異世界の荒野
人の気配など微塵も感じない、枯れて乾いた広大な荒野。吹き付ける強い風と、砂地に覆われた味気ない景色ばかりが広がる、物寂しい広い場所。
「ふーっ、ふーっ、ふーっ」
そこには少女だけが唯一人、息を荒げて佇んでいた。手には光り輝く大剣を握りしめ、それを大きく振りかぶると、自らの足めがけて振り下ろす。
やめろ、やめろやめろ。何故、何故だ、何をする、やめろやめろ、それ以上はやめろ。
「うぅ……っ!ぐ、うぅうッ!」
赤黒い血が勢い良く吹き出した。足に刺さった大きな刃は固く冷たく、少し動くたびに酷い痛みが走り、視界がチカチカと点滅する。寝不足の朝のように意識は曖昧になり、全身からはヌルりとした気持ち悪い汗が噴き出した。震えた両目からは、今まで流したこともない量の涙が溢れ出す。
「もう、もうおやめなさい。貴女は、決して貴女は悪くは無いのです、ですから、これ以上血を与えるのをやめてください」
少女はゆっくりと自分の足から剣を引き抜いた。足から吹き出した血は泉のように湧いて出て、枯れた荒野を赤く湿らせる。
両手で絞るように握った剣からは、自分を制しようとする、涙混じりの優しい声が聞こえてくる。何よ大剣のクセにバカを言いなさい、やめるワケがないでしょう。だって、人間には足がもう一本あるのですから……!
「う、ぐぅぅッ!ああああーーーっッ!」
深く、深く刃が突き通る、最初よりも痛みは随分と強い。血流も神経も、最初の傷のせいで活発になっているのだろう。深い傷口はジクジクと火傷しそうな程の熱を帯びて、私の脳みそは思考を放棄して痛みに喘ぐ。ふふ、笑えないのに笑みがこぼれる、おかしくなってしまったのか。まさか久しぶりのリストカットがこんなにも大それたものになるなんて。
でも、まだ、でもまだだ、あの子の傷の痛みは、彼の傷の痛みは、あの子達の心の悲鳴は、きっとこんなものじゃないハズだ。私が、悪い、私のせいで傷つけたのだから、私が傷を負うのは当然だ、私が痛みを感じるのは必然なんだ。
あの時、私が囁きに耳を貸したから、私なんかが、幸せを少しでも見出そうとしたから、私なんかが、偽りの友情を心地よく感じてしまったから……、
あのミサイルは、私のせいだ。
私の願いに応じてあのミサイルはやって来ていたのだ。私が強く孤独を実感するたび、私が死にたいと願うたびに、その思いは知らず内に強い力を帯びて、ミサイルというカタチになって現れた。
そうして全ては壊されて、そうして誰もが粉々に砕け散って、私は真に一人になった。
怖い、怖い……、怖い怖い怖い怖い怖い。死にたくない、死にたくない死にたくない……!
殺したくない、殺したくなんてなかった、誰も、誰も憎くなんてなかった、傷つけたいだなんて思っていなかった、滅ぼそうだなんて思いもしなかった、ただ恐かっただけ、世界が私を見る目がただひたすらに怖かっただけなのに……!
こんな恐怖を抱くのはもうイヤ、絶対にもうイヤ、二度とゴメンなの。
だけど私は消えぬまま、今度は別の世界に来てしまった。私に囁いた、私が身体を貸したアイツが、しきりに帰りたいと言っていた世界が、きっとここなのだろう。
元の世界ですらあの始末。コイツの持つ不思議な力と、私の心と願いの奥底に眠る衝動は、どうにも相性が最悪だ。このままでは、この後この世界でどんな怖いことが起こるのやら、そんなの分かったものじゃない。
だから、たとえ私の命を賭してでも、私が、今ここで、私のコトを止めなくちゃ……!
ああ、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い……!
よもやこの世界において、この我を追い詰めようものが、この軟弱な小娘であろうとは。
今感じている酷い傷の痛みは、我から意識を奪って制した彼女の方が遥かに上回るのであろう。この胸の痛み、この全身の恐怖、この嫌な気持ち全てを上回って尚、お前はこの我を制しようというのか。
何故だ、お前は孤独なのだろう、お前は世界でひとりだったのだろう、お前は色の無い思考する娘なのだろう? ならばなぜ、このような愚かで勇気ある選択ができるのだ。
我は知っている、お前の弱さとその思考の有意義さを。我は知っている、お前の浅はかな人生観とその美徳を。我は知っている、お前の理想とする命の在り方と尊ぶべき死に方を。だって、我はお前であったのだ。お前と共に一つの虚像を作り上げ、あの世界を少しばかり共に生きたのだ、だから知っている、知っているはずなのだ。お前の思う何もかもを、我は一番傍で寄り添い、共に語らいあったのだ。
……ぐ、うぅぁあっ、痛い、痛い……! この我が泣き叫び、恐れをなして意識を失いそうな酷い痛みだ。だのに、だのに何故だ小娘、何故、お前は今、お前らしくない行動を取っている、何故誰よりも弱いお前が、この痛みに立ち向かえる……!
時間が経つにつれて徐々に呼吸は乱れ、目の前の視界も霞んで朧げになり、意識も眠るように薄れてきた。手に握る大剣も、たかだか武器のくせに私から抗うように重くなる。
耳に届く声は酷く悲しいやめろの声、脳に響く声は酷く恐れたやめろの声、ええ、もちろん痛い、すごく痛いわ。でも、まだ、まだまだよ。だってまだ私が居るのですもの、私が消えてなくなるまで、やめるなんて選択はないのですから。
足に刺さった剣はやはり不自然に重く、引き抜こうにも深く刺さったまま微動だにしない。手に触れて少しでも力を込めるたびに、電撃のような激痛が全身に駆け巡る。
それでも彼女はその都度涙を流しながら、決して途中で諦めることなく、歯を食いしばって目を見開いた。血で湿った砂は赤い土となって脚にこびりつき、風が少し吹きつけただけで、傷口から走る激痛のあまり意識はどこかへ飛んでしまいそうになる。
その血の匂いにつられてか、一匹の魔獣が彼女へと近づいていた。この荒野で最も強い実力を持ったヌシ、熊と猪の最も恐ろしい所を掛け合わせたような姿をした、全長十八メートルはあろうバケモノである。名うての英雄達が集まって、命を賭してようやく勝てるか否かという、この世界においても五本の指に入るであろう実力者だ。
少女はその恐ろしい魔獣の気配を感じて、ただ静かに微笑んだ。
ああ、いっそ、いっそのこと誰かにこうして殺されるのならば、そうすれば私は許されるのかもしれない。そうしたら一切の悔いはない。むしろ誰かの為を思ったまま、誰かの為にこの命を投げ打てるのならば、元居た世界の頃では願っても叶わないだろう理想的な結末だ。
……さあ、殺せ。私を裂いて消してくれ、この身を砕いて失くしてくれ、この罪を償う機会を与えてくれ。
魔獣の酷い口臭が嗅ぎとれ、汚らわしい水音と獰猛な唸り声が聞こえる距離にまで、そのおぞましい口が少女へと近づいた。彼女は歯を食いしばって目を瞑り、味気ない走馬灯を巡らせると、ついに覚悟を決めた。
「ミサキちゃん、頑張ったね」
しかし、彼女の耳に真っ先に届いたのは、魔獣の歯が噛み合う音でも、自らの肉が裂ける音でもなく、優しくて可愛らしい、大好きな友達の声だった。
「え……?」
直後に鳴り響く、何かが爆発したかのような強烈な打撃音。続けて聞こえたのは、すぐそこにまで近づいていたであろう魔獣の、噴火にも似た酷い断末魔。
おそるおそる目を開けると、そこには返り血で拳を汚した親友の笑顔があった。
「うぅぅう……っ、ミサ、ミサ……!なんで、なんで……?」
「なんでもなにも、私達、トモダチでしょ? 私、まだミサキちゃんとクレープも食べてないし、プリクラだって撮ってないんだから」
いつもと同じ、それどころかいつも以上に可愛い顔で、私のトモダチはニッコリと微笑んだ。酷い痛みと共に流れ枯れてしまったかと思った涙は、あたたかな熱を帯びて、まだ尚止め処なく溢れ出し、胸の奥底はざわざわと昂って落ち着くことはなく、私は一歩も踏み出せないままその場で泣き続けていた。
「……っ」
すると、ミサは私のことを抱きしめた。
それは何よりも優しく、それでいてやわらかく、ミサイルを破壊したり魔獣を消しとばしたりなんて、そんな力など全く感じさせない優しい抱擁だった。
「前に、私が泣いてる時にミサキちゃんはこうしてくれたよね。だから、これはその時のお返しっ」
彼女の温かい体温と、柔らかな肌の感触と、ふわりと甘い良い匂いに包まれて、私は母に抱かれて眠る子供のように、ゆっくりと意識を失った。
ああ、ああ。ごめんなさい、ごめんなさい。ミサ。
私は、貴女のその優しくて眩しい笑顔がニガテで、ずっと怖かった。本当の私は貴女のその優しさに触れることなんておこがましい、醜くて情け無い女の子なの。
今まで騙していてごめんなさい、今まで陰口を言ってごめんなさい。貴女のように優しくて強くて可愛い子を、利用しようとしていた私を許してくれとは言わないわ。
でもずっと、貴女とこうして抱き合いたかった、貴女のような人に、私は必要とされたかった。ごめんなさい、ごめんなさい。私なんかが、私なんかが……、
でも、でも今だけは、その優しさに、貴女のその胸に甘えさせて下さい。




