勇者として2
「グボァアアアアアアアアアッ!!」
トロールの叫びが夜空を引き裂いた瞬間、戦いの火蓋は切って落とされた。
「ヴァン、後方支援は任せて。近衛の二人で協力するの!! 一人が引きつけて、そのうちにもうひとりが攻撃するパターンに嵌めるの!!」
「分かった!! それから相手は規格外の生き物だ、思い通りいくと思うなよ!!」
「お、思ってないからッ!! バカっ!!」
モニカの魔法で皮膚の表面に膜ができたような感覚を覚える。このエンハンスには絶対的な信頼を置いている。なんたって、この魔法に命を救われたのだから。
「アリス、まずは僕がトロールを引き付ける。その間に一撃お見舞いしてやれ」
「分かりました!!」
アリスの応答と共に、二人は左右に散開してトロールを挟み込むような陣形を取る。続いて僕は片手剣を抜刀しその柔らかそうな腹に向かって剣を突き出す。
「ほらほら、こっち向かないとそのお腹に切れ込み入れちゃうよー?」
頭の上で手を叩いてみたり、跳ねたりして挑発してみる。こんなのに引っかかってしまうのが魔獣という生き物なのだ。ただし、アリスの仲間のコボルトたちなど例外はあるが。
「グゴゴ……」
ゆっくりと向きを変えて、僕の方を向くトロール。目は白目をむいており、舌がだらしなく口からはみ出ている。あの唾液に結構な値が付くというのだから不思議なものである。
大きく振りかぶられた棍棒を目の前にして、十分に引き付ける。バックアタックに最適なタイミングが訪れるのを今か今かと待ち――
「――今だ、アリスッ!!」
「はいっ、行きます!!」
アリスの頭上に構えられた、身の丈以上の薙刀。その刀身が青白く輝き、紺碧の炎を纏う。その軌跡は迷うことなくトロールの背中を捉え、上弦の弧を描いて振り抜かれる。薙刀の通った太刀筋をドス黒い液体が彩り、それはまさに神業と言える瞬間だった。
体勢を崩したトロールは前のめりによろめきそのまま倒れた。ここぞとばかりに連撃が叩き込まれる。
「何だ、トロールなんてのもただの名前負けモンスターじゃん!! おりゃおりゃ」
「油断は禁物ですよ、ヴァンさん!! えいっ」
「ちょっと離れて、大きいの行くよ!!」
片膝をついてトロールが起き上がろうとしたとき、後方支援に回っていたモニカが長めの詠唱を終えて目を見開く。その目に映る幾何学な方陣が表すのは、高等魔法。
「『アブソリュートディザスター』!!」
聞いたことない名前が轟いた刹那、トロールの足元にモニカの目に映し出された法人と同じものが描き出される。見る見るうちに完成していく方陣、立ち上がり体勢を整え始めるトロール、しかし先を行くのは魔法だった。方陣が光り輝いたとき、トロールは間抜けな顔をして棍棒を持ち上げていた。
空から降り注いだのか、それとも方陣から溢れ出したのだろうか、どちらにせよ、膨大な量のエネルギーが注がれたのは間違いない。突如として出現した光の柱はトロールの巨躯をすっぽり飲み込み、文字通り災害をもたらした。何が起こっているのか光のせいで確認することはできないが、その音、風圧、光景を鑑みるだけで結果は明らかだった。
だんだんと細くなっていく光の柱を見届けたとき、そこには無残にも倒れ伏すトロールの姿があった。あまりにもあっけない幕切れに、トロール自身も疑問符でいっぱいだろう。
「モニカ……もうそれだけでいいんじゃないか?」
「詠唱時間がめちゃくちゃ長いの。ヴァンたちが時間を作ってくれたおかげだよ。基本的に魔法なんて詠唱自体は誰でも覚えられる。あとはその時間とそれだけ詠唱を正確に唱えられるかにかかってるの。やっぱり私たちなかなか相性いいんじゃない?」
「それもそうですよね。私とヴァンさんの息もピッタリでしたし」
「それは私が指示したからでしょ。私の指示に的確に行動したヴァンはやっぱりさすがね!!」
「でもそのヴァンさんの呼吸に合わせるように、動きを本番一発で合わせたのは私とヴァンさんです。やっぱり私たちのコンビは最高です!!」
「あぁ、分かった分かった。結局3人の相性は良かったってことでしょ? ヴァンもそれでいいよね」
「…………」
――もしかしたら、今モニカの声が聞こえたのかもしれない。そのモニカの言葉は、もしかしたら僕の返事を待つものかもしれない。
でも答えられない。正確には、答えている余裕がない。口が、言葉を紡げないのだ。直面している現実に口がパニックを起こしてしまっているんだ。いや、違う。口どころではなく、僕がパニックを起こしているんだ。だから何も落ちついて考えられないし、どうすることもできない。
「あ――あ――」
「うん? ヴァン、どうかした?」
「ヴァンさん、どうしました?」
二人して僕を見てくる。その表情には笑顔すら見てとれる。だけど、今の僕にはそんな彼女らに言うべき言葉が見つからなかった。そして、こちらを見ているせいで、気付いていない、背後で再動した化物の動きを教えることも、その手に握られた混紡が体を半回転させるほどに振りかぶられていることも、何も言えなかった。
そうしてようやく何が起きっているのかを認識したとき、全ては遅すぎた。
「アリス、後ろだぁあああ!!」
「え――」
突然、目の前から人影が一つ消えた。暗いからとかではない、暴力的な速さの物体と衝突したが故に吹き飛んだのだ。その瞬間、棍棒が真横から振り抜かれ細い何かをひしゃぎ折ったその瞬間が、何故か僕には鮮明に見えた。確かにさっきまでそこにあった筈のモノが一瞬のうちに消し飛ぶ。肉塊どころかもう何が何だか分からないヘンテコな塊になる瞬間というのは、それこそあっけないものだった。
「――っく」
次に視界に入り込んできたのはモニカだった。うつむき加減に走り出した彼女は白く美しい髪を乱暴に振り乱して化物に近づいてく。その時になってやっと、全身に感覚が戻ってきた。
「やめろモニカ、魔法使いが前衛に出るのだけは絶対に――」
「私の責任、また私のせいで……」
僕の声が聞こえてないらしい彼女は、魔法使いが取る間合いとは考えられない距離にまで近づき、トロールをキッと睨んだ。
そしてその距離でトロールの憎たらしい白目を睨み続けたまま、何かの詠唱を始めた。基本的な詠唱では邪魔な意識を消すために目を瞑るのだが、モニカはそれをせず、トロールを睨み続けたまままるで操られているかのように唇を震わせていく。
「ダメだ、離れろモニカ!! 聞いているのか、モニカッ!!」
何度叫んでもその声は届かない。さっきモニカの立場を一回味わっている僕は直接動いて目の前で話さなくてはいけないと悟り、手を伸ばしながらモニカに走り寄る。
その距離は決して遠くない、走れば直ぐに触れられる距離。まだそこに生きて存在するモニカに触れるために、僕は手を伸ばし――
――ゴッ。
何か、鈍い音がした。
僕は走るのを止めて、その場に立ち伏せた。理由は簡単、そこに存在していたはずの何かが突然消え失せからだ。思考が停止し、また何も考えられなくなる。生唾を飲み込む音だけが妙に鮮明に耳に響いた。
今までずっと隠れていた月が、雲間から顔を覗かせる。冷酷で無慈悲な月の光はゆっくりと地上を照らしていき、ついには僕の下までやってくる。
そこには僕と棍棒を持った化物しかいなかった。ほかには誰もいた形跡がなく、最初から僕と化物しかいなかったかのよう。
あれ、そもそも誰かいただろうか……というか僕はなんでこんなところにいるのだろうか。
どんどん、どんどん、僕の意識は深い深い海の底に沈むように、暗い暗い夜の闇に溶けるように、どこかへ消えていった。
化物はその白い目で僕の捉えると、ゆっくりとした歩調で歩き出し僕の目の前までやってきた。そして、いつもように大きく振りかぶる。今度は真上に振りかぶっているようだ。あぁ、これからどうなるのだろうか、そもそも僕はなんなのだろうか。
ボーッとしてきた頭を必死に回転させようと、意識を引きずり出そうとすることすら馬鹿馬鹿しくなり、その大きな棍棒が月と重なるその光景を無感情で眺める。
その時だった。
今の感覚、いつだったか似たような感覚を覚えたような気がした。
……あ、そうだ。祠だ。無理に奥に行ってコボルトにやられそうになった時だ。あの時にもこんな感じになったんだっけか。
いや、まだあるぞ。今日買い物の際中大勢の人に悪口を言われた時、耐え凌ぐために無欲の世界に溶け込んだ。あの時の感覚もこんな感じだった気がする。
あれ、なんだか意識が途端にはっきりしてきた。鮮明だ。それどころか――
「なんだろう。頭の中が空になったみたいな……何も考えられない代わりに体が解放された気分だ」
「ゴガァァ――」
面白いほど落ち着き払った声を出して、トロールは振りかぶった棍棒を軋ませた。その後直ぐに棍棒は強烈な力によって振り下ろされた。
だけど、その動きはまるで遅かった。それはもはやスローモーションのように見える。これこそ、コボルトとの戦いの感覚そのものだ。ただ一つ、落ち着いているか高揚しているかの違い。
もちろん、そんな攻撃逃げるまでもなく――
「ガァッ!?」
右手に持った片手剣のひと振りで弾き返せてしまう。棒立ちのままでも大丈夫。ただ思った通りに剣を振るうだけ。
なんだかいけそうな気がしたから、片手剣を半身で引き、一気に突き出してみる。
すると悲鳴にならないようなうるさい叫び声が辺りに反響した。それがあまりにうるさかったので、
「えい」
右手を思いっきり横に薙いだ。結構力が必要だったけど、案外綺麗に腹が裂けた。トロールは数歩後ずさりしてそのまま倒れた。驚く程に落ち着ている僕は、それすらどうでもよく思えていた。
「あ、もしかして」
僕はひとつ、あることが思い浮かんだ。多分、コボルトとの戦いの時はアリスの思い出もあって少し『興味』があったのかもしれない。だけど今回は一切興味がない。それだけはしっかりわかる。だって楽しくないんだ。コボルトとの戦い、いや、『喧嘩』はすごく楽しかった。でも今はこれっぽっちも楽しくない。それが今落ち着いている理由なんだろう。
「ん? アリスって誰だ?」
その言葉が妙にリアルに頭で浮かんだ瞬間、僕は凄まじい頭痛に襲われた。意識とかそういうのを度外視して、ただただ頭が痛い。
「うっ……なんだこれ……」
暫くどうする事も出来ずのたうち回る。地面に倒れてうずくまる。それでも痛みは消えず、何度も寝返りを打つ。
その時、頭が何かに当たった。ふと上を見上げるとそこには彼女がいた。
「大丈夫ですか、ヴァンさん?」
その彼女の姿を見た瞬間、嘘のように頭痛が消え、視界が晴れた。同時に、さっきまでの記憶が曖昧になる。なんだか寝て起きた気分。
「お、おい、アリスか!? 本当にアリスか!?」
「はい、正真正銘アリスです」
傷だらけのアリスの手には、折れた薙刀が握られていた。それを握る手は、血がにじむほどに強固だった。
「トロールの攻撃を寸でのところで凌いだんです。代償に薙刀が折れてしまいました……」
どこか堪えたような、それでいて精一杯の笑顔を浮かべるアリス。その表情を見て、僕はありえないぐらい心が軽くなった。
「……大丈夫、僕は腕利きの防具屋を知っているんだ。その人の娘に頼めば直ぐに治るよ。僕が頼めば殺されちゃうだろうけど」
「ふふっ、それは怖いですね。でも勇者を殺せるほどの実力、きっと鍛冶の技術もすごいんでしょう」
「え、殺しと鍛冶って繋がるの?」
一瞬の静寂。お互いに何が面白いのか、この状況に何をしているのかよくわかっていない。なのに笑いを堪えることができなかった。
「全く、王女を差し置いて何楽しそうにしてるの?」
「モニカ!?」
その声を聞いた途端、心の重みが途端に増した。なんだか寝ていた間にその声の持ち主も死の淵に立たされていたような気がしたのだ。
「そんな変な声出さないでよ。私を誰だと思ってるの? 王女よ? そう簡単にやられるわけ無いでしょ」
「ど、どうやって」
「障壁よ、障壁!! 魔法障壁!! いついかなる時も魔法使いはどんな攻撃にも一度だけ耐えうる障壁を張るものなの!!」
「ってことは……」
「トロールの一撃を覚悟で前線に出たってこと」
しょうがないなぁと、そんなことを言いそうな笑顔ではにかむモニカ。その見ているこっちまで穏やかになってしまうモニカ独特の笑顔を見て、ついに僕の心の荷は全て消えた。
「もしかして、実は教会で蘇生してきたとかじゃないですよね?」
少し茶化すようにアリスが尋ねる。その言葉に、モニカは少し驚く。
「え、何言ってるの? 教会が蘇生? そんなことできるわけないでしょ」
「ええぇ!?」
「万が一、大怪我を負ったとき優先的に神のご加護を受けられるようにする程度の力、蘇生なんてお噺の世界だけね」
「そんなぁあ……ヴァンさん知ってました? 私本で読んですごく感動してたのに……」
「も、もちろんだろ!? 教会で蘇生なんて……お噺の世界だけだろ、ははっ、ははは」
え、うそっ、そうなの? 普通に信じてたよ。僕めちゃくちゃ信じてた。えぇええ、結構ショックなんだけど。
「グ……ゴゴ」
三人揃っていつものような会話を繰り広げていると、後ろの方で赤黒い液体を撒き散らしながら最後の抵抗に打って出る影が見えた。
僕はそれを見て、もう一度さっきまでの自分の振る舞いを思い出してみようとした。だけど、やっぱり思い出せなかった。
たぶん、トロールに致命的な傷を負わせたのは僕。だけどどうやったのか、その時の僕がどういう気持ちでやったのか、そこが思い出せない。
だからもういいや、なんて思う。思い出せないものは思い出せないのだ。楽観主義なんじゃ、僕は。
「よし、勇者の初仕事を終えますか!!」
「そうですね」
「これが初仕事……先が思いやられるなぁ」
三人は揃って月を仰いだ。その月は、美しく壮麗な光で輝いていた。




