開眼
ドラケット、ドットの愛称で呼ばれる彼は所謂秀才というやつで、日々の鍛錬を欠かさなかった結果の賜物だ。性格も少し尖ってはいるものの、比較的同級生には好かれていて戦い方のコツやアドバイスなど仲間の相談には親身になって接していたこともあってかクラス一の人気者だった。彼の人付き合いには好き嫌いという概念はなく、彼の気分さえ落ち込んでいなければ基本的に誰とでも仲良くする。
僕や、モニカにだって例外なく仲良くしていたんだと思う。
じゃあそんな彼がどうしてここまで憤りをあらわにしているのかと言うと。
単に、僕が勇者になったからだ。
厳密に言えば、僕が勇者になったことで剣士を志していた仲間たちがその志半ばで学校を去っていったから。
ドットは人気者であるが故に友人をとても尊重し、大切な存在として接していた。彼はもともとギルドに入る気ではなかったため、剣ではなく銃を好んで使っていたのだが、それでも剣に通づる能力というのは抜きん出たものがあり、ギルドや勇者志望の級友にも信頼が厚かった。
そんなある日、僕が勇者になったことでそれまで真面目に剣の道を突き進んできていた者たちは皆不完全燃焼してしまい、皆一斉に昨日まで命より大事だと言っていた剣を地に捨て、学園を去っていってしまった。その事に、ドットは大きなショックを受けてしまったのだ。
いきなり消え去ってしまった級友に、彼は自分の心にぽっかり穴が空いてしまった感覚にでもなってしまったのだろう。そのせいでクラスの雰囲気にも暗雲が立ち込め、ドットは責任を感じてしまった。
そういう経緯が有り、今ドットは対峙しているこの僕に対して隠しきれないほどの怒りを宿しているのだ。
「お前みたいな奴がなんで勇者になったのか、未だに理解はできないが、それ以前に剣士として半人前どころか人間として半人前なお前が勇者になり、そのせいでお前より何倍も腕が立つ猛者たちがその夢を捨て学校を去った。だから俺はお前を絶対に許さない」
「それに感しては全力で謝罪する他ないんだけど……えっと、許さないっていうのは……具体的に、あの、どんな」
「お前を勇者の地位から引きずり下ろす」
「…………え」
「お前の実力の無さとどれだけの器をもっているのかを国民の前で証明し、お前を勇者から引きずり下ろす」
鋭い前髪から隠れ出る視線は既に同じ人間を見る目ではないようだった。何か悪魔や鬼を見るような、そんな蔑みすら含んだ目。
「あ、あのさ、たぶん、そんなことしなくても既に僕の事は国民に知れ渡っているし、何もドットがしなくても――」
「――お前がその名で呼ぶな、鳥肌が立つ」
「!?」
あれ、ついさっきまで十メートルくらい先にいたのにいつの間に目の前に……。
っていうか、この間合いって――
「くっ……」
銀の煌きが僕の鼻先を掠めていく。瞬間的に上半身を反ることでなんとかその軌道から外れる。体勢を崩して数歩後退するが、休憩している暇などなかった。
「お前、どうして剣を!?」
「お前の剣術の程度を知らしめるんだ、俺も剣で相対しなくては何の意味がある?」
継いで、背を向けながら大股一歩で間合いを詰め直したドラケットは振り返るついでに剣を薙ぐ。その速さは、気づいたときにはもう回避は不可能と察するほどの練度だった。ここ何日かで会得できる技量では到底ないように思われる。僕は慌てて片手剣を構えて衝撃に備える。
そして大きくノックバックする。剣の力と速度で僕の剣は簡単に弾き上げられ、腕が大きく開いて胴体ががら空きになる。ふと見えたドラケットの口元は不気味なほどに大きえな弧を描いていた。
「おい、これが模擬戦だと思うなよ――」
「え――」
刹那、閃光を放った刀身が翻り、突きの姿勢から移行する。剣を下段に構えたまま、恐ろしいまでに重心を低く保って僕と触れ合うほどに距離を詰める。何をされるのかわからない、そんな恐怖に駆られ、同時に凶器を手にした相手が懐に入ってくるという光景に僕の脳内は状況を処理することを諦めた。
僕の視界からドラケットが消える。
目の前には大きく開いた双眸、口元を両手で塞いで驚嘆するアイナの姿。
まるで空中にいるような、不気味な浮遊感が全身を覆う。
ドラケットはどこへ行った。
どこへ――。
あ、僕の足元だ。ちょっとだけ気配を感じる。
でも何もできない。これだけ間合いを詰められればどうすることもできない。それも剣を弾かれ胴体はがら空きの状態。
もうダメだ、裂かれる。
その時、酷い痛みが僕の頭を襲った。
「グあぁっ!?」
頭の中をぐちゃぐちゃにされるような、頭の倍以上ある手で中を掻き回されるような、あるいは小さな歯のある無数の虫に食い荒らされるような、どうにも形容し難い痛みが突然僕を襲ってきた。
視界は揺らぎ、時間の経過が恐ろしいまでに引き伸ばされる。色彩を失った世界が崩れ落ちるように歪む。
そしてその痛みに比例するように。
心が落ち着きを取り戻し始めた。
足元が深く沈み始め、暗闇の世界に吸い込まれそうになる。その世界は何もなく、無。
虚だけで満たされた世界。
無欲の世界――。
虚ろになり行く意識の中、僕は落ち着きを取り戻した心で冷静に状況判断をしようとした。五感は既に使い物にならないようだった。
「……頭は痛いままか……くそっ、本当に割れそうな痛みだ。でも待てよ……この感覚、どこかで」
痛みを無理やり無視するように、思考を深く深く実行し続ける。冷静であるが故に到達できる僕の奥の奥。記憶の底、感覚の底まで手を伸ばす。
そして、何かを掴む。
「また……あの時の感じに似ている」
劣勢に追い込まれ、緊急の局面に追いやられた時に決まって訪れる感覚。直近ではトロールとの戦い、仲間の負傷に直面した僕が突然陥った無意識状態。そのなり始めによく似ている気がする。他の例で言えば、コボルトとの戦い。同様に背水と化した局面において発揮した驚異的な戦闘能力、その時の心身の状態にもよく似ている。
もし、
もしそうだとするならば。
「このままだと制御が効かない無意識状態になっちまう!! それだけはマズイ!!」
今まであの状況に入って、記憶定かで、または意識定かで戦えた試しがない。生き残れているのは奇跡と言えるレベルだ。
「起きなきゃいけない!! この暗闇から、この世界から這い出なきゃ!!」
藻掻く。
足掻く。
足元から崩れ去る光景など目にとめず、上だけを見て手を伸ばし、足を振る。
消え入りそうな意識に鞭打つように、崩れる崖をせき止めるように、この状況を打開しようと試みる。
そして、小さく光る一筋の光が現れたとき――。
「これだっ!!」
僕は右手を半ば振り抜くようにしてその光を掴み取った。
「…………」
目に飛び込んできた世界は、見慣れたコントラストの現実世界。意識もはっきりしている、感覚もちゃんとある、記憶も失っていない。足元もしっかりしている。浮遊感も頭痛もすっきりなくなっている。
「……なんとか、戻って来れたのか」
良かった。
ただただそう思う。たった今僕に何が起こったのか、そんなことはどうでもいい。今この世界に息づいていることだけを感謝して再認識する。
手を動かし、足を動かし、首を回し、僕の体の隅々を、神経を、感覚を味わう。
ここに生きているという現実を受け止める。
深く呼吸を繰り返し、ようやくいつもの感覚を取り戻して目を開いた時には、もう恐怖などどこかへ消え去ってしまっていた。
「……うん?」
目を開けた途端、視界には驚嘆するアイナの姿が映った。
しかし、それはさっきまでの光景だったはずだ。確か、僕は完全無防備な状態を晒し、ドラケットに避けようのない一撃を――。
そのことを思い出した途端、急に腹の辺りが気になりだした。
まさか、切り裂かれてないよな?
そんな疑問が頭をよぎる。
痛みはない。が、気づいた途端に痛み出すということはよくある。
僕は恐る恐る、左手で腹の辺りをさすってみる。
しかし――、
「大丈夫だ、何ともない」
ほっと息をなでおろす。
では、ドラケットはどうなったのだろう。
あの後、僕はドラケットに切り裂かれることなくここに正立している。では今のドラケットの状況は……。
ふと足元を見る。
そこには――
――脆くも折れ、砕かれた剣を支えに跪くドラケットの姿があった。
「え、え、ドラケット!? これは、あ、どういう……」
「お前、何をした」
「え?」
「あの一瞬、あの間合いから一体どうすれば俺の一撃を弾けるんだッ!!」
突然立ち上がり、僕の胸ぐらを掴もうとした手が力なく離れ、ドラケットはそのまま数歩下がって転んでしまう。まるで体のどこにも力が入らないかのような様子で、脆くも地面に倒れる。
「勝負ありっ!! 王宮チームの勝利!!」
勝利という言葉。
その声が、その意味が、確かに耳に入ったのに。
僕はその意味がよく意味が分からないでいた。




