変化
勇者としての初仕事を終えてからどれくらい経っただろうか。一ヶ月以上経ったような気もするし、一週間すら経っていないような気もする。
「シェリルちゃんが来てからもう二週間になるんですね。もうここでの暮らしには慣れましたか?」
僕専用のちょっとお高い椅子に背中を預けていると、まるで僕の考えを見抜いたかのような質問がアリスから投げられた。その問いを受け取った、ここにいる面々より少し幼い印象を受ける栗色の髪の少女は、はにかみながら皿を洗っている。
「もうすっかり慣れました。勇者様にお仕えすることを認めてもらってからというもの、毎日がとても楽しいです!!」
アリスはそれを聞いて同じように微笑むと手に持った甘い菓子を皿に盛り付けた。
「どうぞ、ヴァンさん。三時のおやつですよ」
「あぁ、どうも」
アリスから受け取ったそれは綺麗な山吹色で、甘く香る匂いは口内を湿らせるのに十分すぎる効果を発揮する。
そのお菓子を一つ口に運んだ上で、僕は現在の自宅内の光景を大まかに見てみる。
台所ではエプロン姿の少女が鼻歌なんかを歌いながらせっせと食器洗いに勤しんでいる。一方で茶の間のほうを見やると茶に染まった激しくうねる髪を揺らしながら少女が掃除をしている。こちらも一生懸命、下半身を思い切りこちらに向けていることなどお構いなしでホコリを見つけることに没頭している様子。これらの事実に対して、僕はいくつも思うところがあるわけなのだが――。
「変わったなぁ……」
勇者になる前の生活――その過去と今とを比べざるを得なかった。その変化は著しいの一言では語り尽くせないだろう。
まず一つ、メイドさんが二人増えました。
いや、正確にはメイドではなく、ルームシェアしている僕の友達なのだが、僕が勇者だからか、バックに王女がいるからか。もうメイドといっても差し支えないことになってしまっている。今がいい例。因みに、僕は掃除をしてくれとも皿洗いをしてくれとも言っていない。それどころか、頼みごとすらした覚えがない。寧ろ当初は僕がやろうとしていたのだ。それをほぼ無理やり奪われてしまい、今ではこの現状が当たり前となってしまっている。
アリス――本人の願いが叶い、魔物から人間への転生を果たしたワケあり少女。その願いに僕が関わっていたことで義理堅い彼女は僕に恩返しをすると言い張り、僕の家に住んでいる。元が魔物だっただけあり、その戦闘能力は世辞抜きで圧倒的であり、僕の勇者業において彼女の協力なしでは効率に雲泥の差が出る。普段はおっとりしており、時折ドジをやらかすことも多いが、はっきり言ってその全てが可愛いので全部許す。
シェリル――こちらも本人の強い希望で僕のもとで従者として働いている。彼女いわく、たくさんの人々の憧れの対象である、また多くの信頼を持ち国民から愛されている、そんな絶対的カリスマ性を持つ者の手伝いをすること、それが彼女の喜びなのだという。
だったらモニカに仕えればいいのでは、と思って提案してみたのだが、どうやらそう単純な問題ではないようで。とにかく僕こと勇者の下で働きたいというので、僕の素性を洗いざらい話した上で同居する形となっている。しかし、僕の下で働いているのはあくまで本人の希望であり、それは仕事という形ではないらしく、給与はいらないとのこと。その代わりなのか、彼女は普段王国の都の方でレストランのバイトをしているのだとか。これまた本人曰く、せっかく王国に来たのだから王国らしさを味わいたいのだという。アリスもそうだが、僕の元にくる女の子たちはどうしてこうも皆殊勝なのだろうか。もしかして神様は立派な人を僕の周りに集めて間接的に僕の人間性を貶めているのだろうか。だったら大分根が腐っている神だ。
「うーん」
考え直してみたところでやっぱり現実感は湧かなかった。言ってしまえば僕は嫌われ者で、それこそ学校に通っている時なんか話し相手はほとんどいなかった。その数少ない話し相手のうちの一人がモニカ王女だ。それなのに今はどうだ、話し相手どころか付き従うものまで出来てしまったではないか。
「これは勇者として頑張らざるを得なくなったわけだな……」
勇者――。
その響きは未だに僕にどんよりした重い不安を募らせる。その所以とはなんなのか、それを如実に表してしまっているつい最近正式に王国で稼動した禁忌の匣を目の前にして、僕はそれに手をかざす。小さな光とともに魔力が導通するのにかかる少々の遅延を持って、その匣は僕の入場を歓迎してくれる。
二週間前、僕が初めて勇者としての仕事を達成したことを綴った書き込みは思ったより閲覧数が伸びなかった。そして同時に、『しね』という言葉を用いたコメントの数が著しく減少していた。これが何を意味するのか。
僕は単純に勇者として少しでも認めてくれた人が増えた結果だと思っている。そうじゃなかったら単に関心が持たれなくなったってことになっちゃう。そんな風に認識してしまったら最後、僕の心は真っ二つに折れ、僕は人里離れた野山で腐敗した姿で発見されることだろう。
一応それからも更新は続けているが特に目立った変化は見られず、相変わらずしねだの消えろだの言われ続けていることに変わりはない。
このパンドラことボックスの他に、シェリルのバイト先で得られる情報というのもある。僕は基本的に王国でも自分の家からギルドや武器防具の店がある辺りしか出歩かない。もちろん、僕が出歩く範囲にいる人々は皆一用に僕のことを嫌っているのだが、王都の方やそこを超えた先の方はどうなのかということは、よくわかっていない。だからシェリルが接客の片手間、勇者のことを聞いてみてくれているのだ。まぁ今のところ、結果は予想通りの一言に尽きるのだが。
「あ、来てる来てる」
映し出された画面に新着メッセージの文字。掲示板とは別に個人的なメッセージを送るために用いられるサービスである。
今日、モニカが業務が終わり次第家に来ると言っていたのだ。行ける時間になったらボックスでメッセージを送るとのこと。
『今、一段落しました。今から王宮を出ます』。
簡潔にまとめられたその文章を読んで、僕は少し吹き出しそうになった。
「これが王女の書く文章か……敬語だし、使い慣れていない感じ剥き出しだし」
これでは、ただ友達と他愛もないやり取りをしているだけみたいだ。いや、実際のところそれで間違ってはいないのだけど。
「どうしました? 何か面白い掲示板でもありました?」
「え――あ、ああ、そうなんだよ、これなんだけどさ」
笑い声を聞きつけてきたアリスに、僕は慣れた手つきでボックスを操作したけしの掲示板を画面に映し出すのだった。
■
アリスとシェリルと僕、三人で掲示板を見漁ってから約一時間後、玄関先の扉が心地よい音を響かせる。
「ごめんくださーい」
「はいはーい」
出迎えたシェリルに笑顔で礼を言うモニカは王女の時の姿とは打って変わり、落ち着いた印象を受ける薄い彩色のドレススカートで着飾っていた。
「公ではもっと毅然とした王女の振る舞いをするんじゃなかったのか?」
「だって誰もいなかったもの」
それでいいのか、王女。
「それより早速始めましょうか」
一息つくや否や、モニカは立ち上がりアリスとシェリルの二人に目配せする。状況を把握できないのはどうやら僕だけのよう。
「え、えっと……何事?」
「お勉強の時間よ」
無駄に広い客間、そこに簡易なテーブルを置いて構える僕、アリス、シェリル。見ゆるは正面に立ち誇り、自前のボードになにやらたくさん書き込むメガネの少女、モニカ。
「……何が始まるんです?」
「ヴァンは王国の勇者だっていうのに王国の知識が乏しすぎるのよ。だから勉強してもらうの」
「私たちは個人的に興味があるのでモニカさんのご鞭撻をよろしく賜る次第です!!」
「左様ですか……」
予想していなかったと言えば嘘になるのだが、こうも早くやってくるとは思わなかった。運がよければ王立の図書館で自学する程度で済むのかなとか思っていたけど、やっぱりそんなに甘くはなかったようだ。
「王国の現状も反映させてしっかりみっちり教えてあげるんだから。この前、いっちょ前に外交関係なんて心配してくれたんだからそれは大層勉強意欲があるんでしょうね?」
王女の有無を言わさないその眼力に、僕は逡巡することすら許されないようだった。




