改革
反乱時に城内の行政府を襲撃され、有能、無能、善悪問わず、大臣、官僚、文官はみな粛清された。
周辺直轄領にはそれぞれ地方行政府があり、各諸侯領は自治領であるので、急ぎ対応を必要としたのは皇都と皇都直轄領の行政に関してであった。
皇都奪還後、2週間程はそれらも麻痺していたが、新たに就任した二人の宰相により、迅速に行政機能の回復が進められた。
二人は、それぞれ南部直轄領の代官であった。若くして行政改革を成し遂げ、地方行政とはいえ腐敗した官僚政治を脱却した実績を認められて宰相に抜擢された。
その手腕を遺憾なく発揮した。
二人はまず、行政構造を刷新した。細分化された縦割り区分で、他部署の監査を受けず、上に行くほど権力が集中する不正の温床となりやすい構造を、財務、法務、外務、軍務、工務など機能ごとに大きくまとめ風通しを良くし、業務の簡素化を実施した。
またそれぞれの機能毎に、貴族、市井を問わず広くエキスパートを好待遇で登用した。
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即位後、宰相による行政改革が進むと、次にアレクサンドラは皇帝執務の改革を始めた。
まず一番時間を取られる陳情団への対応である。
今までは、貴族の紹介があれば、平民でも皇帝に謁見し、直接陳情することができた。もちろんそこで何か問題があれば紹介した貴族の落ち度になるので、何でもと言う訳ではないが、結局、皇帝は話を聞くだけで実対応は行政府に投げるような内容ばかりだった。
皇帝への謁見は、保安上の問題から、皇帝側も、謁見希望者側も多くの労力と時間が必要になる。アレクサンドラは、皇帝代理として執務を始めてから、多い時で一日に20件の陳情団と謁見した。それは朝から始め、夜遅くまでかかる大仕事だった。平均でも、一日7~8件の陳情団が国内のいたるところから集まってくる。
それは皇帝側の皇民に対するパフォーマンスであったり、その土地で権力を握る貴族のメンツであったり、皇帝に直接話を聞いてもらえたという、民の自己満足であったりで長い間慣習化されてきた執務だった。
アレクサンドラはこれをやめた。貴族による紹介制度をやめ、規定書式による陳情書を担当貴族が発行し行政府に提出、行政府で内容を確認し、担当する各府で対応する。皇帝の判断が必要な場合のみ書類が上がってくる処理とした。必要に応じて事情聴取のため謁見もするが、今までの内容をみてもまずないだろう。行政府の一次審査での的確な判断を必要とするのがこの仕組みの課題だが、これは誰でも同じレベルで判断できる基準を作っていくことで解決する。
次に皇帝決済書類の削減である。
とにかく、皇帝の署名が必要とする書類が多すぎる。毎日執務室に束で届く。内容をしっかり確認すると、なぜ皇帝決済が必要なのか意味不明な書類が4割、例えば、どこそこの貴族に嫡孫が出生した。名前を〇〇にしたいので皇帝の許可を願う。という内容だ。これはその書類に皇帝の許可と記載があるから単に皇帝まで届いているだけで、皇帝署名を必要とする必要性は全くない。そのレベルの内容に、一日の多くの時間が費やされる。内容を確認せずに署名するのであれば署名の意味はない。
まず、府に業務内容の棚卸しと、承認レベルの設定を実施させた。
例えば工務府では、予算〇〇以上の土木工事案件には皇帝の承認が必須であるが、それ以下は予算額に応じて宰相、府長、部長等のように承認レベルを順次下げていく。
外務府では、総ての外交案件には皇帝承認が必要、ただし一定以下の内部人事は府長裁量とする、などである。
また、各府担当以外の承認依頼については、内務府の皇帝秘書令で基準に基づき精査した後に処理されることにした。
秘書令は皇帝の業務日程管理や謁見手配等を行う10名程の人員からなる新設部署である。
これにより、皇帝署名を必要とする書類は以前の1/20に激減した。
ここまでの改革で、皇帝の日常的な執務時間は大幅に削減され、これにより次の施策を実施することができるようになった。
皇帝による国内巡回である。
諸侯領も含めて定期的に各地の統治レベルの診断を行う。日程と診断内容、判定基準は予め決めておくが、1週間程度前にしか通知しない。ほぼ抜き打ち監査である。
大型輸送用飛行戦車の機動力があってこその施策であるが、これにより各地の統治レベルを比較し、悪い地域については是正できるようになる。
総ての準備は皇帝秘書令が行う。これをやりたいがためにアレクサンドラは優秀な人材を集めて秘書令を新設したのだ。
中央行政府の改革がある程度進むと、次に各直轄領の改革を行った。
直轄領トップの代官は貴族の世襲、行政は中央行政府と同じように細かい縦割り組織で、全く同じような腐敗構造となっていた。
ただし、南方2領は現宰相二人により中央同様の改革済み、北方2領については先の反乱時に行政府が粛清され、現在は軍の統制下にある。
まずは、旧態然の北方2領の不正官僚と代官の弾劾である。
アレクサンドラは事前通告無しで行政監査部隊を2領へ同時に派遣し、強権的に不正の監査・摘発を行った。税の着服、収賄、公金横領、不正人事登用など不正を認められた官僚・文官・武官については現役、引退を問わず逮捕、法に基づき刑罰を課し、代官である貴族も、不正に対する癒着が認められたために罷免し、改易。
その後、宰相を派遣し、中央組織に準じて行政府組織を改変。出来る限り現地から人材を登用し、足りない部署は中央から派遣することで補い対応した。
軍統制下であった、2領についても同様の改革を行い、代官については当面は新たに貴族を任命せず、中央から任期制で派遣することとした。
すべての改革について、かなり強権的な手段もとったが、反乱鎮圧とハイエス候領討伐時のアレクサンドラの神憑り的な実績から、諸侯も含め、反抗できるものはいなかった。
こうして、アレクサンドラの内政改革は、1年程で完了した。




