05. 異形はどちらか
♢
「さて、まずは何すりゃいいんだ。チュートリアルは……」
ヤブキは昔遊んだRPGの記憶を辿り、ふと道端のベンチに腰を下ろしてみた。待っていれば案内役のNPCでも現れるのではないか、と淡い期待を抱いたのだ。
だが、五分十分と過ぎても何の変化も起きない。
受動的な導きは皆無だった。
(不親切なゲームだ。軽く調べてからやるべきだったのか?)
魔法灯の灯りが街を明るく照らし、夜空の下でも通りは活気に満ちている。
重装備を固めた冒険者風の者、行商人のような者、そして質素な服を纏うこの世界の住民たち。眺めているうちに、ヤブキはある規則性に気づいた。
頭上に浮かぶ文字の色だ。通りを行く者の大半は白色のネームタグが浮かんでおり、稀に青色のネームタグが混じっている。
試しに近くの窓ガラスで自分の頭上を確認すると、そこには小さく白文字で『ヤブキ』と浮かんでいた。
(プレイヤーが白、NPCが青ってことか。分かりやすくていい)
しかしこれ以上待っていても埒が明かない。
ヤブキは立ち上がると、露店で防具を並べている青ネームの老人に声をかけた。
「なぁ爺さん。俺は『傭兵』なんだが、この街に来たらまず何をすればいい?」
「……なら冒険者ギルドに行きなされ。戦闘職なら、まずはそこで依頼を受けるのが筋じゃ」
「そいつはどこに?」
「この大通りを真っ直ぐ突き当たった場所だよ」
老人は淡々と答え、隣の若い女NPCも笑みを浮かべて頷いた。ゲーム開始時に戦闘職を選んだ場合、まずは冒険者ギルドへ向かうのが鉄則なのだとか。
(なるほど。通りでチュートリアルもねぇわけだ)
──この世界は、自分から問いかけなければ何ひとつ始まらない。
仕組みを理解したヤブキは、ギルドへ向かいがてら、別のNPCにも試しに話しかけてみた。この恐ろしいほど精巧な世界でNPCがどこまで思考できるのか、そんな境界を確かめたくなったのだ。
「夜だってのにやけに賑やかだな。この街の人間は夜更かしが好きなのか?」
「特にそんなことはない。だが酒場は夜遅くまで賑わっているよ。魔法灯の油代がかさむって、店主が愚痴をこぼしていたがね」
さらに、ゲームのシナリオからは完全に逸脱したような質問を投げてみる。
「なぁアンタ。もしこの世界が、誰かの作った偽物だったらアンタはどうする?」
「……妙なことを聞く。だが仮にここが作り物だろうと腹が減れば飯を食うし、傷を負えば痛い。俺たちが今ここで生きているって事実は、変わらんだろ」
定型文の羅列ではない、あまりに人間味あふれる返答。ヤブキは思わず足を止めた。
(すげぇな……どんなAI積んでんだこれ)
プログラムと分かっていても、背筋に薄寒いようなリアルな手応えが残る。
頭上の名前無しでは、目の前にいるのがプレイヤーかNPCかわかったものではなかった。
──やがて視界が開け、他よりも一際巨大な建物が現れた。
頭上に白いネームタグを浮かべたプレイヤーたちがひっきりなしに出入りしている。
重厚な開け放たれた門をくぐり、大賑わいの館内へ踏み込む。
『受付』の看板へ向かうと、愛想の良い女性NPCがヤブキのネームタグに視線を落とし、接客スマイルを向けた。
「初めまして! 始まりの街『スターティア』の冒険者ギルドへようこそ! 冒険者登録はお済みですか?」
ヤブキが首を振ると、受付嬢は手際よく引き出しから紙とペンを取り出した。
「それではまずは登録からですね。いくつか簡単な質問にお答えください!」
職業や戦闘経験についての短い質疑応答を終えると、金属的な質感のカードが手渡された。
「こちらがヤブキ様の冒険者証となります! 現在のランクは『D』。D級の方が受けられる依頼はこちらになります!」
ギルドの依頼はD、C、B、A、Sの五段階に難易度が分かれているという。実績を重ねることで昇格試験を受けられ、最高峰の『S級』ともなれば、この世界でも一握りの有名プレイヤーとして名を馳せるのだとか。
(……あの女のことだ。『S級程度、登り詰めて当然』とでも言うんだろうな)
彼女の傲慢な顔を思い浮かべながら、提示された十数枚の依頼書を精査する。『スライム捕獲大作戦!』『薬草採取の極意』『洞窟探索・初級編』『鉄鉱石を求めて』などなど。
その中でも彼は最も無難そうな一枚を引き抜いた。
『周辺の森に出没する獰猛狼の牙の収集。初心者向け』
「承知いたしました! お気をつけていってらっしゃいませ!」
手続きを素早く済ませ、ヤブキは賑やかなギルドの館内をあとにした。
「狼ねぇ。流石に現実じゃあ戦ったことはねぇな」
***
深い静寂に包まれた『スターティア』の郊外──『曇鸞虚弱の大森林』。始まりの街を出た初心者が始めに訪れる広大な森。
魔法灯の温かな光が届かない木々の隙間から、冷ややかな夜風が吹き抜ける。足元を覆う湿った腐葉土と、青臭い草木の匂いが微かに鼻腔を突いた。
そのリアルな感覚に内心驚きつつ、周囲を警戒しながらヤブキは進んでいた。
「最初だし当然レベル1だ。依頼ついでに軽くレベル上げでもするか」
すると、背後の薄暗い藪がガサリと不気味に揺れた。
「──グルルッ」
低い唸り声とともに闇の中から姿を現したのは、体長一メートルを超える巨躯を持った茶色い毛並みの肉食獣──ブルードウルフ。
獰猛な赤く光る瞳が、獲物を喰らい尽くそうとする殺気で細められている。
「うぉ、思ったよりでけぇじゃん」
ブルードウルフが湿った地面を強く蹴り、一直線にヤブキの喉元を目がけて躍りかかってきた。
(完成度が高いのはもう十分わかった。後は戦闘はどんなもんか──)
素早い動きではあったものの、ヤブキの目にはその突進の軌道は十分に捉えられるものだった。
即座に半身を切り、相手の呼吸に合わせて右手の剣を鋭く振り下ろす。
──しかし、その直後。
(あ? ……なんだ、これ?)
全身の肉体に、とある不快感が微かに走った。
この瞬間、ヤブキの脳が身体に命じたのは、相手の首筋を最小限の軌道で切り裂く一閃。
だが実際にはアバターの右腕は──まるで事前に決められた軌道をなぞるをなぞるかのように、ヤブキに一部逆らった。
コンマ数秒の決定的なラグ。
余計な溜めを挟み込んだせいで、剣先は狼の毛皮を浅くかすめただけに終わった。
「チッ……!」
すれ違いざま狼の鋭い爪がヤブキの胸当てを削り、嫌な金属音を立てる。
ダメージ数値としてはごく僅か。だがヤブキの腹の底で燃え上がったのは──己の肉体を勝手に制御しようとする、システムへの確かな拒絶だった。
(なんつーか、誰かに操作されてるみてぇだ。この違和感は──)
意識を画面の隅へ向けると、視界の端に淡く点灯する小さな半透明のシステム表示が。
──【システムアシスト:ON(推奨)】。
初心者が刀剣の振り方すら知らなくとも、意識せず凄腕の剣士のように華麗な攻撃を叩き出せる自動補正機能。大多数の一般プレイヤーにとって、これこそがこのゲームをストレスなく楽しむための至高のサポートだった。
だがヤブキにとって脳の伝達とアバターの動きがわずかにズレるこの機能は、自身の動きを縛る枷でしかなく。
「邪魔だな、これ」
迷うことなく、設定パネルの【アシストOFF】を選択した。
──直後。
身体を縛り付けていた透明な重圧が、ブツリと弾け飛ぶ感触。
視界がクリアになり、アバターの指先の一本一刺に至るまで自身の脳神経とダイレクトに繋がったような恐ろしいほどの解放感が、全身を駆け巡る。
体勢を立て直したブルードウルフが、再び牙を剥いて飛びかかってくる。
ヤブキは握っていた剣の柄を持ち替えると、振るのではなく──そのまま一直線に狼の開いた口内目がけて突き刺した。
「ギャンッ!?」
直感的な刺突。牙を破砕して喉奥を貫かれた狼が悲鳴を上げる。ヤブキは剣から即座に手を離し、間髪入れずに踏み込んだ。
「剣なんて振り回すより、こうした方がずっとやりやすい」
そして、引き抜いた両拳を構える。
(人じゃねぇなら、殺す心配もねぇ)
喧嘩の理を現実で叩き込んでくれた兄──宗一郎から受け継いだ、生身の格闘技術。
それには溜めも大振りな予備動作も一切存在しない。ただ最短距離で相手の命を奪うための暴力だった。
「いくら作られたモンスターとはいえ、喉元刺されりゃそりゃ痛ぇか?」
喉を突かれて悶絶するブルードウルフの目元へ、鋭い右貫手が刺さる。
視界と平衡感覚を奪われ白目を剥いたブルードウルフに対し、ヤブキはそのまま左手で相手の前脚の関節を掴み、逆方向へと鋭く捻り上げた。
嫌な破壊音が森に響き渡り、ヤブキは体勢の崩れた狼の後頭部へ膝蹴りを打ち込む。
首骨が完砕する重厚な手応えと共に、ブルードウルフはポリゴンの光の粒子となって瞬時に爆散した。
『レベルアップを確認:LV1→LV2』
「流石高性能機器、現実より身体が軽ぃや」
握り直した己の拳を見つめる。アシストをOFFにしたことで、アバターはヤブキの脳が命じた一瞬のスピードと完全に一致していた。無駄な動きが削ぎ落とされ、全身に爆発的な鋭さが戻ってくる。
(それにしてもよくできたゲームだ。レベル差があっても、技術や回避は個人のPSの範疇。あの女が強いやつを求めてたのもそういう──)
だが、安堵したのも束の間。
死に際の叫び声に引き寄せられたのか、周囲の鬱蒼とした藪が一斉に激しく揺れ動いた。
闇の中から姿を現したのは、一頭や二頭ではない。
「ギガッ!」「ギギッ!」「グルルアッ!」
ブルードウルフの群れ。そして、その背後から粗末な木棒や錆びたナイフを手にした醜悪な小鬼──ゴブリンの集団が、ヤブキを完全に包囲するように次々と湧き出してきていた。
2種属合わせその数、およそ十六。
初期装備のDランク冒険者が一人で対処して良い敵の数ではなかった。
「ハッ。逃がさねぇってか?」
現実ならば死を覚悟して逃げ出すような死線。だが、ヤブキの口角は自然と高揚に吊り上がっていた。
今は存在しない古傷の奥、そして全身の血液が久々の戦いに反応し熱く脈打ち始める。
「──逃げねぇよ。まとめて来い」
ヤブキは右足で湿った泥を強く蹴る。逃げるどころか、真っ直ぐ群れの中心へと躍り出た。
先頭のゴブリンがゲラゲラと笑いながら振り下ろした木棒を、半身を僅かに捻って紙一重でかわす。すれ違いざまに手首を掴み、肘の関節へ下から掌底を叩き込んだ。
「ギャアアッ!?」
悲鳴を上げるゴブリンの首根っこを掴み、後ろから襲いかかってきたブルードウルフの突進の軌道上へと肉壁として投げつける。
激突して体勢を崩した狼の脳天へ、地面に刺さっていた剣の柄を蹴り飛ばして正確に投擲。突刺した剣が狼の頭部を深々と貫いた。
不意を突かれ戦慄するゴブリンたちの懐へ、ヤブキは素手で滑り込む。
「人の形してて、なおかつ人じゃねぇなら──こんなこともできちまう」
腕を掴み、肩の関節を外し、相手の自重を利用して地面へと叩きつける流れるような投技。急所である喉元や目、みぞおちへ容赦なく撃ち込まれるノーモーションの打撃。
「ギ、ギギッ……!?」
自分たちの仲間が一人、また一人と消えていく惨状。それを見たゴブリンたちの赤ぐろい瞳からは凶暴性が消え、露骨な恐怖の色が混じり始める。
「どうした。逃げんなって言ったのは、お前らの方だろ」
返り血──もといポリゴンの光を浴びながら、冷ややかに手招きするヤブキ。
その身から立ち上る殺気と笑み。それはモンスターである彼らにとっても、間違いなくこの森で最も恐ろしい『異物の化け物』として映っていた。
一歩退がろうとしたゴブリンの喉元へ貫手が容赦なく突き刺さる。
戦いが終わるまで。肉と骨が砕ける鈍い音が、何度も夜の森に響き渡っていた。
『レベルアップを確認 : LV2→LV7』




