11. その輝く笑顔は世界一
♢
「……どういう風の吹き回しだよ。ボコられて頭でもおかしくなったか?」
「いえ、俺も思ったことをそのまま言ってるだけです」
「ハッ。尚更意味わかんねぇ」
クロードは外郭門の前に広がる石畳に膝をついたまま、ヤブキの身体をしっかりと腕の中に抱きかかえていた。
「それから──」
言いかけた言葉が、その瞬間凍りついた。
──どくん、と。
瞬時に大気が歪み、門の前に響く圧倒的なオーラが二人を包み込む。
「──っ⁉︎」
「マジ、か?」
先の平原と石畳の境目、そこに浮かび上がるのは単なる陰影ではない。あらゆる光を塗り潰すような、濃密な『死』の質量。
人魔大帝──指を切り落とされ、胸元を深く穿たれてなお、その全身からは血を凝縮させたような赤黒い覇気が狂おしく立ち昇っていた。濁りきった黄の巨眼に宿るのは、理性を失った純粋な屠殺の意思。
「降ろせクロード! もう一発──、ぁ?」
慌てて腕を支えに立ち上がろうとするヤブキだったが、直後に背中へと激しい刺痛と痺れが走り、体勢を崩した。
【警告:スタミナの枯渇・異常状態(激痛判定)】
「クッソ……ッ!」
「……二度も守ってくれたんです。今度は、俺に任せてください」
「あぁ!? っ、オイ!」
優しくヤブキを地面へ寝かせると、クロードは庇うように立ち上がり、両手で固く刀を構え直した。
ゴブリンキングが鉄塊を頭上に掲げる。
ただ振り下ろされる直前の風圧だけでクロードの頬から血が滲む。
死線を凝視し、パリィの極小フレームへ意識を研ぎ澄ませる──。
「が、はっ……⁉︎」
合わせ切れなかった。重圧に押し負け、弾き飛ばされる刀。
直撃こそ免れたものの、死に瀕した怪力の一撃がクロードの側腹を掠め、骨が砕ける重い音とともに石畳の上を激しく転がった。
【危険:生存判定限界値(残り体力3%)】
視界が赤く染まり、動けないクロード。
その頭上へ、留めの一撃として凶悪な鉄塊が再び振り上げられる。
死が、完全に死命を制した瞬間。
──ふとして戦場に、輝きが訪れる。
「あぶなーーーーーーーーーーーーーい‼︎‼︎」
夜空を叩き割る極彩色の『閃光』が、『スターティア』の門前を包み込んだ。
大気圏突入のごとき光の衝撃波が、ゴブリンキングの顔面を直撃。叩きつけられた衝撃で地表の石畳が爆発するように巻き上がり、振り下ろされかけた大斧が虚しく空を叩いた。
「…………は?」
「ちょ……今度は、何……⁉︎」
「いやはや……遠く先の『ネクスリム』から黒煙を見て駆けつけてみれば、なんたる青き青春! そしてなんたるギラギラとした生の輝き!」
地煙と眩い光の渦の中から立ち上がる人影。
身に纏うは、七色に煌めく光彩鋼鎧。背中に背負った大剣からはまるでミラーボールのような光芒が乱反射している。
「そこのシャイニング・ボーイズ、君たちだね! この無骨な巨漢を相手に、泥に塗れながらも霞むことなく輝き続けていたのは★」
「しゃ、シャイニング……?」
「あの人魔大帝に初心者の身空でよくぞここまで! まさに黄金の精神! 飴ちゃんあげよう」
「いらねぇよ」
男の頭上に浮遊する、虹色に明滅するネームプレート──【フラッシュ村上】。
「……流石はA級モンスター。簡単にシャイニングとは行かないね★」
衝撃から立ち直ったゴブリンキングが、怒りに狂って朱色のオーラを爆発させた。
巨躯から解き放たれる衝撃波だけで周囲の石畳がめくり上がり、王を守らんと平原から押し寄せる百を超えるゴブリンの大群が喚き声を上げる。
「──さぁファミリー達! かの傑物に相応しい、スポットライトを!」
フラッシュ村上が優雅に指を鳴らす。
その音に応じるように門の壁上や平原の影から、極彩色の装備を纏ったプレイヤー達が舞い降りていく。
「『第一陣、影縛り展開。移動阻害完了』」
重甲冑の騎士二名が巨大な大盾を同時に踏み鳴らす。地面の境目に巨大な光芒の陣形が浮かび上がり、半透明の光鎖がゴブリンキングの太い両脚をがっちりと縛り上げた。振りほどこうと暴れ、凄まじい質量攻撃が空間を削り取り、陣形を組むプレイヤーのの数名を吹き飛ばす。
「怯むな! ──【不死鳥墜落】!」
後方の魔導師が杖を掲げると、頭上に巨大な火の鳥が具現化。凄まじい熱風とともにゴブリンキングの顔面へと垂直に叩きつけられる。視界と感覚を奪う激しい爆炎。
「硬直確認。火力組、部位破壊を」
「任せろ」
火炎の煙を突き抜け、二人の双剣使いが交差するように跳躍。
旋風のような連撃が走る。激しい金属音と肉を断つ音が交錯し、ゴブリンキングの巨腕が肩から丸ごと叩き落とされた。さらにすれ違いざま、膝裏の腱を的確に断ち切り、巨躯のバランスを完全に崩させる。
その周囲では別動隊が平原から溢れ出すゴブリンの群れを相手。
大剣の一閃が雑兵をまとめて叩き割り、縦横無尽に走る弓矢の軌跡が正確に雑兵の眉間を撃ち抜いていく。
「っとうッ★」
両脚を縛られ、腕を失い、膝をついたゴブリンキング。それでもなお残された左腕で地を穿つ。
「さぁフィナーレだ! ボーイたち、我が輝きを特等席で見給え!」
フラッシュ村上が跳躍。空中で優雅に一回転しながら背中の大剣を抜刀すると、夜の門前全体が真昼のような極彩色の光で満たされた。
「【シャイニーーーーーーーーングッ・フラーーーーーーーーーッシュ‼︎】」
閃光の直後、縦一文字に走る一閃。
ゴブリンキングの巨躯が脳天から真っ二つに裂け、苦悶の叫びを上げる間もなく巨大な光の粒子となって夜空へと霧散した。周囲を埋め尽くしていたゴブリンたちも、王の死とほぼ同時に完全に掃討されていた。
「……どっちも同じじゃ?」
「言うな」
「ふぅ。我ながらビューティフルなト・ド・メ★ 見ていたかいファミリー達よ!」
「団長! ギラッギラです!」
「ふん! ……それもこれも彼らのおかげさ★」
髪をファサッと掻き揚げながら、フラッシュ村上が爽やかな笑みを向けてくる。
「最初の街というだけあって、『スターティア』には初心者もNPCも多い。君達が戦わなければ今頃犠牲者だらけの滅茶苦茶になっていただろうね。全く……A級冒険者が聞いて呆れるねぇッ‼︎」
「大したことはしてねぇよ。あんたらが来なきゃ、今頃二人まとめて殺されてた」
自分たちが死力を尽くしてなお死にかけた壁を、彼らはあまりにも洗練された戦術で踏み越えて行った。
その強者の立ち回りに、ヤブキの胸の奥で冷めかけていた熱が小さく、けれど確かに蠢いた。
「ノンノンノン! 結果なんてさほど重要じゃないのさ! 大事なのは恐怖に立ち向かうそのステップ、誇りあるソウルの輝きで──」
「それにしても大丈夫ですかヤブキさん。さっきの攻撃、やけに苦しそうでしたが……」
「華麗なるスルー! だがそれもまた眩い!」
「……クロード」
倒れていた体を重そうに起こしたヤブキが、まっすぐな瞳でクロードを見つめた。
「色々気になるだろうが、少しいいか? 話がある」
「! …………はい」
「何々★ お兄さんにも──」
「空気読めオッサン」
***
「なんだあの蛍光色野郎は。見てるだけでチカチカしてくらぁ」
「はは……でも凄いPSでした。連携もさることながら、相当強いですよあの人」
「まぁ、そうだな……」
喧騒の残る門前を離れ、二人は以前小鬼首領の希少依頼を受けた静かな路地裏へと移動した。
湿った冷たい石畳。周囲の石壁が夜風を遮り、かすかな街灯の光だけが二人の足元をぼんやりと照らしている。
ヤブキは壁に背をもたれかけさせるようにして腰を下ろし、クロードも少し距離を置いて、その場に膝を折った。
「…………」
「…………」
互いに視線を交わすことなく、数秒間の重い沈黙が流れる。
夜風が路地を吹き抜け、二人の衣服をわずかに揺らした。
「すまなかった」
「すみませんでした!」
静寂を破ったのは、完全に重なった二人の声。
「あ?」
「え」
「何でお前が謝るんだよ。結果的に正しかったのはお前だろーが」
「……何も正しくなんてありません。口先だけは一丁前で、貴方が来るまで俺は何もできなかった。それどころか諦めて……中途半端で最低なのは、俺の方です」
掠れた声が、暗闇の底へ落ちて溶けていく。
「でも、結果はどうだ」
「……え?」
「ゲームに本気になる。そうお前は口にして、結果的に助けにきた筈の俺まで守りやがった。……俺に言ったことを行動で証明してみせたんだ、胸張れよ」
「でも! 俺は……貴方にひどいことを言った」
「あぁ、そうだな」
ヤブキはふっと短く息を漏らすと、視線を上へと追いやった。
街灯の光が微かに届く狭い空。そこに残る青暗い闇を見つめる瞳の奥で、何かが静かに明滅している。
「お前は言ったな。『この世界には現実にないものがたくさんある』って」
「……はい」
「その通りだ。命を削り合うような戦い、出会い、成長……このゲームは俺が生まれて初めて味わうような感覚でいっぱいだった」
壁に預けた背中に伝わる冷たさと、体内を巡る残熱。ヤブキの指先が膝の上でゆっくりと丸められた。
皮膚の感触、空気の重さ、胸の奥に残る痺れ──それを一つひとつ確かめるように。
「はっきり言う。さっきの戦いは楽しかった。存外本気になるってのも悪くねぇと思った」
「!」
「でも、やっぱり俺はお前みたいにはできねぇよ」
「っ……何でなんですか? あんなに楽しそうに戦って、」
ヤブキは壁に頭を預けたまま、鼻から長く息を吐き出した。
喉の奥で喉仏がひとつ上下し、視線は目の前の男へと注がれる。
「大好きな人がいたんだ」
声のトーンがひとつ低く落ちた。
「親代わりになって俺を育ててくれてた兄貴だ。強くて、カッコよくて、ヒーローみてぇな人だったよ。……もうこの世にはいないがな」
ゆっくりと紡がれるその言葉には一切の抑揚がなく。
だからこそ石のように硬く、重い。
「それからは兄貴に代わって俺が家族の面倒を見てる。正直、逃げてぇ時は何度もある。でも現実からは逃げちゃいけねぇんだ」
ヤブキは自分の掌を見つめた。
擦り傷ひとつない、ポリゴンで構成された綺麗な皮膚。
現実の自分の手にあるはずの、あのマメや荒れた爪の感覚が脳裏をかすめる。
「お前にとってのゲームが俺にとっての家族だ。何があっても絶対に曲げられねぇ俺の原点……俺の人生は、その為にある」
「…………」
言葉の余韻が石壁に吸い込まれていく。
己の内に固く結ばれた結び目を確かめるように、静かに息を吐いた。
「どこまで行っても結局は金だ。ゲームがどうとか、中途半端な俺にそんなこと言う資格はねぇよ」
乾いた自嘲の吐息が漏れ、彼は壁に頭を打ち付けるようにして視線を外した。
(何やってんだ俺は。なんで、さっき会ったばかりの奴にこんな話を──)
身勝手な吐露に対する後悔がこみ上げた、まさにその瞬間。
「……そういうことですか」
ガシッ、と鈍い衝撃とともに、右肩の布地が力任せに掴み上げられた。
「──だったら、俺も一緒に戦います!」
至近距離。引き寄せられた視線の先に、歪んだクロードの顔があった。
見開かれた両目には雫が溜まり、街灯の光を拾ってキラキラと揺れている。だが掴まれた肩に食い込む指の強さは、一歩も引かない決意を感じさせるものだった。
「俺には貴方を支えてあげる事はできません! でも……これからも貴方がこの世界に居続けるなら、俺は貴方と並んで戦いたい! そして俺が見ているこの景色を、いつか貴方にも見せてあげたいんです!」
「……何で、そこまで」
「貴方がそうしてくれたからです! 現に何度も助けてくれて、俺からすれば貴方は──誰よりもかっこいいヒーローに見えた!」
「っ……!」
「ゲームは現実とは違う。何回でもやり直せる、それでいて楽しくて、この世界にいるだけで心が明るくなるんです。それが、俺の愛したゲームってやつなんです」
肩を掴む手がかすかに震える。縋るような、けれど決して解かれない力。
その体温の伝わり方にヤブキの胸の奥で何かが軋み、崩れていく音がした。
「もう何度も助けられた。今度は、俺が貴方を助ける番だと思うんです」
「…………」
静まり返った路地裏に、クロードの荒い呼吸音だけが響く。
掴まれた肩を見下ろし、ヤブキは目の前の涙に濡れた少年の顔をじっと見つめた。
「っ……す、すみませんいきなり。貴方の身の上を聞いた上で、不快だとは思うんですけど……」
「……ハハッ」
喉の奥から零れ落ちたのは、自嘲でも諦絶でもない。
(あの女も俺も、あんなふざけた契約に人生賭けてる馬鹿野郎だ。……でも)
肩の力が抜けきったような小さな吐息だった。
「──お前も大概、大馬鹿野郎だな」
ヤブキの口元が緩やかに弧を描く。
死線で見せた尖った狂気は削ぎ落とされ、そこにあるのはただ呆れ果てたような、柔らかな笑み。
「……綺麗だ」
「あ? なんて?」
「ぅあ! い、いえ! 何でもないです!」
慌てて手と顔を交差させる動作を眺めながら、ヤブキの口元から小さく息が漏れた。
正面からぶつかってくる眼光。裏表のない眩しい笑顔。あの日以来すっかり忘れていたものが、心地よい重みとなって胸の底に溜まっていく。
「……一緒に戦うとかクセェんだよ。……友達で、いい」
「──っ! あ、ありがとうございます!」
初めて会ったときと同じように深々と頭を下げるクロード。
「そういやお前、歳いくつだ?」
「へ? こ、今年で18ですけど……」
「タメかよ。なら敬語やめろ、ヤブキでいい」
「ぇえ⁉︎ ア、アンタ高校生なの⁉︎ 絶対かなり年上だと思ってたのに!」
「……悪かったな、老けてて」
「いや、そういうわけじゃない、んだけど……!」
両者の間にあった深い溝は、もはや見る影もなく埋め尽くされていた。
──しかしふと、ヤブキの視界の隅、石畳の陰影がわずかに薄れ始めた。
張り詰めていた神経が弛緩すると同時に、鉛のような重加減が全身の筋肉にのしかかってくる。
「っとと、そろそろ疲れてきたか」
「大丈夫? そういえば、初ログインなんだっけ?」
「感覚フル接続の負担がこれほどとはな。そろそろログアウトとするか──」
そう言いかけたその時。
壁の隙間、路地の奥からすうっと一筋の澄んだ光が差し込んできた。
それは先ほどのフラッシュ村上の放つような派手なエフェクトではない。世界を等しく暴き出す、薄青く冷たい朝の光。
(あ? 朝日……?)
脳裏に嫌な予感が走り、ヤブキは慌てて空間をフリックした。
目の前に空間が裂け、青いシステムウィンドウが立ち上がる。
『現在時刻:05:00』
「ぁ」
思考が一時停止する。
この世界の時刻は現実世界の時計と寸分違わず刻まれる。
頭の中で家を出るまでの時間が逆算されていく。弟妹の支度を手伝い、家事をし、自身も支度をするまで──残り、六十分余。
「あちゃー。またやっちゃったな。最近オール続きだ」
「……ぃぃ」
「え?」
壁をつたいながら、ヤブキの身体が力なく石畳へとひっくり返った。天井を仰ぐその瞳には、先ほどまでの熱など微塵もなく、ただ現実という名の深淵が映っていた。
「しばらく、ゲームはいい……」
「はぁ!? ちょ、なんでぇ……⁉︎」
こうして、彼の初めての『マジシャンズ・ラグナロク』は幕を閉じた。
しかし彼らは知らなかった。初心者の証とも言えるD級冒険者が、上級者の登竜門と呼ばれるA級モンスターと互角に渡り合う、その意味を。
一日目、終了




