狂喜
「リーベル中尉が?」
「はい、確かそう名乗っていたと思います。それに、総司令官、多分ヴェイロンさんのことを指して、その方の命令だとも」
これはかなりクリティカルな一撃だったのではないだろうか。僕が思うに、この軍の二人は口裏を合わせているのだ。だってあんな大仰な事、どういう形でも最高司令官に伝わらないはずがない。知ってはいるが関与はしていない、ならまだ分かる。だがヴェイロンは全く知らないと言っている。これはどうもおかしい。
僕の発言により、モニカも何かを思い出したように気を取り直す。
「そう、リーベル中尉、思い出したわ。相当喧嘩腰な感じで私に対応したふざけた中尉殿ね、後ろに軍のトップがいるからか、好き放題言われた記憶があるわ!!」
モニカよ、頼むから感情が沸き立っても普段通りの振る舞いをしてくれ。せっかくの気品が音を立てて瓦解するから。
「リーベル中尉か……」
ヴェイロンはようやく、良くない顔色になって俯いた。後ろで立っているウェントムも少し気まずそうな表情だ。やはり、具体的なことを言えば言うほどあちらの立場は追いやられていく、確実にヴェイロン達は何かを隠している。
そう思って、ちょっと心に余裕が出来た時だった。
恐ろしい殺気の波が全身を伝播した。まるで大津波が来る前の、怪しげな小波のような、ゆっくり嘲笑するように肌を撫でていったのだ。僕は慌てて顔を上げ、ヴェイロンを見据えた。しかしヴェイロンはさっきと変わらず、追い込まれた少年のように困った表情だった。しかし何故だろう、さっきまでの優勢感というか、心の余裕が一瞬にして消えてしまった。
モニカも気付いているのかと横を見るが、モニカは特に変わった様子はなくヴェイロンたちの出方を伺っていた。ということは、またもこの殺気は僕だけが感じているもの。
なんだこれは、さっきから何度も。それも、回を追うごとに尋常じゃない程に気味の悪さが増大している。それなのにヴェイロンに変わった様子はまるで見られない。それがまた気持ち悪さに拍車をかける。
悩むヴェイロンは俯き加減で考え事をしている。僕にはそう見えていた。だが、ふとした一瞬、ヴェイロンはその特徴的な目で僕のことを睨んだのだ。たった一瞬、気付くか気付かないかくらいの瞬間に、ヴェイロンは僕の外見を通り越え、心までも見透かした、そんな気さえした。
《なかなか鋭い少年だな》
「――ッッツ!?」
それが何であったのか、意味が分からなかった。言葉ではない何かで、そんなメッセージが僕に飛び込んできた。そして今すぐ嘔吐するかと思うほど、目が回るような錯覚に苛まれた。
「ウェントム」
ヴェイロンのしっかりとした言葉、誰もが聞き取れるその言葉で僕は正気を取り戻した。もう先ほどの気味悪さは無くなっている。青ざめた表情をしているであろう僕を見て、モニカが心配そうな表情で覗き込み、口元を手で隠しながら小声で問う。
「ちょっと、大丈夫?」
「え……あ、ああ、大丈夫、だと思う」
「しっかりしてよね、こっからが本番よ。相手が認め次第、聞けるだけ聞かないと」
モニカは笑顔すら浮かべながらやる気満々のようだった。だが僕はどうしてもポジティブになることができなかった。これからとてつもなく恐ろしいことが起こるような、そんな気がしてならなかった。
「はい、なんでしょうか」
「ここにリーベル中尉を呼んでくれ」
「承知しました」
そう言うと、ウェントムは憮然とした態度で部屋を出ていき、そして五分とせずに当該人物を連れてきた。
「連れて参りました」
「ああ」
連れてこられた本人は何がなんだか分からないといった様子だった。ウェントムもヴェイロンもそれ以上は何も口を開かず、部屋は異様な空気で満ち溢れていた。
「モニカ王女、その村で横暴を働いたというのはこの軍人で間違いないですか?」
「ええ、この男よ。無礼な口の利き方もそうだし、無実の村人に刀まで抜いたのよ、勇者も見てるわ」
「あ、ああ」
モニカは意気揚々と中尉を睨みながら言葉を連ねる。本当なら僕もここぞとばかりに畳み掛けるべきなのかもしれない。だけど、ただ空返事を返しつつヴェイロンの動向から目を離さないことが、僕の出来る精一杯のことだった。
この男、必ず何かをしでかす。そう思えて仕方がなかった。
「リーベル中尉、君が彼らと親しい村人に刃を向け、村に不当な申し付けを行ったのは本当か?」
「ハッ、本当であります。私は正当な――」
「――そうか」
最後まで聞かなかった。ヴェイロンは中尉が自分の問いかけに真実だと答えた時点で中尉の言葉を聞くのを止めていた。気がつけば、ウェントムはさり気なく扉の前に立ち、退路を塞いでいた。モニカは、明らかになるであろう真実に胸を躍らせているように見える。僕は、これから起こりうる事がなんとなく予感ができて、だけど体を動かすことができなかった。
刹那、リーベル中尉はこんな言葉を漏らした。
「な、どういうことですか、私は意のままに――!?」
そこまでだった。何が起こったのかはイマイチわからなかった。ただ僕に見えたのは、ヴェイロンの背中の辺りから伸びるように現れた《何か》がリーベル中尉の胸を貫通した光景だった。その何かは中尉の胸を貫通した直後、弾けるように霧散し中尉の上半身ごと砕け散った。そのあまりの光景に、僕は硬直、モニカは仰け反り手で顔を覆っていた。
「…………何をしているんだ」
「何って……不当な行いをした部下を処分したんですよ」
ヴェイロンはこんな状況でも笑みすら浮かべていた。ウェントムは一言も発さず、中尉の亡骸を片付け始めた。眼前で繰り広げられる惨劇に、僕は理解が及ばずただ混乱することしかできなかった。
「私には何のことだかさっぱり分かりません。ですが、お二方の話を聞く限り、それが嘘であるという訳でもなさそうでした。ならば私が取れる選択は唯一つ、心苦しくはありますが当事者の目の前で罪人を処罰することだけです」
「ック――!!」
「な、なんてことを……」
ヴェイロンは表情を崩さない。驚嘆し声も出ないモニカの狂気を見る目に対して、彼は背を折り畳むようにして視線を合わせ、
「何を驚いているのですか。これはあなた達に対する罪を私なりに贖罪したのですよ。何も驚き悲しむことはありません。むしろ重ねて謝らせてください――」
やはり僕はこの嫌われた勇者という役職として生活することで、ひとつの《気》のようなものを察知するのに長けているようだった。
例えば、僕を執拗に罵る存在の気。
例えば、罵るどころか本当に殺しに来ている気。
そして、他の人間たちとは比べ物にならない程の狂気に満ちた存在の気。
「――何も事情がわからない私では、こうして《あなた達のため》に部下を殺すことでしか誠意を表せないことを!!」