その時が迫る
運が良かったという他ない。たまたまアリスの体が僕の体に並行に面していて、片腕で抱きかかえるのが容易だったこと。利き手とは反対側にアリスがいたおかげで、剣を持たない側の手で円滑にアリスを後方に逃がせたこと。そして、アトラスの一撃を片手で持った剣でなんとか受け流しきることができたこと。
僕はアリスを抱きかかえ体を半回転させながら後方に逃がし、横殴りに迫り来る棍棒の一撃に対してその力を上方向に流すような軌跡で剣を振るう。棍棒の進行方向から四五度くらい上に弾かれたアトラスの一撃は大きく空振り、そしてその懐に大きな隙を生む。
「あああああああああッ!!」
がら空きの胴体は僕にとってもいい的だった。一撃で決められるほどの剣術は持っていないため、何度も何度も剣戟を叩き込む。縦横斜め、様々な方向に剣を振るい、その度に飛び散る鮮血など意にも介さず削り続ける。そのうちアトラスはたまらなくなって数歩後ずさりするが、下がるなら押すのみ、僕はどんどん間合いを詰めて一撃一撃を繰り返す。
そうして息が切れ、おびただしい量の返り血で視界が不明瞭になって気づいた頃にはアトラスの胴体は肉がさらけ出していた。最後、両手で持った剣を腹部に突き刺し、反応がないことを確認した後、突き刺さった剣を引き抜きながら切り上げる。それで全ては終わったようだった。
「……勝った」
「……すごい、すごいですよヴァンさん!!」
少し後ろで驚いた様子のアリスが飛び跳ねていた。目の前には大地に倒れ伏したアトラス、僕の意識ははっきりしており記憶もしっかりしていた。それは今の戦いを自分の力で乗り越えたということを意味している。
「ヴァンさんすごい強くなってますよ、だって私も手こずったアトラスですよ? しっかり勇者として力をつけてますよ!!」
「そう、なのかな」
自分でも少し驚いていた。反応の速さも然ることながら、状況の判断や太刀筋、アリスを庇いながらの攻撃態勢への移行など今まででは目も当てられない動きの数々が様になっていた。
「でも……ちゃっかり私の胸触ってましたけどね」
「え、嘘!?」
「抱きかかえられながら逃がしてもらうとき、ヴァンさんの回した腕がしっかりお胸に巻きついてましたよ?」
こういうふうに、とわざわざ僕の腕の中に入って再演しようとするアリスを既のところで回避する。確かに咄嗟に回した腕だがやけに柔らかくそれでいて弾力のある何かに触れたような気がしたが、そういうことだったとは。
いや、何冷静に言ってるんだ、普通に変態だぞ。だが少し嬉しいのは事実、いや、かなり嬉しい。
「一刻を争う場面だったから、ワザトジャナインダ、ホント!!」
「別に怒ってませんよ、むしろ――」
なぜそこで言葉を区切り、意地悪い笑みをこぼすのだ。悩ましげに腕を組んで『そこ』を強調するのだ。
柔らかさを誇るようにふにふにと形を変える魔性のそれは僕をあざ笑っているようだった。
■
「――というわけで、軍の方がかなり危ないムードなのよね。ギルドも気を付けておいた方がいいと思うの」
ヴァンの家のすぐそば、そのギルド前には田舎の風景に似つかわしくない豪奢なドレスでやってきたモニカがいた。そのギルドでは間違いなく最強である金髪の凛とした少女、レベッカと真剣な様子で話し合っている。
「モニカ様直々にロストリオンまで行かれたのですか? そんな、仰ってくだされば私が確認しに行ったのですが……」
「いがみ合っている張本人が言ってどうするのよ。ギルドに直接来るかはどうかとしても、村に武力を行使するかもしれない存在なのは確か、その村からの要請に対応する形で接触することは免れないでしょうね」
ギルドの中や宿屋のレストランではなく、ギルド傍のベンチで周りの耳を気にせず会話しているせいか、ギルドの面々を中心にそういう素振りは隠しつつも、聞く耳を立て始めている。レベッカは思い出すように額に手を添え、
「村への対応は問題ないのですが、そこまで軍に攻撃的になられる理由が私にはよく分からないのです。私たちギルドはそこまで気に障ることをしてきたのでしょうか?」
「でも軍は嫌がらせをされているとわざわざ伝えてきているのよね。私が聴きこんだ様子ではギルドのみんなもそんなことをした覚えはないと言っていることから、軍の自作自演ということも考えたけど……」
もちろん、軍がギルドに仕事を奪われ国民の信頼も流れているという事態に対して、ギルドに嫌がらせの意味を込めてそういう偽りの事実を嘯いているということも考えられる。ただその考えは二人共よしとはしていなかった。
「軍の能力の高さは折り紙つき、それは私もよくわかっています。その戦力の三分の一でも注ぎ込んでしまえばギルドは力なく陥落するでしょう。ただそうしたら軍がどうなってしまうかくらいは軍も分かっていると思うのです」
「軍もプライドは高い、いくら暴動を起こせないからといってこんな惨めな方法でギルドに取り付くとも思えないのよね」
「もしかしたら『どうなるかを分かった上での暴動』でも考えているのでしょうか……」
ふとレベッカが呟いたその言葉にモニカはきょとんとした。そんなモニカを見て少し申し訳なさそうになったレベッカは両の手を振りながら
「ただ思っただけなんです、軍の全戦力を持ってして暴動されたら王国の戦力では対応できないかもしれないなと思って」
その言葉にモニカは虚をつかれたような表情になった。レベッカは尚も続ける。
「あのクソ勇――新しい勇者が決まった時、国の猛者たちはほとんどこの国の中心部を離れ、中には武勇の道を離れた方もいると聞いています。そんな現状の王国は本気の軍に勝てるのか……それもこれもあの勇者が悪いのですよ」
「……勇者が悪いかどうかは別として、もし本当にそんなことが起こったら国は全戦力でもって対応するわ。それに諸外国にも事情を伝えれば救援を出してくれるでしょうし、そこまですれば軍も外国を味方に付けないことには――」
そこまで言って、モニカは硬直した。急に言葉が途切れ、表情すら凍りついたモニカを見てレベッカは二、三声をかけるが応答しない。
モニカは頭の処理が追いついていなかった。
まず第一、自分で言っていた言葉で軍の不可解な行動の意味につながりが生まれてしまったこと。
そして第二、目の前に怪しげな連中が現れていたこと。
その連中は黒いローブにで全身を包んでおり、顔も性別も体格もわからない。約一〇名程と思われるその集団はゆっくりと歩きながらギルドに近づいてくる。気づいているものはまだ少なく、早くに気づいたギルドの剣士が声をかけに近づくが、集団の後方にいた人物がゆっくりと腕を上げるとその剣士は急に空中に放り投げられ地面に叩きつけられる。
そこでようやく辺り一帯の人々が異様な集団に気がつき、モニカの隣にいるレベッカも目つきが変わり、レイピアを握る手に力が入る。
「まさか軍が――」
モニカの言葉はすぐに喧騒に飲み込まれた。一瞬のうちに、辺りは雄々しい叫びと劈く矯正で溢れかえった。




