「ドッチ――」「じゃあお前ボールな」
「祠での私は、人間になれた嬉しさでちょっとおかしな事になってたんですよ」
王国が間近に迫った道を僕等は他愛もない会話をしながら歩いていた。
今の話題は、アリスの祠でのテンションと今日のテンションについて。
さっきのお淑やかさというか、清純さは祠ではそこまで感じなかった要素だったので僕は少しだけ違和感を覚えた。だから思い切って聞いてみたところ、そういうことだったみたいだ。
「なるほどなるほど、ということは普段のアリスは今日のような感じってことだね?」
「えーと、自分でもよく分かんないですけど、多分そうなんだと思います」
「そっかそっか」
未だに繋がった指の脈動を感じながら、僕は少しだけ得意気な気分になった。
アリスは典型的な勝ち組少女だと思う。勝ち組の線引きはいろいろあると思うけど、彼女は全部ひっくるめて『女の子』という部類の勝ち組だ。
その非の打ち所のない容姿も然ることながら、全身から溢れ出る柔らかで和やかな雰囲気や、言葉遣いに仕草。さらには男心をくすぐる行動の数々。どれを取っても生まれ持った才能としか考えられないものだ。
逆に、鍛錬を積んで得たものだとしたらそれはそれでなんだかすごいことだけど。
ふと視線を横にやると、そこには紛う事なき美少女がいる。視線を自分のつま先に向けて、前に歩みだすその足を惚けながら眺めている。それでいて、意識が向いていないはずの彼女の指は、しっかりと温かみと質感を共有するようにして僕と繋がっている。
そして今、その勝ち組の少女と指を繋いでいる僕は、同じように勝ち組だ。正確に言えば、勝ち組にさせて貰っている。
こんなに綺麗な人と知り合えるのは愚か、出会うことすら普通では不可能だろう。今まで出会ってきた女性がどれだけ魅力的だろうとアリスには別の魅力がある。それは、一度はモンスターとして生まれ、そこから変貌を遂げたという経歴が少なからず影響しているような、そんな思いを起こさせる言葉にし難い神秘的なものだった。
もうなんだかこの距離で並走しているだけで、僕はいろいろ満足だ。
「あの、ヴァンさん?」
「うん?」
「……やっぱり、手、繋ぎませんか? なんだかもどかしくなって来ちゃって」
先程まで惚けていた瞳は、再度光を宿していた。が、その瞳は特に意識を注ぐ程の物がない場所に向けられており、赤面した表情と相まって動揺の程が伺える。
「そうだね。僕もそう思っていたところだ」
僕はずいぶん前からそんなことを考えていたけど、大抵僕が言い出すとロクなことにならないから言葉を閉ざしていたのだ。
パッと表情が明るくなったアリスは、ゆっくりとした動きで指を離すとすぐさま接触を求めて手を触れ合わせてきた。しかし、一瞬で終わるはずの結びがなかなか終わらない。ただ手を交差させるだけの繋ぎに手間取っていると、僕は暫く経って察した。
だから、僕はその結論が描く光景を想像し、そこに準じた手の動きでアリスの手と絡まる。
結論、僕の手はアリスの手と指一本一本が交差する形の、仲睦まじい繋ぎとなった。
あぁ、アリスは人間になって間もないから人間界の常識が欠落しているんだなぁ。こんなこと、普通大分親しくないとまずできないからね。
「アリスはこの繋ぎ方がいいの?」
「え? これ以外にどう繋ぐんですか?」
ぎゃああ、可愛いぃぃ。
「ううん、なんでもないよ」
「そうですか? ならいいんですけど」
うん、僕の生活譚においてこれだけ和で幸せな雰囲気に包まれた光景があっただろうか。これほどまでにぽわぽわした雰囲気は僕も生まれてこのかた経験したことがない気がする。暖かいお日様の施しもあって、心は天にも昇るようだった。
だけどまぁ、僕の性質上、そんなことが長続きするわけがなくて。
「あ、ヴァンさん。あそこ、あれ王国の方じゃないですか?」
「え――」
アリスが繋いでいない方の手で前方を指差した。そこには一人の行商がおり、僕たちの方へ向かって歩いてきていた。あの行商は見たことがある、確か僕の家の近くで露天を開いていたはずだ。勿論、僕への殺意も実装済みだ。
「早速お出ましか……アリス、一回手離そうか?」
「え、どうしてですか?」
「ちょっとそばで見ててご覧よ。僕がどんな扱いを受けているか」
そう言って、僕は半ば無理やり手を解いて足早に彼女と距離をとった。本心、彼女に飛び火するのを防ぐためと手汗で気持ち悪がられるのを防ぐため。
どんどんと狭まる距離、目測15メートルといったところ。行商は俯き加減で歩いているせいか、僕にはまだ気づいていない。
さらに狭まりあと数歩ですれ違うというとこまで来て、ようやく相手が僕の正体に気づいた。うわ、あからさまに嫌そうな顔した。人を見てそれだけ表情を歪められるって相当嫌いなんだね。
すれ違いざま、僕は一瞬目を瞑り、拳を握った。奥歯を軋ませ、その毒付きに耐えうる用意をした。しかし――
「…………」
あれ、言われない? おかしいな、あの人はいっつもすれ違いざまに吐き捨てるはずなのに。
そんなことを考えていると、いつの間にやら僕と行商はすれ違い、どんどんとその距離を離していった。ちょっと拍子抜けしてしまった。力強く握った拳を解き、口角を下げ、目を開いて僕は穏やかに緩んだ気持ちで振り返った。
「アリス!! なんか大丈夫みた――」
「うっせえんだよ!! 喚くな、ほざくな、囀るな!! しねっ!!」
「…………」
こちらを睨みつけた行商は、ぺっと僕の足元に大分粘性の強い唾を吐いてまた歩き出した。その後、また戻ってきて口の中をモゴモゴし、さらに粘性の強い黄ばんだ液体を吐き出して僕をニンマリと見上げた。
「へっへっへ……しね」
そうしてようやく行商は帰っていった。
行商の嬉しそうな笑みとは打って変わって、僕の表情ときたらそれはもう酷いことになっていた。一言で言い表すならなんだろう。『虚』かな。
なんか上げて落とされたからか知らないけど、涙すら出ない無の境地に立たされていた。汚いとしか表現できない足元の染みに、僕はどうすることもできないでいた。
こう、かくれんぼとかしてさ、自分が鬼になって十数えていざ探しに行ったらみんな帰ってた、みたいな話なら僕も聞いたことある。でも今の僕の感覚は、かくれんぼしよーみたいな話になってそこに行ったら『お前はこの世界からかくれんぼしてろよ』って言われた気分だ。なんだこれ。えぇぇえぇ……って漏れ出る言葉を抑えることができようか。いや出来ない。
そんな虚無の状態で立ち竦んでいた時、爽快な音が通りに響いた。破裂音にも似た高い音が新鮮に耳に届いたのだ。
その音の出処を探して目を回すと、それはまさしく行商から発せられていた。それも、行商の頬から。
「……謝ってくださいっ!! 今すぐヴァンさんに謝ってくださいっ!!」
「あぁ、何だ、お前さん。あぁ、王国の奴じゃないのか。見たことない顔だ」
「そんなことはどうだっていいんです!! それより謝ってください!!」
「あぁ? 誰に何を謝るんだよ。お前が俺に謝るのが今一番妥当な謝罪じゃねぇか?」
うわぁあああぁ。一番恐れていた事態に陥ってるよっ!!
「それは貴方がヴァンさんに謝ったあとで謝罪します。ですから、今すぐあの方に謝ってください!!」
「ったく、うっせぇな。お前、なんなの? あいつの知り合い? だったら早いところ縁を切るべきだね。じゃないと王国では暮らせねぇよ」
その一言で、アリスはまたも激昂したようだった。次の一撃を放とうと既に手が振りかぶってしまっている。
「――――!!」
目を瞑り、力いっぱいのビンタで彼女は怒りを顕にする。それを察知し、身構える行商、程なくしてまたも痛快な音が鳴り響く。しかし、それは行商から発せられたものではなく、僕から発せられているものだった。
「…………」
「え――」
「なんだ、お前もやっぱりコイツのこと嫌ってるんじゃねぇか。あぁ、王国の奴じゃないから知らなかったのか。あのな、王国の英雄である勇者を嫌うことはいけないことだと思って隠しているんだったら、その必要はないぜ。なんたって王国中がこの勇者のことを嫌っているんだからな!!」
あらん限りの速さで間に割って入ったことで、行商は最初から勇者を狙ったビンタだと錯覚したらしい。強烈なビンタで座り込んだ僕に、行商は再度唾を吐く。そして運の悪いことに、それは襟首から内側へと侵入する。
「お、ナイスシュート!!」
そう言った行商は、今度こそ本当に帰っていった。
気がつくと、半分泣き出してしまっているアリスが手持ちの布で先ほどの唾を拭き取ってくれていた。
「……まぁ、こんな感じだから気にしなくていいよ。変に突っかかるとアリスが何かされかねないからね。こんなに綺麗な娘が勇者と一緒にいると知られればどうなるか分かったもんじゃないし」
「……私に、何ができますか?」
僕の手を両手で包み込んで、彼女は俯いた。アリスが今の一件で絶望する程、僕に情入れしてくれたことに本当に涙が出そうになる。
「そばにいてくれるだけで十分」
「何もできなくて、すみません」
そう言って彼女は黙ったまま僕の手を握り続けていた。
自分のためにも、そしてモニカ、アリスのためにも、いち早くこの状況を打開しなくてはいけないと思った。
そして同時に、レベッカやゴブリン、ドルイド、たけしに出会したとき、アリスはどうなってしまうのかと心配にもなった。
今も尚、前髪で表情を隠しつつも悲しげな面持ちで僕の手を握り続ける彼女の頭を、僕はそっと撫でることしかできなかった。




