応はすぐだった。アリスは瞬時に体勢を整えて大きく後ろ足で地面を蹴る。すると前足だけで立つような格好になり、背中に乗っていた僕の体は大きく前方に投げ出される。
「危ないッ!?」
直後、アリスの嘆きが聞こえた。気がつくと二対の剣が内側から外側へ切り開くような動きで迫っていた。だが今の僕は落ちついていた。振り抜かれる二本の剣、その剣は縦に重なっていたが、その真ん中、剣と剣の間に人一人分の隙間が空いているのが見えた。僕は体を抱えて丸まる。出来るだけ小さくまとまる。
空を薙ぐ二刀、髪を掠めて、靴底をすり減らして、ミリ単位で躱しきる。これには僕も笑顔が漏れた。喜びのではない、恐れと緊張からの笑顔だ。
「やばい、死ぬかと思った」
そうは言いつつも、もうレベッカを守る物は何もなかった。剣を構える、刺突の構え。無理ない動きで一番の攻撃範囲を持つ方法。
「いっけええええええええええええええええええええええ!!」
言葉と呼応するように心臓が高鳴る。突き出した剣は迷い無き煌きを放ちながらレベッカへと突き向かう。彼女の背後で輝く魔法陣からは依然として雷鳴が轟くような音が鳴り響いていたが、そんなことすら気にならないほど今の僕はただ自分の剣先を見ていた。その剣先がレベッカを捉えるその瞬間を。
この切っ先が初めてレベッカを捉えたとき、その時が彼女の敗北の時。一撃で決める、そう思っていた。そしてその瞬間は着々と迫っていた――
――はずだった。
何も阻むものはない、レベッカと僕の間にあるのは僕の剣のみ。彼女を守る二対の剣は先ほど振り抜かれ後方だ。レベッカ本人は拘束されていて身動きが取れない。こんな状況で躱される、そんな訳がなかった。なかったはずなのだ。
それなのに、届かない。
剣戟が止められる。
「なッ…………」
僕の剣とレベッカの間に入ったのは騎士だった。だが騎士と言っても普通の騎士ではない。腰から下がない、半身の騎士だった。それも実体ではない、言うなればシャオフェイの気神のような、半透明の煙のような騎士だった。スピアランスと丸い盾を持っており、割って入ったそいつはその盾で僕の突きを防いで見せた。空中で思わぬ妨害を受けた僕は体勢を崩し、そのままレベッカに届かずして地面に倒れる。突きを防いだ騎士はその反動で空気中に霧散するように消えたのだが、驚くべき光景はその後だった。
霧散して消えた騎士、騎士が消えたそこには空気の流れに乗ってゆらゆらと揺れる鳥の羽が浮いていたのだ。
「…………え、どういう」
慌てて振り返る。するとそこには信じられない光景が広がっていた。さっきまであんなに離れたところにいた鳥の羽がもう目の前まで迫っており、そして凄まじい速度で接近しながらその一つ一つが先ほどの騎士に変貌していくのだ。鳥の羽の表面に回路のようなものが顕現し、それが光り輝いて騎士になっていく。逆も然りだ、騎士の姿で迫りつつ、一瞬の内に魔法陣を展開しそれを通過することで鳥の羽へと姿を変える。
為す術がなかった。僕と騎士の間に阻むものは存在しない。
騎士のスピアランス、鳥の羽、合計十五の刃が一斉に飛びかかってきた。




