07. 世界は己が為か、他が為か
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始まりの街『スターティア』の外縁──夜の平原。
街の喧噪から遠ざかるにつれ、草むらを渡る冷涼な風の音だけが暗闇を満たしていく。頭上に広がる夜空には、現実では決して見ることのできない巨大な月と無数の星々が輝いていた。
腰の長刀をわずかに揺らしながら歩いていたクロードが、ふと思い出したようにヤブキへ視線を向けた。
「そういえば。ヤブキさんって、このゲーム始めたばかりなんですか?」
「ああ。今日初めてログインした」
「そうでしたか。実は俺もついこの間やり始めまして……恥ずかしながら、最近どハマりしちゃってるんです。そのせいで学校の先生にも、『もっと勉強しろー』って怒られちゃってて」
照れくさそうに頭をかくクロード。癖のある黒髪が夜風になびき、うねる前髪の間から覗く中性的な顔立ちに、どこか年相応の少年らしい笑みが浮かぶ。
「気にすることねぇさ。好きならとことん打ち込むべきだ」
「っ! そ、そうですよね! 俺もそう思います!」
「お、おお……どうしたよ」
「はっ、すみません……っ」
堰を切ったように声を張り上げたクロードは、自分のテンションの高さに気づいて顔を赤くし、気まずそうに軽く咳払いをした。
「まぁそれは置いといてだ。その『小鬼首領』ってのは、どんなモンスターなんだ?」
「あっ、はい! そうですね」
ヤブキの問いに、クロードは気持ちを切り替えるように表情を引き締める。
「俺も実際に会ったことはないんですけど、攻略サイト曰く通常のゴブリンとは立ち回りが全く違うんらしいです。単体での戦闘力もさることながら、周囲の個体を呼んで群れで連携する上、自身もかなり高い耐久力を持っているとのことで。まずは周囲の雑魚を俺が一掃して退路を確保しますから──」
「あーすまん。聞き取れねぇや」
「はぇ!? す、すみません!」
思わず苦笑交じりに制すと、クロードは勢いよく肩を跳ねさせた。
「俺、パーティ組むの初めてで……っていうか、ゲーム内でも現実でも人とまともに話すのもそんなに機会がなくて。色々加減が分からなくて……」
(相当なゲームオタだな。一聞いて十どころか千返ってくるところとか、兄貴そっくりだ)
「まぁいいや。厄介な敵ってだけ分かれば十分だよ」
「はい! ヤブキさんは最低限のサポートに回っていただければ大丈夫です!」
早口で恐縮するクロードの横顔を、ヤブキはどこか懐かしさを覚えながらしみじみと見つめた。
「と、ところで! ヤブキさんはこのゲームのことはどのくらいご存知なんですか? 世界観とか、システムの詳細とか」
「ほとんど知らねぇ。ただまぁ……クリアすれば金がもらえるってことだけは、知ってる」
「! ……報酬金のことですか?」
「ああ、ニュースでもやってただろ。ワールドクリアだったか」
「……そう、ですか」
その一言が落ちた瞬間、クロードの声から先ほどまでの瑞々しい熱量がすっと消え去った。無意識にか、刀の柄に置かれた細い指先に微かに力が込められる。
草むらを擦り抜ける風の音だけが響く、露骨なまでの沈黙。ヤブキは歩調を崩さず横目でクロードの横顔を伺い、目元を細めた。
(……なんか、マズいこと言ったか?)
気にはなったものの、自分のプライベートを明かす気も機嫌を取る気もない。
二人の間に横たわる言葉の数は急激に減り、静寂だけを連れて夜の平原を黙々と進んで行った。
***
──しばらく平原を進むと、ゆるやかな丘の影にぽっかりと開いた広大な窪地に辿り着いた。
窪地の底には、薪を焚いた不気味な篝火が揺らめいている。その周囲を取り囲むように、ゴブリンたちは肉を貪り、粗悪な武器を乱雑に打ち鳴らしていた。
「あれか?」
「はい。調べた姿と同じなので、多分」
その中心には人間の胸ほどの背丈しかない通常のゴブリンとは明らかに一線を画す、巨大な影が鎮座していた。
ずんぐりと太い胴体に、丸太のような二本の腕。
肩にはどこかで奪い取ったらしい、錆びついた金属の破片を強引に打ち付けた歪な肩当てが食い込んでいる。吐き出される息は白く濁り、立ち上る肉の腐敗臭と獣臭が風に乗って二人へ届く。
頭上に浮かぶ文字──【ゴブリンロード】。
明確な殺意と、群れを統率する残忍な知性を感じさせる強烈な圧迫感。生身の肌に刺さるような緊迫感が、ただのモンスターとは違うということを嫌でも認識させる。
「僕が道を開きます。ヤブキさんは一旦、後ろで待機を」
「分かった。頑張れよ」
そうして彼は少し離れた場所に身を置いた。
見届けた後、クロードの顔から余裕が消え、緊張で頬の筋肉が引き締まる。
カシャン、と澄んだ金属音が夜の平原に高く響いた。クロードが腰の長刀を滑らかに抜き放つ。
月光を浴びた刃先が、鋭い銀色の閃光となって闇を切り裂いた。
(……何もしないで金がもらえるならそれが一番だよな。現実じゃああり得ねぇ天国だ)
のんきにそんなことを思考しながら、ヤブキは目の前で繰り広げられようとしている『侍』の初陣を、冷ややかに見つめていた。
──小鬼たちが異物の存在を認識した刹那、平原の静寂は戦場へと変貌する。
「ギギャアァ‼︎」
群れの前方から二匹、クロードへと飛び掛かった。それぞれの小刀を衝動に任せ突き刺さんと試みる。
腰の長刀を流れるような動作で滑らせる。刀身が月光を反射して一閃。飛びかかってきた小鬼の首筋を寸分違わず切り裂いた。
返り血を浴びる間もなく、円を描くように軸足を旋回。続く二体目の心臓を一刺しで穿ち、即座に刀を引き抜く。
──【スキル】流転受け。発動後一定時間、自身の行動に回避補正が付く。
その後も小鬼たちが繰り出す粗雑な鉄くずの攻撃を紙一重でかわし、生じたコンマ数秒の隙へ正確に刃を滑り込ませていく。クロードの手により、群れの数は瞬く間に数を減らす。
(確かにすごい動きだな。ギャラリーができるのも納得だ)
後方で見守るヤブキの目にも、その洗練された剣術は圧倒的な美しさとして映っていた。
だが──それも、あの巨躯が動くまでの話。
「──ガアアアアアアアアアアアッ!!」
それまで我関せずを貫いていた首領の獰猛な咆哮が夜空を刺す。地面が重低音で激しく震動する。
直後、地中から粘つきを伴って数体の小鬼が這い出しクロードを見据える。
さらには首領自身がその巨体からは想像もつかないスピードで前線へと跳躍した。
金属のような光沢を帯びた首領の巨大な爪と、クロードの刀が交錯する。
「──ッ、おっも⁉︎」
衝撃を完全に殺しきれず、クロードの身体が数メートル後方へと削られるように後退する。しかしすぐさま姿勢を立て直し、刀を握る手に力を込め、正確に刃を振るう。
「硬い……‼︎」
刀身から手応えは伝わっているはずだが、切り傷は浅い。首領は皮膚を刻まれたダメージなど気にする素振りすら見せず、喉の奥から「ルルル……」と不気味な低温の濁音を漏らした。
──周囲の小鬼たちへ向けた、明確な軍勢の指揮指示。途端に小鬼たちの無秩序な動きが一変した。
左右から回り込み、クロードの退路を完全に遮断するように扇状の網を張る。一体が正面から命捨て身の突進を仕掛け、クロードがそれを斬り払った隙を狙い、死角から別の小鬼が錆びた刃を突き出す。
「……くッ!」
クロードの肩に浅い切り傷が走り、鮮血の代わりに光の粒子が飛び散る。
さらに別の小鬼が低い姿勢から足を狙って飛びかかってきた。無駄のなかった動きには決定的な乱れが生じ始めていた。
そして、首領が巨大な前足を再び高く振り上げた瞬間。
正面の打撃を受け止めざるを得ないクロードの背後から、二体の小鬼が同時に跳躍した。
「やばっ……!」
敗北が頭をよぎり、大ダメージを確信した──その刹那。
クロードの眼前に不気味なほど無音で割り込む、一つの影。
「──ッ! ヤブキさん、危ない‼︎」
襲いかかった最初の小鬼が振り下ろした刃を、ヤブキは右足のブーツの側面で受け止めた。
そのまま反動を利用、軸足を高速で切り替え、左足の鋭い前蹴りを顎の真下から突き上げる。
小鬼の頭部が凄まじい勢いで仰反り、首骨の折れる音と共にその場に崩れ落ちた。
間髪入れずに踏み込み、続く一体の懐へ滑り込み、次々と急所を抉り抜いていく。
「……ハハ」
その時──ヤブキの唇が、無意識のうちに薄く歪んでいた。
まるで己の内側に潜んでいた不気味なざわめきが浮上してきたかのような、獰猛な笑み。
体が動くたび、口元が勝手に引きつり上がっていく。
「ヤブキさん……!?」
当の本人はその変化にすら気づくことはなく。目を見開くクロードを尻目に、ヤブキは周囲のゴブリンを次々と処理し、その標的を首領へと切り替えた。
首領が注視対象をクロードからヤブキへ変えようと動いた瞬間、ヤブキはすでに地面を蹴っていた。
両足を揃えた跳躍──首領の顔面へむけて、全体重を乗せた跳び蹴り。
完璧な踏み込みと角度が功を奏し、数トンはあろうかという首領の巨体がズウンと大きく不格好に傾く。
(チャンスだ! 今なら──)
クロードが立て直した刀を構え直そうとしたが、ヤブキはそれを待たなかった。
着地と同時に、転がっていた小鬼たちの落とした粗悪な短刀や手斧を無造作に拾い上げる。それらを首領の肉の薄い関節部や傷口へ、力任せに次々と刺し込んでいく。
「グァアアアアアアアアアアア‼︎⁉︎」
悲痛な咆哮を上げ、完全に体勢を崩して膝をついた。その顔には獰猛さはなく、ただ目の前の人間の次の行動を怯えているようだった。
「喧嘩もそうだが──そうなったら、戦いは終わりだ」
ヤブキは正面に立ち、インベントリから長剣を取り出す。木の幹のような太い首筋にゆっくりと刃を当て──引き切った。
先ほどまでの騒がしさはどこへやら。毛程の断末魔の流さず、首領の首はヤブキの足元へ転がり落ちた。
『レベルが上がりました : LV7 → LV15』
『首領の主牙を入手しました』
首領の死亡に伴い、周囲の小鬼たちの死体が漏れなく赤い光の粒子となって空気中に溶けて消えていく。
数秒が経ち残されたのは、地面に転がる禍々しい漆黒の角牙のみだった。
「ヤブキ、さん?」
クロードはゆっくりと刀を鞘に収め、乱れた呼吸を整えながらヤブキを見つめていた。その瞳孔は極限まで見開かれている。
「──あっ、スマン。助けるだけのつもりだったんだが」
クロードは刀の柄に手をかけたまま微動だにせず、呼吸音だけが暗闇に白く弾けていた。
「……信じられません」
「え?」
「その動きです! スキルを使わない……初めて見ました、そんな戦い方!」
ヤブキは懐から引き抜いた回復薬草を無造作に口に放り込み、ポリポリと噛み砕きながら肩をすくめた。
その唇からは、笑みはすでに消えていた。
「いや、大したことねぇよ。運が良かっただけだ」
「大したことです! ……また、助けられちゃいましたね」
いつものように柔らかい物腰で、クロードはヤブキを見つめる。
ただ──その瞳の奥で渦巻くのは、ある一つの疑念だった。
***
二人は戦闘を終えた後、窪地の外縁にある大きな岩の陰に腰を下ろした。
平原を吹き抜ける夜風が、湿ったアバターの肌をなぞる。遠くの街道から、他のプレイヤーたちの話し声が途切れ途切れに風に乗って届いていた。
(……にしても、さっきの戦い、なんつーか)
ヤブキは薬草を噛みながら、自分の手を見つめた。
指を固く握り、ゆっくりと開く。
(身体が勝手に動いたってか?)
クロードを守る為──または他の理由か。思いがけず飛び出してしまったが、結果的には功を奏したものとなった。
「……ヤブキさんは、なぜこのゲームを始めたんですか?」
「ん?」
暗闇の中から落ちてきたクロードの問い。そこに最初のような軽さは一切なかった。
(あの女のことを話すのは論外。……なら)
ヤブキは吐き捨てた薬草の汁を靴底で擦り潰すと、視線を落としたまま答えた。
「金だな」
「────っ!」
嘘をつくことでもない。相手の質問の意図を薄々察しつつも、無遠慮に言い放った。
「やはり、あの報酬金ですか」
「ああ、ニュースを見て決めたんだ。俺はクリアできりゃあなんでもいい」
静寂が落ちる。
クロードは夜空を見上げたまま、身動ぎひとつしない。風の音だけが不気味に二人の隙間を通り抜けていく。
「……そう、ですか」
漏れ出た声に感情の起伏はない。
だが、息を吸う微かな音が、夜の静けさの中で研ぎ澄まされた刃のように鼓膜を刺した。
「俺は……俺は違います」
「ん?」
クロードが、ゆっくりと首を横へ向けた。
目の奥に灯っているのは、燃え上がるような怒りではない。暗い水底に沈んだ、重く冷たい色。
「俺はこの世界が好きなんです。このゲームだけじゃなく、他のゲームも、全部です」
瞳は夜空を映したまま微動だにせず、整った輪郭の唇が硬く結ばれる。
「世界観の隅々まで意図を持って作り込まれた町並みも、手応えのある戦いも、見知らぬ土地を探している時に、ふと見つかる小さな物語も。ログアウトして現実に戻った後も、ゲームで過ごした時間を思い出してしまう程に、ゲームは俺の全てです」
「…………」
「──だからこそ許せないんです。この世界を、金としか見ていないプレイヤーを。クリアすること自体に価値を見出せない人達を、俺は絶対に認められない」
責め立てるわけでも、声を荒げるわけでもない。
「俺は俺の『好き』を追う為にこのゲームをプレイしてる。……俺は、貴方のような人が嫌いだ」
ただ淡々と拒絶の境界線を引くような声音。
膝の上に置かれたクロードの右手が、血の気が引くほど強く刀の鞘を握りしめていた。
「ハッ。そういうことかよ」
向けられた瞳に宿る、冷酷なまでの失望。
ヤブキは鼻で小さく笑うと、背中の岩に体重を預けた。
「どこまで行ってもこの世界はたかがゲーム。趣味は結構だが、いつだって俺らが生きるのは現実だ。現実で生きるためには必要な『金』っていうステータスを求めて何が悪い?」
「ゲームだからこそです! ここには、現実にはないものがたくさんある! 訂正してくださ──」
「好きで腹は膨れねぇんだよ‼︎」
「っ……………⁉︎」
夜の平原を刺すようなヤブキの叫び。
空気が張り詰め、視線と視線が暗闇の中で互いを射抜く。
「……悪ぃ、ミスった」
自らの感情の奔流にハッとしたように恥じる。
逃げ場のない圧倒的な緊張感が、二人の間に壁のように立ち塞がっていた。
「まぁ、お前はそれでいいじゃねぇか。誰に何と言われようと自分は曲げちゃ駄目だ」
ヤブキは立ち上がると、革袋を腰に押し込み、背を向けて街の方角へと歩き出した。
「報酬は貰っていく。……色々、ありがとな」
「ヤブキさん、」
「──だけどな」
足を止めることなく、ヤブキは短く告げた。
「おまえみたいになれない人間も、世の中いるんだ」
暗闇の中、足音だけを残して遠ざかっていくヤブキの背中。クロードは微動だにせずただその影を見送っていた。
握りしめた拳の爪が皮膚に深く食い込んでいく。
「…………なんで、ですか」
クロードの呟きは、彼には届いていなかった。




