08. 贈り物には棘がある
♢
「ゲームは好きでやるもの、か。全くもってその通りだよ」
石畳を叩く己の足音だけが、やけに重く耳に障っていた。
街の灯りが近づくにつれ夜の冷気は少しずつ和らいでいく。
だが胸の底に沈んだ嫌な重みだけは、一向に消えてくれなかった。
角を曲がり、静まり返った裏通りへ出たところで、ヤブキは小さく舌を打った。
(……忘れよう。元々関係のないやつだ)
吐き捨てるように思考を切り切り、大通りに面した武具屋のドアを押し開ける。
奥から顔に煤をつけた親父NPCが、無骨な手甲をカウンターへ叩きつけるように置いた。
「おう、待たせたな! 注文通りの代物だ!」
「おぉ。こりゃすげぇな」
「だろ? 素材が良かったからな。しっかり使い込んでくれよ!」
受け取った手甲を両手に滑り込ませ、固く拳を握り込んでみる。
アバターの肉体と寸分の狂いもなく噛み合い、拳を護るずっしりとした手応えが皮膚越しに伝わってきた。打撃の衝撃を殺さず、逆に相手の肉を砕くための鋭利な牙。
「攻防一体の神武器だな。これで戦略の幅も広がる」
満足げにニヤリと口元を緩め、店を後にする。
──だが、夜風が頬を撫でた瞬間、ヤブキの足がぴたりと止まった。
「……何言ってんだ、俺ぁ」
自嘲の混じった呟きが、夜の静寂に落ちる。
仕上がった武器の感触に胸を踊らせ、性能の高さに満足する自分。
幼い頃以来の久々のゲームだった。アシストを切った直後の圧倒的なスピード感やモンスターの群れをねじ伏せた、あの痺れるような高揚感。
狼やゴブリンロード達との戦いの度、湧き上がっていた胸のざわめき。
その正体が分かったような気がした。
「楽しい、ってか?」
この作り物の世界で泥臭く暴れ回り、強者を叩きのめす快感に無意識のうちに心を奪われていた。
己の軽薄さとクロードの言葉に図星を突かれていた事実に、ふと苛立ちが込み上げてくる。あまりの苦々しさに、ヤブキは粗雑に前髪をかきむしった。
(何の為にこの世界にいると思ってる。……これ以上ログインしてると変になりそうだ)
苛立ちを吐き出すように大きく息を吐き、視界の端でシステムメニューを呼び出す。
これ以上この世界に毒される前に、さっさとログアウトして現実に戻ろう──そう指を伸ばした、まさにその時だった。
「すみません!」
背後から投げかけられた切迫した声に、ヤブキの肩が跳ねた。
「えっと……ヤブキさん、ですよね? さっき平原にいた!」
「あー、そうですが」
振り返ると、そこには不揃いな装備を身につけた若い男女のプレイヤーが立っていた。
思わず後退りをするヤブキの目の前で、二人は身を乗り出すように詰め寄ってくる。頭上には『エリナ』と『ジュンヤ』という白文字のネームタグ。
(なんだ……この猛烈な嫌な予感は)
「やっぱり! 貴方の戦いぶり、陰から見てたんです! あんな大きいモンスター相手に、素手であんな風に戦えるなんて……本当に凄くて!」
「落ち着いてジュンヤ。……えっと、先程の侍の方とはもう別れられたんですか?」
目を輝かせて矢継ぎ早に言葉を重ねてくる少年──ジュンヤと、その隣でどこか申し訳なさそうに、けれど真剣な眼差しでヤブキを見つめる少女──エリナ。
(しまった。俺もアイツの手を使って逃げるか──)
立ち去るための口実を頭の中で組み立てかけた瞬間、エリナがジュンヤの肩を軽く叩いて制し、深々と頭を下げてきた。
「本当に急でごめんなさい。でもお願いなんです。私達と、今日一日だけでもいいのでパーティーを組んでくれませんか?」
「あ?」
「僕たちのパーティー前衛がいなくて、でもどうしてもクリアしたい依頼があるんです! 野良のタンクさんを探してたら、あなたのあの凄まじい立ち回りが見えて……」
「アンタ頭下げすぎ!」
──その二人のやり取りに、ヤブキの思考が一瞬だけ固まった。
(なんっか、似てるんだよなぁ)
二人を見ていると、しっかり者の姉と活発的な弟のようにも見えた。
その既視感に、冷たく拒絶するはずだった言葉が喉の奥でつっかえた。
「……俺が協力するのはその依頼だけ。それ以上は付き合わねぇ。それでもいいか?」
その言葉を聞いた瞬間、エリナとジュンヤの顔が同時に弾けたように輝いた。
「本当ですか!? ありがとうございます……っ!」
「すみませんいきなり。本当にありがとうございます!」
手放しで喜ぶ二人を見つめながら、ヤブキは腰の革袋と手甲を苛立ちまぎれに締め直した。
冷めきっていたはずの胸の底で、重く不機嫌な熱がくすぶり続けていた。
(ここへ来てから、柄じゃねぇことばっかりだ。何がどうなってる?)
***
「で? そのクリアしたい依頼ってのは何だよ」
「あ、はい! えっと……これです!」
三人は夜の『曇鸞虚弱の大森林』の入口付近へと来ていた。ジュンヤが差し出したシステムウィンドウの画面を覗き込む。
【テイマー専用依頼:暴走する一角獣の捕獲】
【対象】C級モンスター 『ストレートファンゴ』の捕獲
【概要】 大木をも薙ぎ倒す突進力を持つ。単独での挑戦は危険。
「テイマーってことは、要は『魔物使い』か?」
RPGに古来から存在する職業、使役した魔物に指示して戦う後衛職だ。ジュンヤの腰に携えられた皮鞭は司令用なのだろう。
「一応僕もテイマーなんです。色々あってまだテイムはできたことないんですけど……」
説明文を見るに、攻撃力と敏捷性に特化した猪型の魔物。
後衛職の二人では距離を保ちつつ拘束するのは至難の業だろう。
「水を差すようで悪いが、もっと簡単な魔物から仲間にした方が良いんじゃないのか? それこそスライムとか」
「うっ、そ……その通りなんですけど……」
ゴニョゴニョと恥ずかしそうに口篭もるジュンヤ。見かねたエリナが呆れたようにため息をつき、ヤブキに口添えした。
「コイツ私の幼馴染なんですけど、動物アレルギーの癖に大の動物好きなんです。苦しまずに触れるからってこのゲーム始めたんですけど、最初の仲間は猪がいいって聞かなくて……すみません」
「だって! かっこいいでしょ!? それにずんぐりむっくりしてて可愛いし!」
「何回も轢き殺されてんのにそんな目で見れるか! このアニマル馬鹿!」
(……うーん。やっぱ似てねぇな)
仲睦まじいというよりは、腐れ縁の幼馴染。弟妹が見せる健気さとは違い、目の前の二人はどこまでも暢気で──この「ゲームの世界」を無邪気に謳歌していた。
「まぁ大体わかった。俺の役割は前衛で──」
言いかけた、その時だった。
鬱蒼とした森の奥から、木々がへし折れる不穏な重低音が響き渡る。
ガサリ、と藪を押し分けて現れたのは、巨大な単角を頭部に生やした茶黒い巨躯──『ストレートファンゴ』だった。赤い瞳が、獲物を捉えて濁った殺気を放っている。
「アイツらの攻撃を受け止めるってわけだ」
「で、出たぁッ! 猪ちゃん!」
「集中しろバカ!」
ヤブキは腰を低く落とし、手に入れたばかりの『狼牙の手甲』を構えた。
湿った腐葉土を爆破するように蹴りつけ、ストレートファンゴが一直線に突進してくる。大木をも容易くへし折るほどの圧倒的な質量攻撃。
ヤブキは最小限の重心移動で紙一重にかわす。行き場を失ったファンゴの角が背後の巨木へ深々と刺さり、樹木が悲鳴を上げて傾いた。
(C級モンスターって言えば、アレと同じか。なら適当に流して勝てる相手じゃねぇか)
「ヤブキさん! テイマーがモンスターをテイムするための儀式はHPを削りきった戦闘終了後です! なので容赦なく倒してもらって構いません!」
「了解」
ストレートファンゴが力任せに首を振り、樹木を粉砕しながら角を引き抜いた。そのまま旋回し、地面を削りながら再びヤブキへ向かって躍りかかる。
突進の軌道を見極め、ヤブキは手甲の側面に付いた牙を相手の単角の根元へと滑り込ませた。
衝突のコンマ数秒前、全身の体重を逃がしながら肘を外側へ強くねじ込む。
「──ッ、オラァ!」
金属音が森に響き渡り、ファンゴの巨体が斜め前方へと大きく体勢を崩した。
このゲームにおける高度な防衛技術──【パリィ】。敵の攻撃タイミングに完璧に合わせることでダメージを無効化、または軽減し相手に大きな隙を作り出す高等テクニックだ。
(いいなこれ。剣と違ってタイミングが合わせやすい)
体勢を崩して無防備になったストレートファンゴの顔面へ、ヤブキはノーモーションの右直突きを打ち込んだ。
手甲の先端に並んだ狼の牙が肉を穿ち、ひるむ隙を与えず左の鉤突き、右の掌底、膝蹴りを矢継ぎ早に叩き込む。
「一度止めちまえばただのサンドバッグだ。これで一気に──」
そうして連撃を叩き込むヤブキの背後。
鬱蒼とした暗がりから一頭目の悲鳴に呼応した『二頭目』のストレートファンゴが殺気もなく、完全に死角から躍り出ていたことに、ヤブキは気づいていなかった。
気破を感じ振り返った時には──すでに巨大な角が目と鼻の先に迫っており。
(やべ──ッ!?)
体勢は前傾。回避は不可能、位置的にも手甲でのパリィすら間に合わない。
激突の衝撃を覚悟し、歯を食いしばったその瞬間。
「【ファイアボール】!!」
高らかな叫びと共に、側方の闇から眩い火炎の弾丸が飛来した。
火球は二頭目のファンゴの身体へ正確に直撃し、炸裂。爆炎と熱風に押され二頭目の突進の軌道がわずかに逸れた。
「ヤブキさん、今です!」
「……ナイスサポート」
ヤブキはインベントリから長剣を即座に呼び出すと、地面を強く蹴って跳躍。
空中で弧を描くように身体を回転させ、遠心力を極限まで乗せた剣閃を振り下ろした。
長剣の刃が、二頭並んだストレートファンゴの眉間を正確に一刀両断。
重厚な断末魔すら残さず、二頭の巨体が力なく同時に地面へ倒れ伏した。
「一撃? 意外と脆い……いやこりゃぁ」
戦闘の際【パリィ】同様に重要な要素である【急所補正】。軌道や力加減など、攻撃が理想的な当たり方をした際、そのダメージには補正が加わる。
(今までの戦いでやっていけてたのは、無意識にクリティカルを出してたからか。腑に落ちた)
やがて、二頭の巨体は赤いポリゴンの光となって崩れ始め、消滅しかけていた。
「ほらジュンヤ! 早くしないと完全に消えちゃうでしょ!」
「わ、わかってるよ! えっと……!」
後方から必死に駆け寄ってくる二人。ジュンヤは消えかける二頭の前に膝をつくと、緊張で震える手で皮鞭を掲げ、詠唱を口にした。
「尽きかける風前の灯火よ。我は主。汝に新たな命と約束を授けん──【従属契約】!」
ジュンヤの手から溢れ出た光が、赤い粒子へと溶け込んでいく。
「……ブルルゥ」
光が収まった時、そこには消滅を免れた二頭のストレートファンゴが静かに佇んでいた。二頭はゆっくりと首を垂れ、ジュンヤの足元へ鼻先を寄せた。
「やった……! 成功したぁぁぁーーーーっ!!」
歓喜のあまり叫び声を上げ、ジュンヤは二頭の猪の首筋に抱きついた。
「あぁ……大事にするからな、お前ら! ブルとベル!」
「もう名前付けてんの!? ってかまずヤブキさんにお礼でしょ!」
猪から離れようとしないジュンヤの襟首を掴み、無理やり引き剥がすエリナ。
「……まぁ、良かったな」
「本当に、本当にありがとうございました! あ、この捕獲依頼の達成報酬、全部ヤブキさんが受け取ってください!」
「え、マジか。またしてもサンキュー棚牡丹」
手元の革袋に報酬が加算されるのを確かめ、ヤブキは少しだけ口元を緩めた。
「そういやエリナ。アンタのさっきの火の玉、助かったぜ。ありがとな」
「え? あぁ、魔法のことですか?」
「そうそう。このゲームに来てから、見るのは初めてだったもんでな」
「えぇ!? あんな戦いする人が初心者⁉︎」
「うるさい! 人が話してる最中でしょ!」
「痛いっ!」
騒ぐ頭をポカポカ叩きながら、エリナは気を取り直して説明を続けた。
「えっと……私は『魔法使い』なので、魔力を消費して魔法を発動できるんです。ヤブキさんの使うような【スキル】とは違って、発動に詠唱の隙ができるんですけど……」
「あ? なんの話だ?」
「……え?」
「も、もしかして⁉︎ スキルも使わないでずっと戦ってたんですか!?」
「まぁ、チュートリアルも何もなかったからな」
「はは……滅茶苦茶ですね、ヤブキさん……」
騒ぐジュンヤの横で、流石のエリナも失笑を隠せない様子だった。
「あ、そうだ! お礼に私たちが基本スキルとシステムのレクチャーを──」
その時だった。
背後の深い草むらが、不気味な音を立てて激しく揺れた。
次の瞬間、倒したはずの二頭とは比較にならないほどの巨体を誇る『三頭目』のストレートファンゴが、完全に死角からジュンヤを目掛けて弾丸のごとく突進してきた。
「ぇ?」
「ジュンヤ──ッ!?」
「──どけ!」
間一髪ヤブキは手繰り寄せた手首を掴み、ジュンヤの身体を力任せに横へ押し倒した。
だが二人を庇って軸足を奪われたヤブキ自身に、回避する余裕など残されていなかった。
「ガハッ……!?」
ストレートファンゴの巨大な太角が、ヤブキの脇腹を容赦なく抉り抜いた。
凄まじい衝撃と共にヤブキの身体は宙を舞い、十数メートル先の樹木へと激しく叩きつけられた。
このゲームに来て、初めての「被弾」。HPは半分近く削られ、身体も衝撃により動かない。
だが問題はそこではなかった。
その瞬間──ヤブキの脳内を、狂気的なまでの衝撃が駆け巡った。
「ッ⁉︎ ぁぁぁああああああああ……‼︎」
──激痛。
脇腹の肉が削ぎ落とされ、内臓が押し潰されるような凄絶な生の激痛。
あまりの痛みに視界が真っ赤に染まり、ヤブキは腐葉土に顔を押し付けたまま喉をかき毟るような悲鳴をあげた。
(どういうことだ……⁉︎ なんで……ゲームで、痛みなんか……)
大衆向けのVRMMOでプレイヤーに苦痛を与えるようなペナルティなど存在するはずがない。そんな危険な安全装置の欠陥があれば、神ゲーなどと持て囃される前に即座に販売中止になるレベルだ。
「クッソ! ヤブキさんの仇ぃぃッ!」
「いや死んでないから! とりあえず倒すよ!」
痛みにより呼吸すら正常にできないヤブキをよそに、ジュンヤは二頭のファンゴと共に応戦。
数の暴力で三頭目を力任せに押し潰し、討伐を完了させていた。
戦闘が終わり、二人が顔を蒼白にして駆け寄ってくる。
「ヤブキさん! 大丈夫ですか!?」
「あ、良かった……HPはまだ残ってる! 死んじゃってたらどうしようかと……」
二人とも心配そうに声をかけてはいるが、その顔にはどこか『ゲーム内のピンチ』を観賞しているような、決定的な深刻さの欠如があった。
ヤブキは荒い息を吐きながら、差し伸べられたジュンヤの手首を掴み──その皮膚を力任せにつねる。
「ど、どうしました?」
「お前……、痛くねぇのか……?」
「へっ? あ、はい、びっくりはしましたけど……ゲームなので……」
何を聞かれているのか理解できない様子で、首をかしげるジュンヤ。
どんなに腕を強く力任せにしぼり上げても、彼の顔に痛みの色は一切浮かばなかった。
(嘘はついてねぇ。じゃあ、なんで……)
やはり、このゲームに痛覚再現など存在しないのだ。
ならば──なぜ自分だけが、吐き気を催すほどの痛みに悶絶しているのか。
(……ぁ)
脳裏に浮かぶのは、一つの言葉。
このゲームを始める際──自分にログイン用の機械を渡したあの女の説明だった。
『『ゴッド・エンターテインメント』社でも一部の関係者しか手に入れられない、特別仕様の非売品。没入感も操作性も、一般流通のものとは比べ物にならない』
『これなら──現実と寸分違わない身体感覚でゲームができるわ』
(あの女、ぶち殺す)




