術式駆動
僕はその時、またいつかのあの時のような感覚に陥っていた。五感が研ぎ澄まされ、感情の糸がプツリと切れてしまったような感覚、真っ白な、あるいは真っ黒な世界にたった一人漂うような感覚。自分という存在を客観的に見ているような、そんな感覚。いろいろな感覚が混ざり合って、最終的に無となる。
無欲の世界。
いつもと違うのは、意識を失わずにある程度自我を保てているという点。トロールとの戦いの時に少し似ている。
僕の体は脳からの命令よりも早く、筋肉を躍動させヴェイロンに向かって駆け出す。今の僕の体は、僕の意識には従わない、無欲によって暴れまわる。脇にかかっている剣に手をかけ、目にも止まらない速さで抜刀する。ヴェイロンを薙ぎ払う軌道で振り抜く。しかしその刃はヴェイロンの肉を捉えることができない。代わりに何か鋼鉄の板に弾かれ、剣戟は意図も容易く受け流される。
「……危ないですね」
「…………」
僕とヴェイロンの間、今さっき剣戟を弾いたその正体は女だった。一応軍服を模したのであろう露出度の高い服を着ており、細身で女の中なら長身の類に入るであろう体躯、豊かな胸、両腕には先ほど剣戟を受けた手甲のようなものを装着している。合算してさして強くもないのではないかという結論に至る。
「ヴェイロンに手を出すとはいい度胸してるね」
俺は構わず剣を構えた。ほとんどノーモーションでそのまま倒れ掛かるように中段を薙ぐ。間違いなく女の脇腹を捉えたと思えた。しかしそこに脇腹は愚か女もいない。
「?」
空虚をただ虚しく裂いた剣がふいに制御を失う。見ると切っ先をがっちりと掴まれていた。人間の手より二回りほど大きい鉄の手が鋼の剣を掴んでいるのだ。
「ここだとヴェイロン達に迷惑かかるから、外でね」
直後、視界がぐるりと回った。その目で捉えたヴェイロンや女がどんどん遠のいていき、その内背中に強い衝撃を感じる。勢いで血を吐き、そこが外の地面であることを理解する。
「殺さない程度にな、シャオフェイ」
「わかってるよ」
シャオフェイと呼ばれた少女は、僕を見たまま小さく返事をした。そして彼女はありえない程の速度で跳躍する。いつもならどんな速さで飛んでこられても見える軌道が、今は全く見えない。
「それがあの噂の自分が自分じゃなくなる魔法?」
気付いた時には背後から声が聞こえた。だけど、振り返る前に背骨を通して鋭い痛みが前方に突き抜ける。突き抜けた衝撃で体が浮き、自由が効かなくなる。
すかさずシャオフェイと呼ばれる少女が回り込む。それを確認できているのに対処することができない。
目の前に移動したシャオフェイは、右の手甲を振りかぶる。その手甲は怪しく輝き、やがてそれが怪しいだけではない意味のある光であることがわかる。
「……魔法か」
「あったりー、なんだ意識あるのかー聞いてたのと違うなぁ」
手甲に魔力が集約されていき、シャオフェイの背後に魔法陣が形成される。完全な物理型かと思われたが、そうではないのか。
魔法陣の輝きが最高に達した瞬間、彼女の拳が爆動する。超音速で駆動した右手が僕を捉えて屠る。が、体が物体との接触を感じない。
「この拳はね、傷をつけないんだ」
何を言っているんだ。だったら僕は構わず攻撃を続けるだけだ、上半身をひねって得た回転力で剣を振り抜こうとする。すると思ったより手に力が入っていなくて剣だけが飛んでいってしまう。
「でもこっちの拳は思いっきり傷つける」
その隙を突かれて右手でのパンチの勢いそのままに回転したシャオフェイは左手で裏拳を打ち込む。もちろん、僕に逃れる術はない。その際も、彼女の背後には魔法陣が超動していた。
僕の体は遮るものなく地面に叩きつけられ、今度こそ背中の骨がいかれる。こんな感覚は初めてだった。この境地に入っているというのに、全く歯が立たない。
なんとか起き上がるものの、眼前には余裕の表情で悠々と闊歩して近づいてくるシャオフェイの姿があった。やはり背後には大きな魔法陣が駆動している。僕は剣を取り直し、低い姿勢をとる。
視界に入った岩石を放って彼女の視界を奪いつつ超低姿勢で駆け抜ける。岩石を薙ぐのを見計らって刺突を叩き込む事を算段、しかし遅かった。僕が。
頭では地面を蹴り全速力で駆け抜けているつもりだった。だが体は全く付いて来ておらず、無様に地面に投げ出されていた。
「ふふふ、やっぱりこの力、男の無様な姿が見れるのがポイント高いね」
シャオフェイは倒れ伏した僕を見ても急ぐようなことはしなかった。ただ余裕を見せ続け、両の腕をガチガチと唸らせるだけだ。
「……どういう仕組みだ」
「あは、無様な上に教えを請うの?」
ついに僕の元まで詰め寄った彼女は、その華奢な足で頭を強く踏みつける。鈍痛が脳とつながる神経を伝播していく。
「まあいいや、教えてあげる。私の手甲は術式武装って言って術式回路のスキルを使える武器なの。左手は魔力駆動の打撃、そして右手が《気》の強奪」
「あ、気?」
振りかぶった足が凄まじい勢いで蹴り抜かれる。おそらく今ので鼻の骨が逝った。
「調子こかないでね。今君、女にボロ負けしてるんだからさ」
踏みつけながら唾でもはきかけるかのような仕草で挑発してくるのを適当に流す。今はシャオフェイの力の詳細を聞くのが先決だ。
「私たちの祖国は魔法と同じ位置に気の概念があるの。私はその双方を会得しているってわけ。右手はその気を使う術式を積んだ手甲でね、相手の気を奪う力があるの」
「僕にも気があるのか?」
「うん、人間誰しも持っているよ。それを扱えるようになるために、修行しているんだから」
そこまで言って、シャオフェイは拳を構える。背中の魔法陣が砕け散り、魔力と気の折り重なった一つの結晶が誕生する。そして一閃、左の拳で結晶を貫く。
すると、微かに青を帯びた透過色の魔人の上半身がようなものがシャオフェイの背後に出現する。五メートルクラスのそれはもう幻影としか思えない規模だった。
「これが私の超術式駆動《気神》。さぁ、楽しいひと時にしましょう?」
振り上げられた彼女の左腕、同期して振り上がる気神の左手には野太刀が握られている。さぁ、絶体絶命――
――なんてことはない。こんな状況でも僕は何も感じないし何も思わない。
ただ目の前の存在を消すためだけに、地を蹴り腕を振るい、目を見開くのだ。
「じゃあ僕もその気ってやつ、使ってみようかな」
「は?」
女のドスの効いた低音が響いた。




