第九十話 新たな航行への序曲・上
月曜日の午後、例のラダナイヤ上空会戦の戦闘詳報を纏めてタイプしていたら、急に降って湧いたようにフィチと共に空中艦隊本部からの呼び出しがかかった。
『スカアハ』はまだ修復が済んでないし、書類もまだ出来上がっていない。査問会の日取りでもないと言うのに。
顔を見合わせてフィチと何の用だろうと話し合っていたら、そのうちにも空中艦隊本部からの迎えの蒸気自動車がやって来た。
「本当に何なんだろうね、ユフ」
「さあ……急に賞罰のどちらかが決まったか」
「勲章授与か昇進か降格か……わたくしは昇進はあり得ないからユフの昇進かもね」
フィチの特将と言う身分は王族の名誉肩書きのようなもので、実際には少将相当の身分なのだが、彼女がそれ以上の階級になるにはあまりにも経験も戦勲も足りていないのは確かだ。
実質的な戦功査定や階級査定ではフィチは恐らく俺にも劣っていることだろう。
彼女がお飾りの特将の地位から脱して中将以上の地位を手に入れるとすれば、あと少なくとも二十年は艦隊勤務を続ける必要がある。
しかし俺の昇進もまたあり得ない話だ。俺の今回の戦功は差し引きで大したことになっていないはずだ。
爆撃艀と駆逐艦の撃沈はラストラの手柄だし、『スカアハ』は『ヴァールハイト』を抑えて撤退に導いただけだ。それも二隻の駆逐艦の突撃無しでは成り立たなかった。
俺がやったのは結果的には艦の損害の処置と、最後の一撃で『ヴァールハイト』の戦闘能力を奪ったことだけだろう。しかも追撃を断念して戦艦を取り逃がした。
それで昇進がかかったとしたら、それこそ酷い話だ。
「何か怒られることでも見つかったとか?」
「まさか、ディレンに交信なんてしてないぞ」
「副長室のタイプライターが良いものだったと気づいたとか?」
そんなことで呼び出されるなどあるわけないだろうが、それに気づかれるのは確かに嫌だ。虎の子のウィリックスランドを失いたくはない。
そんな風に何故呼び出されたのかも結局解らぬまま、やがて車は空中艦隊庁の本庁舎に辿り着く。
俺たちは庁舎に入って会議室に通されると、そこには全く予想だにしていなかった人物がいた。
「ご機嫌よう、フィチ。それにユフさん」
そうアルモニカの音色のような声で言う、蜂蜜色の髪を揺蕩える女性。その頭の上には銀細工の精緻な冠が鎮座している。
「へ、陛下……?」
フィチが引っくり返った声を上げ、俺は言葉を紡げず絶句する。
ベルティナ女王ルシェリス=ミルシェルファが、何故かそこに居た。
俺たちは慌てて礼をするが、すぐに彼女に「面を上げて」と言われて、その通りに顔を上げる。
「今日は如何な用で、こんなところへ……」
「色々と私の口から告げたいことがあったので、ここに来たのです」
優しげな笑みを浮かべるルシェリスに、俺とフィチははぁ……と身構えるしかなかった。
「まずは貴方方夫婦をはじめ、多くの勇敢な飛空艦乗りがラダナイヤをアウストムネシア残党の手から守ってくれたことを心より感謝致します」
「有り難きお言葉、勿体なくございます」
流石にフィチは場慣れしているのか、すぐに応対の言葉が出てきた。
「畏まらなくて良いわ。犠牲は出てしまったとは言え、最悪の危機を避けることは出来ました。これも全て貴方たちと、エゼルベシアの艦隊のおかげよ」
「彼らも連合加盟国の民を守るのは自身の勤めと思い奮戦してくれたと思います」
これは俺の本心からの答えだ。
例え俺がフィチの夫でなく、エゼルベシア空中艦隊に属していても、ラダナイヤを守るためには死力を尽くしただろう。
「ええ。大使を交えて御礼を申し上げたときもそのようなことを仰って下さったわ」
そこまで言うと、さて、とルシェリスが切り出してくる。
「フィチも『スカアハ』という槍が使い物にならなくなった今、アウストムネシアが攻めてきた際には不安でしょう。そのために貴女に新しい槍を授けたいと思いまして」
そう言うとルシェリスは隣に居た近衛の士官に目配せする。彼女は主人の望みを察してか、書類鞄の中から一枚の書類を取りだした。
厚く上質な紙は、それだけで命令書とわかる物だった。
「フィチ=ケーペンツ=ミルシェルファ特将麾下の第一一独立戦隊に新たに軽巡空艦『ティンカーベル』を配属いたします。それに伴い、ユフ=ハウェイズ=ミルシェルファ中佐には『スカアハ』副長と兼任の形で『ティンカーベル』艦長を任じます」
俺もフィチも目を丸くする。
巡空艦の艦長。巡空戦艦の副長を任じられたときも目を剥いたものだが、今度は降って湧いたように巡空艦艦長の話が出てきたのだから、余計に驚きを隠せないで居る。
しかも、俺の知る限り『ティンカーベル』と言う名前の巡空艦はベルティナ空中艦隊には存在しないのだ。
「陛下、『ティンカーベル』なんて艦はベルティナ空中艦隊に存在しないはずですよね?」
フィチが恐る恐る訊いてみるが、ルシェリスは笑みを崩さずそれに返した。
「ええ。今日艦隊に配備されたのですもの」
更にとんでもないことを言いだすものだ。俺もフィチも眼を丸くしたまま顔を見合わせるしかないのだ。




