第九十一話 新たな航行への序曲・下
「その、『ティンカーベル』とはいかな艦で……」
「エゼルベシア空中艦隊から引き抜いた巡空艦ですよ。艦種は確かカリュブディス級と言ったような」
「カリュブディス級!?」
俺は声を上げ、慌てて口に手を当てて抑える。
「エゼルの最新型軽巡空艦じゃないか……」
カリュブディス級はディオーネ級の脇を固めるために配備の始まった、ディオーネ級より一回り小ぶりな重武装軽巡空艦だ。
『スカアハ』は巡空戦艦とは言え使い道のなかった戦利艦だから引っ張って来れたのだろうが、エゼルの最新鋭艦を引っ張ってくるなどどれ程のことだろう。
「ああ……気にしなくて良いのですよ。むしろ配備に前向きだったのはエゼルベシア空中艦隊だったとピエリが申していましたから」
ルシェリスはころころと笑いながら、渋面を浮かべてるだろう俺にそう付け加える。
「エゼルは対アウストムネシア戦闘でベルティナを最先鋒として使うつもりですので、艦の供給は最大限協力するとのことです。だから励んで下さいな。彼らを討つためにも」
ルシェリスは一呼吸置いて続ける。俺もフィチもその間に口を挟むことなど出来なかった。
彼女は笑みを消し、カットエメラルドの瞳でこちらを見据えて言う。その気迫は笑顔の彼女しか知らない俺からすれば思いもよらんかった、こんな貌もするのかと言う意志の強さが籠もっていた。
「彼らは己が劣ると思った人間を炉に焼べて動く存在です。もしベルティナが彼らの手に落ちれば、妖精族をはじめとしたベルティナの民たちにも危害が及ぶでしょう。同じく多くの亜人を抱えるファンチャナも同様です。私はそれを許しませんし、そのためには非情にもなれます」
その表情はフィチのそれ以上に厳かな覚悟に満ちていて、彼女が本気であらゆる手段を使ってでもアウストムネシアを退けると言う宣言を実施するのだという本気が伝わってきた。
フィチがこくりと唾を呑んで、ルシェリスに言葉を返した。
「わかりました陛下。軽巡空艦『ティンカーベル』を受領致します」
それに続くように、俺も言う。俺の口からはいつもより硬く、決心に満ちた声が出た。
「同じく軽巡空艦『ティンカーベル』艦長の任、拝命致します。ありがとうございます、陛下」
その返事を聞いてか、ルシェリスの表情に笑顔が戻り、歩み寄った彼女の手から辞令が手渡される。
「貴方たち夫婦にはこのベルティナの盾となり、槍となり、先触れとして力を振るうように私からもつとにお願い致します」
ルシェリスの言葉に、俺たちは敬礼で返すのだった。
そしてルシェリスが部屋から出て行くのを見送り、俺たちもまた空中艦隊庁の庁舎を出て、自動車に乗り込む。
『ティンカーベル』の回航まではまだ時間がかかるらしく、俺たちもそれまではまだまだ自宅待機と言う事になるらしい。
士官の半分と一部の乗員は『スカアハ』から継続で乗るとのことだが、回航に携わるエゼルベシアの乗員と、補充兵が主な乗員になるとのことだ。
「しかし、あそこまで心臓に悪いのは久々だった……『スカアハ』の副長命じられたときもあそこまで驚かなかったぞ」
「そんなに?」
フィチが俺の顔を覗き込む。
「だって巡空艦の艦長だ。しかもエゼル本国でも更新の終わってない最新鋭艦を……俺には分不相応が過ぎる――まあ、お姫様の馬車に載せられて船渠に連れられて、禍艦に乗ってくれって頼まれたときを越えるものはないけどな」
「じゃあユフの一番はわたくしが貰ったと言う事ね」
酷く満足した、満面の笑みを浮かべてフィチは俺にしなだれかかってくる。
まあ、『スカアハ』副長を命じられたときはある程度ジャスパーに抗弁できたのもあるが、フィチもルシェリスも親子揃って有無を言わせないで俺に付いてくるよう言い包めたのもあるだろう。
「死んだはずのエデルトルート皇帝が蘇って話してた時も驚いたが、あれを越えることはないよ」
「そうなのね、ふーん」
満面の笑みを崩さぬままに、フィチは俺の頬を突いてくる。
「じゃあわたくしがこの先もずっと驚かせてあげる、ユフのことを、ずっと」
「それは期待してるよ」
とは言え、宮邸に戻ったら『ティンカーベル』に乗る前に終わらせなければいけない戦闘詳報とレポート作りにかからなければいけない。
フィチの方も指揮系統の独立や混乱もあってなかなか戦闘詳報作りが進まないと言うので、今日は食堂で机を合わせてタイプライターを叩いてみることにしよう。
そして出来れば『ティンカーベル』の就役までそれを続けよう。
俺はそう思いながら、しなだれかかる少女の肩に手を回すのだった。




