噂のバーサーカー
八月十九日、午後八時過ぎ。
小鈴はいつものようにカレー屋でチキンカレーを食べていた。ライブ前には必ずここで腹ごしらえをするようになっているので、もうすっかり常連である。店主のおばさんとも仲良くなった。
バンド活動を通じて色々な人とも知り合えた。
外を歩いていると、気さくに挨拶をする人も多い。まるで随分前からここ<ゾーン・B>に住んでいるかのように、彼女はこの街に馴染んでいる。
だが期限は確実に迫っている。
小鈴が<外>に帰る日まで残すところあと五日となった。
あまりにこの街に溶け込んでいるせいか、自分が<外>で高校生をやっていることを忘れがちな小鈴なのだが、配達屋と約束した八月二十四日のことを考えると「あぁ、わたしは部外者なんだなぁ」と思ったりもする。
八月二十四日に小鈴が<外>に帰ることはすでに今井ユニットバンドのファンに知れ渡っている。
そのせいかライブは毎日やっているのだが日に日に観客が増えてサンザンロードの特設ステージでは規模が手狭になっているほどだ。
だが、それだけ多くの人に小鈴を知ってもらえたというのに、両親に関する情報は皆無だった。
赤い壁の家も今ある二軒以外には見つかっていない。
まだスラムを全て調べていないので、そこが最後の希望だった。
「お水ちょーだいなっ」
思考が徐々に停滞してきた小鈴の耳に、ひかりの元気全快な声が響く。
いつもなら大とふたりなのだが、今日は店の仕事がお休みらしく、ひかりもいっしょに食事をとっている。
「あいよ~」
おばちゃんが水差しでひかりのグラスにだばだばと豪快に水を入れる。「ありが――」
「マジすか!」
ひかりの声をさえぎったのは、店の隅のテーブル席の若い男だった。彼の向かい側にはもうひとりの男がいる。先輩格なのか若いほうより少し歳がいってそうだ。得意げな顔で彼は若い男に語る。
「ああ、スラムの知り合いが言ってたんだ。その化物バーサーカーにもう十人以上が食いちぎられたってな」
「だってバーサーカーっすよ? 殴ったり武器使ったり基本人間じゃないすか」
「そうなんだがよ、そいつの場合はちげーんだ。目が赤いっつうのはほかのバーサーカーと同じらしいんだが、体中が熊みてえな毛で覆われてんだってよ。力も普通のバーサーカーなんてもんじゃねえらしい」
「それ実は熊じゃないんすか?」
「阿呆か。山ん中じゃねえんだからそんなのいるわけねえだろ」
「それもそうっすねぇ。スラムからこっちに来ないことを祈るっす」
このふたりの会話は小鈴たちの耳に嫌でも入ってきた。
だが大は一時間後のライブのことで頭がいっぱいなのかイメージトレーニング中なのか知らないが、カレーを咀嚼しつつブツブツと何かを唱えながらリズムを取っている。
小鈴はというと全く気にしていなかった。化物バーサーカーだろうとなんだろうと、昼間に外に出なければいいのだと思っているからだ。
小鈴はふとひかりのほうを見やる。
ひかりは、水がいっぱいまで入ったグラスを両手で持ったまま顔を俯けている。
結局水は注がれたまま、減ることはなかった。




