10. 熱狂
♢
(……こいつぁやべぇな)
正面から向き直ったことで、改めて肌を突き刺してくる『人魔大帝』の圧倒的な圧迫感。
視界を埋め尽くす筋骨隆々の異形と、剥き出しの殺意。ただ呼吸をするだけで肺胞が押し潰されるような威圧感は、これまで命を削り合ってきたD級やC級のモンスターとは完全に画を異にしていた。
(絶対に今の俺が挑むべき相手じゃねぇ。一発喰らえば即死……最悪、その激痛で脳が焼き切れるなんてこともあり得る)
「ヤブキさん、来ます!」
クロードの切迫した叫びと同時に、ゴブリンキングが頭上高く掲げた鉄塊の棍棒を打ち下ろす。
振り下ろされた質量が空気を強烈に圧縮し、直後に爆発的な衝撃波となって石畳を粉砕した。破片が散弾のように二人を襲うが、左右に分かれそれを躱す。
「だが今の俺ぁ、ただ殴る蹴るしか能のねぇゴロツキとは一味違う!」
空中で体勢を整えながら、視界の端で素早くシステムウィンドウを呼び出す。
【★スキル一覧★】
【ファストスマッシュ】(打撃補正・小 / 出が早い短距離打撃)
【拘束強化】(拘束時の固定力上昇)
【ソニックフェンス】(刺突速度・貫通補正 / 直線的な突き)
【ショルダーチャージ】(体当たりによる姿勢崩し)
【フラットパリィ】(受け流し判定の発生速度補正)
【アクセルスピーダー】(瞬間的な歩法・機動性強化)
「レベル上げの甲斐があったな」
「ちょ、何こんな時にウィンドウなんか!?」
「どいてろ負傷兵」
ヤブキは【アクセルスピーダー】を発動。足元に淡い青光の軌跡が走り、瞬間的に跳ね上がった脚力で地を蹴り飛ばした。
踏み込んだ直後、頭上からなぎ払うように伸びてきた丸太のような腕。ヤブキはその巨腕の軌道を紙一重で下へ潜り抜け、相手の肘関節の突起へと足を引っかけて跳躍した。
(さっきので感覚は掴んだ。この中で今使えそうなのは──)
背中に無数に生えた、角質化した無機質な突起。そこに靴裏を引っかけるようにして駆け上がり、運動エネルギーを殺さずにさらに上方へと身体を打ち上げる。
脳内で意識のスイッチを叩き落とす──【ソニックフェンス】。
長剣の刃先に目に見えるほどの光膜が生じ、直線状の光線と化した長剣が、後頭部の可動領域へ一直線に突き立てられた。
普通の攻撃では傷一つ付かなかったゴブリンキングの強固な皮膚が穿たれ、後頭部に小さな裂傷が刻まれた。
「全身カチコチと来たか! んなら──」
手応えの浅さを脳が感知した瞬間、ヤブキは空中で長剣をインベントリのデータ粒子へと還元して押し戻し、『狼牙の手甲』を瞬時に装備。重力に従って身体が落下を始める寸前、傷ついた同じ部位へ間髪入れずに左拳を叩き込む──【ファストスマッシュ】。
一定量のスタミナが削り取られる疲労感と引き換えに、圧倒的な打撃力が手甲の突起を通じて肉体へと宿る。手甲から解き放たれた振動波が、厚い頭骨を通り抜けて脳揺らしの衝撃として内部へ浸透していく。
「すごい……」
ほんの数時間前、一緒に平原で戦っていた時よりも数段強くなっている。単なるステータスの向上ではない。スキルの発動タイミング、無駄のない身体操作、そして相手の隙を逃さない圧巻の技術。
クロードの網膜には、死線の上で舞うように最適解を出し続けるヤブキの残像が焼き付き、その圧巻の戦術に魅せられていた。
(それだけに、なんで?)
これほどの圧倒的なセンスを持ちながら、なぜ自身を『金目的』と卑下するのか。勿体無いという強い惜白の念と、言い知れぬ葛藤が胸を締め付ける。
(いや! それもこれも、全部終わった後だ!)
クロードは頭を振って乱れた呼吸を一度深く整えた。肺を冷気で満たし、重心を限界まで低く落とし込んで地面と一体化する。左手を鞘の口へ滑らせ、右手の指先を柄頭へ吸い付くように添える。
──居合の構え。
「……ふぅー」
クロードが使用する【スキル】──『柳凪流抜刀術』とは、侍の初期職業を選んだプレイヤーにのみ与えられる十種の型。伝説の英傑・柳凪抜刀斎が考案したとされる侍の極意。
そのどれもが破格の効力を秘めている反面、真価を引き出すにはプレイヤー自身の極めて繊細な技術が要求される。踏み込みの軌道、力加減、抜刀の瞬間──どれか一つでも狂えば発動すら失敗する難物。戦闘下でそれを成し遂げられる者はごく一部に限られていた。
(あの人のおかげで隙ができた。今なら、アレが!)
上空で暴れ回るヤブキの影に隠れ、地を貼るような低い足さばきでボスの懐深くへと滑り込む。
狙うは、あの山のような巨躯を支える唯一の軸──左足首。
──【柳凪流抜刀術・天寶ノ太刀】。
「⁉︎」
鞘から解き放たれた二筋の飛ぶ斬撃が、真空の軌跡を描いて地を駆け抜けた。
気配を察したゴブリンキングが上空へ跳躍したため直撃こそ免れたものの、左足の極太な指が二本、粒子を散らして根元から切断される。
「すげぇなそれ。なんで今まで使わなかったんだ?」
「大技スキルあるあるですよ! 制約……要は長い溜め時間が必要なんです!」
「なんだ、そんなことか。隙くらい俺が作ってやる」
一通りスキルを浴びせ続けたヤブキだったが、自身では効果的なダメージを与えるのは難しいと理解していた。
「俺が惹きつける。お前はそれをアイツに当てることだけに集中しろ」
「っ、一発食らえばそこで終了なんですよ⁉︎ 一人で避けタンクなんて無茶です!」
「俺が来るまでお前も一人でそうしてたんだろ? 役割交代ってわけだ」
「……でも、」
「今この時だけでいいから、俺を信じろ」
言い捨てるや否や、ヤブキは地を蹴り、咆哮するゴブリンキングに向かって一直線に突き進んでいった。
「ヤブキさん──ッ!」
クロードの制止の声すらもはや耳には届かない。
彼の耳には、自身の胸の奥で早打つ脈拍の音だけがやけに大きく響いていた。
(……またこれかよ)
身体の芯から、熱い血が沸き立つ高揚感。この世界に来て思い出した生の実感。
一歩間違えれば激痛で発狂しかねない、恐怖の巨獣を前にして自分は胸を躍らせているのか。恐怖の裏側で弾ける歓喜に、思わず自虐的な呆れが込み上げる。
(我ながらイカれてんなぁ。今んところ、全部あの女の言った通りになってやがる。これが『熱』ってやつなのか?)
ゴブリンキングの振り下ろす暴風のような叩きつけを、紙一重のステップと体幹の傾斜だけでかろうじて回避しながら考える。
『熱に浮かされる時、人は人でなくなる。その熱を支配するか、支配されるか。運命の岐路はそこにある』
契約の際、去り際に残した麗華の言葉が脳裏をよぎる。氷のように冷徹な眼差しと、自分を見透かすような声音。
(それは間違いなく今だ。支配するか──支配されるか)
クロードの言う通り、この作り物の世界は現実には存在しない『本物の熱』で満ちている。現実のぬるま湯に浸かっていた自分をあざ笑うかのような圧倒的な肯定。
(だが、俺は変わらねぇ。山吹蓮司は金の為にこの世界を生き抜く、それだけは絶対に変わらねぇんだ。そんなもんに左右されてたまるかよ)
熱狂に呑まれそうになる意識を、泥臭い現実の欲望という楔で強引につなぎとめる。
ゴブリンキングが振り下ろした巨腕の風圧を頬に受けながら、紙一重の踏み込みでその身を交わす。
(……でも)
そして無防備になった顎下へ──足裏から骨盤、肩へと威力を伝達させ、全身の体重を乗せた拳をめり込ませた。
「ッ、ラアアアアアアアア‼︎」
──今この瞬間だけは、湧き上がるこの感覚に、身体を預けてみよう。
脳揺らしによってバランスを崩した巨躯の頭部へ飛びつき、狂気的なまでの集中力でその傷口めがけて何度も拳を叩き込み続けた。
「ッハハハハハハハハハハハハハハハハハハァ‼︎‼︎」
***
「ヤブキさん……?」
狂乱の笑みを浮かべて暴れ回るヤブキの背中を見つめ、クロードは思わず声を漏らしていた。
(金にしか興味のない人間は何人も見てきた。でも……その中にあんな顔をする人は、見たことない)
戦闘の極限状態を楽しんでいるかのような、剥き出しの存在感。絶望的な状況であるはずなのに、なぜか彼の背中を見ていると胸の奥から理屈を超えた熱量が込み上げてくる。
僅かに浮かぶ期待。
(そんな楽しそうに戦う貴方を、俺は──)
後悔と嫉妬、そして深い惹かれが生み出す感情の濁流。クロードはそれを静かに押し殺し、深く腰を落として刀へと意識を集中させた。
ヤブキは命を削って撹乱しているが、こんな無茶が長く続くはずがない事は理解していた。
「……今助けます」
静かな呼吸。怒りも、胸の高鳴りも、自分に対する無力さや悔しさも──そのすべてを削ぎ落とし、今、この一振りの刃へと乗せていく。
視界から余計な雑念が消え去り、周囲の色彩が失われて世界が静寂に包まれる。自身の心音すら消え、残ったのはボスの核へ伸びる一本の必殺の線。
目指すものはただ一つ。勝利のみ。
(ヤブキさん、俺は──)
万力の力を柄頭へと込め、抜刀の角度、踏み込みのタメ、スキルの組み上げを完璧に同調させていく。
──まさに、その瞬間だった。
「ぐぁっ……っ‼︎」
空中で鮮やかに立ち回っていたヤブキの背中に、死角である影から滑り込むように躍り出た一匹のゴブリンの短剣が突き刺さった。
背中の激痛によって空中での体勢を崩したヤブキへ、群がる雑兵ゴブリンの刃が容赦なく二度、三度と肉を穿ちに入る。さらに周りを見渡せば、門前で必死に応戦していた他のプレイヤーたちもスタミナを削り取られ、押し寄せる緑の波に呑み込まれ始めていた。
(⁉︎ 何で、あんな攻撃で──?)
ヤブキの致命的な隙を見逃さず、追撃を試みたのは他でもない──『人魔大帝』だった。
激憤に瞳を血で染め上げ、空中で無防備に放り出されたヤブキめがけ、巨大な鉄塊の棍棒を容赦なく振り下ろす。
「ヤブキさんッ!」
叫びながらも、クロードの踏み込みは一瞬出遅れていた。足が地面に張り付いたかのような絶望感。
間に合わない。自分が溜めを作っていたせいで、彼がやられてしまう。
支えを失い、死の風圧に晒されながら、力なく地上へと真っ逆さまに落ちていくヤブキ。
しかし、落下の加速度の中で、彼の瞳だけは確かに真っ直ぐこちらを見つめていた。
『撃て』
「──っ!」
声にならない声。
呼気とともに漏れた小さい形だったが、クロードにはその瞳に宿る絶対的な信託だけで十分だった。
恐怖で弛みかけた腕に、再び魂ごと全存在の力を込め直す。
「借りは返します。……勿論、君にもね」
そして放たれた二筋の閃光── 天寶ノ太刀が、夜空を切り裂いて走った。
ヤブキの頭上へ振り下ろされかけた棍棒を掠め、彼が命を賭して作り出した無防備な胸元の真芯へ、交差する二刃が寸分違わず深々と喰らいつく。
天を揺るがすほどの悲痛な咆哮。胸元の亀裂からは眩い光の粒子が爆発的に吹き出し、その巨躯がついに抗いきれずバランスを崩して後方へと崩れ落ちていった。
「わっ、とと……っ!」
崩落する巨躯の影から、クロードは空中で完全に脱力したヤブキの身体を滑り込むようにして必死に抱き止め、膝を折りながら石畳へ着地した。
「ッ、ハァ……ハァ……」
腕の中で荒い息を吐くヤブキが目を開く。背中の痛みに顔を顰めながらも、どこか毒気を抜かれたような呆れ顔でクロードを見上げる。
「いいツラしてんじゃねぇか。そんなに楽しかったかよ?」
「貴方に言われたくないですよ。どっちがモンスターか分かりませんでした」
「わりぃな。……夢中だったもんで」
「!」
その瞳の奥には微かな熱の残火が揺らめいており、嘘をついているようには見えなかった。
「ヤブキさん。俺は……」
「あ?」
荒い息を整え、クロードは少し照れくさそうに顔を綻ばせた。
けれど、迷いを完全に振り払った真っ直ぐな瞳で告げた。
「俺は、貴方みたいになりたいです」




