16. 仕様は逆手が順手なり
♢
「……成程?」
クロードが思案の末に行きついた『秘策』。その全貌を聞かされ、ヤブキは思わず感心の声を漏らした。
と同時に、ただ闇雲に殴り蹴り倒すだけでは攻略し得ないのが『ネームドボス』なのだと、その難易度を改めて噛み締める。
「お前らしくもねぇ狡い手だな。誰かの影響か?」
「……分かってる癖に。勝つ為に全てを尽くせって言ったのは君でしょ」
「全くもってその通りだ。やってやろうじゃねぇの、ボス討伐」
「じゃあ──最初は任せたよ」
【狼牙の手甲】を強奪され、現状残された武器は初期装備の頼りない長剣一本のみ。
地を蹴ってグリードエイプとの距離を一気に詰めながら、ヤブキはシステムウィンドウからアイテムを一つ、取り出した。
「案外、何が役に立つのか分からねぇモンだな……」
手に収まったのは持ち手の木が腐りかけ、刃先も欠けた【小鬼族の手斧】。最初の依頼で不本意ながらも大量に集める羽目になった、二銭にもならない粗悪品だ。
ヤブキはそれを巨猿の醜悪な顔面へ向けて、力任せに投げつけた。
対する大猿はアイテムに飢えた習性を剥き出しにし、血走った眼で飛びつくと、その太い指先で粗悪な手斧を乱暴に掴み取る。
「ビンゴだ」
──『簒奪モーションの誘導』。
目の前に差し出された武具に無条件で反応し、力づくで奪い取ろうとするシステム上の習性。それを逆手に取り、敵の行動を強制的に縛り上げる。
奪い取った手斧をそそくさと腹の『皮嚢』へ押し込もうとする隙を見逃さず、ヤブキは間合いを潰して長剣をその袋へと突き刺した。
「破れねぇか。おっと──ホラ、これやるから落ち着け」
攻撃を受けたことで咆哮をあげ、怒りに目を怒らせるグリードエイプ。だが、ヤブキが立て続けに投げつけた次のゴブリン製粗悪武器に、意識はまたしても惹きつけられてしまう。
生じた隙を逃さずに刃を叩き込み、着々とダメージを蓄積させていく。
「欲張りってのは難儀だな。目先の欲に釣られて大局が見えてねぇ。もっと相手を見ていこうぜ」
三度、手応えと共に剣を突き刺した──まさにその刹那。
甲高い金属音が空間に激しく響き渡り、ヤブキの握る長剣の刃が根元から爆ぜるように砕け散った。
(耐久値にガタが来た……じゃねぇ。これは──)
突き刺そうとした袋が、どくどくと不気味な魔気を放ちながら黒く変色していく。それと連動するように、グリードエイプ自身の全身の毛並みと皮膚までもが煤のような漆黒へと染まり上がっていく。
直後、激しさを増した地鳴りのような足音と共に、大猿が凶悪な殺気を剥き出しにしてヤブキへと迫る。
「防御モード、とでも言ったところか。おまけに武器に食いつきもしねぇ」
この時のヤブキは知る由もなかったが、グリードエイプは体力が一定値を下回ると、最優先AIを『武器の簒奪』から『袋の絶対防御』へと移行させる。自身の核である袋を傷つける者を最優先排斥対象と認識し、攻撃性・機動力を爆発的に向上させるモードチェンジ。
「……上等じゃねぇか」
手にする武器はすでに潰えた。自身のスタミナも限界が近く、呼吸は荒く乱れている。
それだというのに、胸の奥底から狂おしいほどの高揚感が湧き上がってくるのを止められない。
獰猛な笑みを口元に浮かべ、ヤブキは武器を捨てて巨体へと殴りかかり──
「──だから、俺もいるって言ったよね?」
刹那。
空を断ち切る鋭い旋風の音と共に、グリードエイプの丸太のように太い右腕がぼとりと地に落ちた。
「充電はすんだみてぇだな」
「勿論! いっつも時間稼ぎで悪いね」
【柳凪流抜刀術:三式『霊泉刃』】。
かつてゴブリンキング戦でも放たれたこのスキルは、発動から僅か十秒間、自身の刀に『部位破壊属性』を付与する。ある程度のレベルの差を無視して部位を削ぎ落とすことができる反面、発動前には無防備な一定時間の集中を必要とする。
腕を断たれ怯んだその一瞬の隙を突き、流麗な太刀筋であの醜悪な『皮嚢』を根元から切り離した。
「勝てるのならどんな手だって使うさ。それが、全力で戦うってことだからね!」
「よっと」
宙を舞う巨大な袋をヤブキが滑り込むようにキャッチ。自身の半身と集めた財宝を奪われた大猿から、凄惨な叫びが上がった。
奪われた皮嚢を取り戻そうと、片腕を失い血を噴き出しながらヤブキへと狂乱のまま迫るグリードエイプ。
「あー、そりゃ悪手だエテ公」
ヤブキが冷ややかに呟いた、その瞬間。
巨猿の太い首が、何が起きたかも理解できぬまま静かに滑り落ちた。
一切の気配を断ち、大猿の背後へと回り込んでいたクロード。
「システムにこんなこと言っても仕方ねぇが、欲しがりはほどほどにな」
静かな一閃と共に首を断たれた巨躯。一瞬の静寂の後、どさりと大地を揺らして倒れ伏した。
巨躯を構成していた巨大な肉体と醜悪な皮嚢が、青白い光の粒子となって空気中へと静かに霧散していく。
(それにしてもあの手甲、結構お気に入りだったんだがな……)
クロードの言葉通り、ボスの体内に取り込まれた【狼牙の手甲】は、ドロップ品として終ぞ手元へ帰ってくることはなかった。
夜の森林の空気に溶けて消えていく光の粒子をただ呆然と見つめながら、ヤブキはどこかポッカリと穴が空いたような、何とも言えない切ない気持ちになる。
「さて! 初のボス戦だったわけだけど、どう? 楽しかった?」
「……色々言いたいことはあるが」
愛刀を鞘へと納めたクロードが、足取りも軽やかに歩み寄り、落胆するヤブキの顔をひょこっと覗き込んでくる。その瞳には、死線を共に潜り抜けた熱量と爽やかな満足感が浮かんでいた。
「とりあえず、新しい武器はお前持ちな」
「えぇ⁉︎ そ、そうじゃなくてもっと他にさぁ‼︎」
「うるせー。俺ぁーもう街で寝る」
そっけない態度とは裏腹に、ヤブキの口調は少しだけ柔らかかった。
湧き上がった熱がゆっくりと溶けていく、そのなんとも言えない心地よさに浸るように。
***
大猿の領域から少し離れた『曇鸞虚弱の大森林』の外れ。
うっすらと差し込む青白い月光の下、男はぽつりと佇んでいた。
「…………」
夜風に揺れる髪は、まるで凝固した血液のように暗く湿った赤黒さを帯びている。
本来なら理知的であるはずの漆黒のスーツは、幾重もの返り血を浴びて黒ずんだ異彩を放っていた。
男の足元には、無数の『それ』が転がっている。
会話の音も息遣いも聞こえない。
『それ』──すなわち死を待つ者たちの沈黙だけが、夜の森を支配していた。
「聞いてるかい? 話を聞かないと、こうなるからね?」
男は倒れ伏す群れのうち、足元で痙攣する一人の男へとしなやかに視線を落とした。男の頭上には、虚ろに明滅する白い文字列──プレイヤーではない、この世界の住人であることを示す標識。
「パーティに誘ってくれてありがとうね。だから僕、君と話したいこといっぱいあるんだ。あと君の事ももっと知りたいなぁ」
「た……助けて……‼︎」
這いつくばり、男のスーツへ擦り寄り必死に懇願する。
そんな足元の男を見て、薄いサングラスの奥──その血のように赤い瞳孔が揺れる。
「……うーん。ダメかぁ」
眉を顰めた直後──素早い手首の返しと共に刃が夜空を割る。
すっぱりと、足元の男の両の眼球を切り裂いた。
「──ぁぁああああああああああああああああああああああ‼︎‼︎」
鼓膜を刺す凄惨な叫びが、深い大森林の闇へと木霊した。
男が退屈そうに周囲へ視線を巡らせれば、そこに転がる全員の顔面はすでに潰され、両の目をえぐり取られて赤黒い凹みと化している。
「会話の時は目を見て話しなさいってお母さんに習わなかった? ……ないか、NPCだもんねぇ」
愛おしそうに握られた歪な曲刀が、血を滴らせながら鈍い光を返している。
光を失い、自身の血で滑る土を必死に這って逃げようとする男の背中へ物音ひとつ立てず、間合いを詰める。
滑らかな所作で一歩を踏み出すと、その首筋へと容赦なく刃を滑らせた。
「────ぁ」
ボタリ、と鈍い音を立てて落ちる頭部。
その瞬間、転がっていた無数の肉塊が一斉に青い粒子となって弾け、夜の森の空気に溶けるように消え去っていった。
「これがゲームの感触か。あんまり好きじゃないなぁ」
静寂を取り戻した森の中で、男は刀についた血を静かに振り払った。
地面に滴った雫は少しした後、粒子となって空へ溶ける。
「でもせんせぇ。……僕、間違ってないよね」
その呟きと同時に。
男の頭上に浮かび上がるプレイヤーネームが、深く鮮烈な赤色へと染まり上がった。




