激動前――王国軍1
王国のすべてが動き出す前夜――ロストリオン王国軍では張り詰めた空気で満ち溢れていた。普段なら最低限の警備兵だけを展開し、重鎮や幹部は安全な一室で眠っているような時間だ。だが今はどうだ、部屋で休んでいるものなど誰一人いない、ヴェイロンでさえも軍事演習場に趣いている。その演習場には総勢500名にも及ぶ軍の精鋭が集まっていた。大きく四つの部隊に分かれており、それぞれその先頭にはウェントム、シャオフェイやリーベル、そしてもう一つはヴェイロンが率いる部隊だ。中には軍の人間だというのに黒いローブを羽織った十名も見られる。これからただならぬ事が起こることをそこにいる誰もが自覚しているようだった。
ヴェイロンは表にこそ見せないものの、内心はこの世が終わるかのような不安に襲われていた。彼はそれを隠そうとはしなかった。数百人の視線の集まる式台の上で、冷淡な男は弱さを垣間見せる。
「これから行われることが果たして良い事なのか。プラトー王国の未来に光を灯すのか、プラトー王国軍の成すべきことなのか。正直わからない」
その光景を皆固唾を飲んで見守っていた。月の光が満ち、朧な光が夜空の雲の輪郭を縁取る。涼し気な風は壇上の男を冷やかすように吹き散らかっていた。
「だが、そんな弱気なことを言っていられるのも今のうちなんだ、許してくれ。この作戦が始まれば私は修羅にならなければいけない、人間をやめなければいけないかもしれないんだ」
この作戦の大筋を知っている面々は誰も口を開かない。ピクリとも動かず、規律正しく整列している。あのシャオフェイでさえもだ。
「この空を見てくれ、この辺りは商業施設もなくなって星が綺麗だ。普段は仕事や修練ばかりで見る暇さえないというのに、皮肉なものだな、肝心な時に限ってこういう時間ができる。みんな、この景色を見て目に焼き付けてくれ」
続けてヴェイロンは言う。
「これが自分たちを正当化する、闇の中にいながら辺りを照らすことができる唯一の光となるその時まで、そして、国に仇為すものとして裁かれるその時まで」
その言葉に軍の面々は沈黙で答える。無視しているのではない、思い思いにヴェイロンの言葉を受け取っているのだ。脇差を天に掲げ月光の光を反射させる者、首から提げた無き兄弟の祈りを星空に捧げる者、木偶の坊のように棒立ちしつつも飲み込まれるような満天の星空を仰ぐ者、その光景は一種の星空鑑賞、幸せな時を共に過ごす家族のようだった。
が、そんなことは決してない。彼らは今からこの国を動かしに行く。この国を混乱に陥れるために、この国を滅ぼしてしまう勢いで、戦旗を掲げるのだ。
ヴェイロンは告げる。皆の心で最後の異物となってその行いを躊躇させる物を吹き飛ばすために、そして自分が人間をやめるための最後のひと押しのために。
「さぁ、戦を始めよう。私たちが愛する私たちの故郷に火を放つ、煉獄への出発だ」
■
「ヴェイロンはこの国が好きなの?」
二人並んで道を歩く中、不意にシャオフェイがヴェイロンに問う。シャオフェイの呑気な表情を見てそこまで深く考える必要もないのかと、気楽に構えたヴェイロン。
「好きじゃなかったらこんな面倒くさい司令官なんてやっていないかな」
「え、面倒くさいの!? いっつもなんだかんだ言って楽しそうなのに!!」
「シャオフェイ、私を誰だと思っているんだい。泣く子も黙る東のヴェイロンだ、どれほど面倒であろうとそれが私のするべきことなら、楽しんで全力を投じるに決まっているだろう」
冗談めかした彼の言葉にシャオフェイは気にもしないような空返事を返した。それがちょっとだけ感に触ったヴェイロンは咳払いを一つして、シャオフェイに尋ねる。
「ところでシャオフェイ、あまり深く聞くのもどうかと思って聞かないでいたが、お前ちゃっかり勇者に負けていたな?」
「ぎくっ」
「まさか本気を出して負けたんじゃないだろうね? もしシャオフェイが本気で戦って負けるようなら、私も相当手こずることになりそうだからね」
シャオフェイが本気を出せばどうなるかくらいヴェイロンもよく分かっているのだが、一種の意地悪である。ここ最近シャオフェイが今回の作戦に際して落ち着きがないことにヴェイロンはある仮説を立てていた。
「まっさかー!! 本気出して負けるわけないじゃん!! ヴェイロンもバカだねぇー」
「シャオフェイも初対面の男の子に急接近されただけで卒倒するなんてバカだねぇー」
「ぎくぎくッ」
膝裏に一閃が突き抜けたかのようにコケるシャオフェイ、あまりの驚愕状態でもはや挙動不審を通り越した別の生物のような奇妙な動きを繰り返す。
「え、えっ、なんでそのこと……えっ、あれ、なんで、あ、見てた、見てたの?」
「いいや、見てなんかいないさ」
首を横に振りながら適当な調子で応答するヴェイロン、シャオフェイは顔を真っ赤にしながらそのぶつけようのない妙な気持ちを前を歩く護衛の兵士に小石を投げることで発散する。護衛が敵襲かと勘違いして隊列が一時的に止まったことでシャオフェイは普通にヴェイロンに怒られてしまった。
気を取り直してシャオフェイは気がついたことをヴェイロンに尋ねる。
「もしかして……全部知っていて今回も私をあの勇者とマッチアップさせたの?」
「そんな私情をこんな大事な作戦に介入させるわけ無いだろう。ウェントムにはあの兵器を任せないといけない、私は別の相手をしないといけない。そうなると自動的にあの勇者を止められるのはお前だけだろう」
「…………そうなんだ」
「……あのときめきを思い出しているのか?」
「ブフォッ」
いつも脳天気にヘラヘラしているばかりのシャオフェイでも異性に興味を持つのかと素直に感心するヴェイロン。彼は小さい頃のシャオフェイをよく知っている。だからこそ、尚更もっと女の子らしく、普通にさせてあげたいと感じている。半ば戦闘狂のようになってしまったシャオフェイにとって、それが楽しいことなのかはさて置き。
「ち、ちょっと!! 本当にそういうんじゃないから!! ほら、あれだよ、気持ち悪い顔が突然目の前に来たからっ、それでこうショックで……みたいな」
先程とは別の護衛に勇者が気持ち悪い顔だということを強制的に同意させ、我が物顔でヴェイロンを見る。あの勇者もかわいそうなものだと、ヴェイロンは頭の隅で考えた。すると、今まで頭の隅に追いやっていて考えることを拒否していた事実を思い出す。
「…………そうだ」
「え?」
「シャオフェイ、一応今の作戦だとお前のマッチアップは勇者だ。だけどな、もし一番私が恐れている状況に推移したとしたら、お前の相手はおそらく王女様だ」
「そうなの? じゃあ勇者は誰と戦うの?」
「私だって勝てるかわからない、勿論シャオフェイじゃあ万が一にも勝てない、そんな奴だよ。そうならないことを祈るけどね、それに関しては完全に相手任せなんだ」




