ラルスの決意
「良かったな、イルナ。とりあえず君の母上の負担が減って安心だろう」
「はい。本当に、一時はどうなるかと思って暴走してしまいましたから…」
イルナの所に会いに来ていたウィクトルに言われ、イルナも安心したような笑顔を浮かべる。あの時はエーテルを作って慌てて届けたなぁ、なんて呑気に思い出に浸っていた。が、ウィクトルがふと物騒な事を呟く。
「うん。だが、君の転移オーブで王宮に簡単に入れるのは問題だ。前から思っていたが、そこら辺の対策を練らないといけないと、ユリウスと常々話してるんだ」
「そう言えばそうですね…。誰でも入れると、守衛がいても意味がありませんし。というか、そういう防護魔法はかかってるんじゃなかったんですか?」
「してる。だが、実際君は簡単に入ってこれるだろう?そこをきちんと調べないと駄目なんだが、そうなると防護魔法自体を研究しなおしになるんだ」
「め、面倒な事になってしまってすみません…」
「いや、遅かれ早かれ気付く事だよ。転移してきたのがイルナだったのが不幸中の幸いだ」
確かに敵になりうる相手や暗殺者だと大問題だ。だが、今のところそう言った輩が入り込んだ事は一度もないので、今回の穴がどこにあるのか調べ直す事になったようだ。
イルナはウィクトルの顔をぼーっと眺める。男性にしては少し長い睫毛だなぁと思いながら見つめていると、紅茶のカップに口をつけていたウィクトルがイルナの視線に気付き、フワリと優しく微笑んだ。
「何、イルナ?」
「っ!」
顔が一気に熱くなる。この人の、この優しい目が好きだ。だけどじっと見つめられるとドキドキして落ち着かなくなる。
「すみません、何でもないんです」
「でも今俺の事を見てただろう?」
「それは…」
「うん?」
こてんと首を傾げられ、イルナの心臓は再び大きく跳ね上がる。そっと自分の胸に手を置き、少し視線を反らしてポソリとイルナが呟いた。
「み、見とれて…ました…」
言った後に猛烈に恥ずかしくなる。ウィクトルの何処が好きかとか、いつ好きになったのかとか、そういう事を聞かれても全くわからない。
けれど、ただ好きなのだ。
「…す、好きだなぁって、ぼんやり考えてました…」
するとウィクトルが小さく息を飲む。その気配を感じてそっとウィクトルに視線を向けると、彼は両手で顔を覆った状態でテーブルに両肘を付き、肩をプルプル震わせていた。
「え」
まさか笑っているのだろうかとウィクトルを覗き込む。するとウィクトルに突然腕を掴まれ、そのままぐいっと引き寄せられた。
「えっ、ウ、ウィル様?ど、どうし…」
「……キスしたい」
ビックリして息が止まる。恐る恐る顔を上げると、思いの外近い距離にイルナの顔が再び赤く染まる。どうしていいのか分からずに視線をさ迷わせていると、そっとウィクトルの手がイルナの顎を捉えた。
「ウ、ウィル様…っ、ま、待ってくださいっ…」
「…嫌?」
嫌かと聞かれても答えられない。好きだから、嫌ではない。けれどここは自分の部屋で、部屋の外にはウィクトルの護衛も待機していて、扉も少しだけ開けている。つまり、人に見られる可能性が大なのだ。
「い、嫌じゃありませ……んっ!?」
そっと、唇を塞がれた。驚きで目を見開くと、ウィクトルの顔が至近距離で視界に入る。じっとこちらを伺うように見ているウィクトルと目が合い、羞恥で倒れそうになった。
ちゅっと、小さな音をたてて唇が離れる。が、すぐにまた塞がれ、今度は下唇を食まれた。
「イルナ、目を閉じて」
「ウィル様だって…」
「ほら、もう一度」
「…!」
そう言ってまた口付けをされる。今度はすぐに離れてくれたが、イルナはもういっぱいいっぱいだった。
そのままウィクトルの胸に力が抜けたようにもたれ掛かる。それを愛しそうに抱き締め、髪をそっと撫でた。
「イルナが可愛い事言うから」
「い、言ってませんよ…!」
「だって好きだって言ってくれた。そんな事言われて嬉しくない訳ないだろう?」
「う…」
だからキス?と疑問に思ったが、今はちょっと考える余裕が全くない。するとその時、コンコンと扉を叩く音が聞こえ、イルナは慌ててウィクトルから距離を取った。
「姉さん、今いい?」
「ラ、ラルス…どうぞ…」
「あ、ウィクトル殿下がいらしてたんですね。申し訳ありません…て、姉さん顔真っ赤だけど」
大丈夫?とばかりにじろじろと見てくる弟から顔をそらし、何でもないと告げると訝しげな顔をされた。けれど弟もそれ以上突っ込んでくる事もなく、二人の前に「座っても?」と聞いてから腰を下ろした。
何か用かなとイルナがラルスを見ると、ウィクトルもいた事もあって、少し話し辛そうにも見える。気を使ったウィクトルが席を外そうかと訪ねると、ラルスは遠慮がちに首を横に振った。
「いえ、丁度殿下にも関係ある事ですので、そのままで大丈夫です」
「俺にも?」
「はい」
覚悟が決まったのか、ラルスが真っ直ぐに二人を見る。膝の上に置いていた両手をぎゅっと握り、ラルスが意外な事を口にした。
「ウィクトル殿下と姉さん。僕の代わりにこのルーメン家を継いでほしいんです」
唐突に言われて二人が驚く。ルーメン家の跡継ぎはラルスだ。それはイルナだけでなくロドルフやカロレッタもそう思っている。なのに、ラルスはイルナに代わってほしいと言い出したのだから、驚くのも無理もない。
どうしてこの弟がそんな事を言い出したのか考えて、イルナは一つの可能性を思い付いた。
「もしかして…貴方、ドロテアと結婚する為にコンラード家に婿入りするつもり?」
「え」
イルナの言葉にウィクトルが驚く。ラルスを見ると少し力が抜けたように苦笑していた。
「やっぱり姉さんにはバレてたか。そう、ドロテアと結婚したいんだ。でも僕も彼女も跡取りだ。だけどそんな理由で諦められない。別に僕がこの家を継いでも構わないんだよ。けどそうなるとコンラード家は跡継ぎがいなくなるだろう?姉さんがイエルハルド小父さんの養子になって殿下とあっちの跡継ぎしてくれてもいいけど」
「そんなややこしい事できるわけないでしょう」
「うん、だからこの家を姉さんに。僕はコンラード家にと思って。殿下も以前父に『降下して養子に入ってもいい』って言ってたし、ドロテアと一緒になるにはこれしかないと思ったんだ」
軽い調子で話しているけれど、ラルスの顔は本気の表情だ。二人は惹かれあっているのは分かっていたが、その行く末を案じていたのも事実だ。イルナにとってドロテアも大切な友人で、ラルスも可愛い弟だ。けれど、こちらの事情にウィクトルを巻き込んでいいのか、今ここで答える事はできない。
「ラルスの気持ちはわかったわ。でもこれは家の問題でもあるのだし、ウィル様だって簡単に受けられる話じゃないわ。イエルハルド小父様にだって…」
「小父さんには正式な申し込みは後日するけど、一応それとなく伝えた」
「え!?」
「まあ、ボッコボコにされたけど」
「まあ…」
どうやら洗礼を受けたらしい。それを聞いてウィクトルがプッと笑いだす。
「ラルス殿は情熱的な男だったんだな」
「まあ…殿下に言われたくないですけどね…」
バカにされたと思ったのか、ちょっとふて腐れている。けれどそれを気にすることなく、ウィクトルは話を続けた。
「ではこの件、ルーメン侯爵殿の了解を取れ。そちらが良ければ俺がルーメン家に入ろう」
「ウ、ウィル様!?そんな簡単に…陛下にもご相談してからでないと…!」
「もちろん父上にも報告するさ。だが、一代限りの貴族位を貰うか、元々ある貴族の家に入るかだけの違いだ。俺は気にしない」
「でも…」
自分は気にする。けれどラルスはパアッと分かりやすいくらいに笑顔になり、スッと立ち上がってウィクトルに一礼をした。
「ありがとうございます、義兄上。では僕は父と戦ってきますので失礼します」
「ああ、頑張れよ」
「ちょ、ラルス!」
イルナの制止も聞かずにラルスは勝手に退室してしまう。突然二人になり、何だか力が抜けたようにイルナも溜め息をついた。それを見ていたウィクトルは楽しそうに笑っている。ご自分の事なのに暢気だわ、なんて考えていると、ウィクトルと目が合った。
「っ!」
急にさっきのキスを思い出す。と、同時にイルナの顔が真っ赤になり、それを見たウィクトルは一瞬目を丸くしていたが、すぐに理由がわかったのか意味深に微笑んだ。
「イルナ」
囁くように名を呼ばれ、体が跳ねる。スルリと頬を撫でられ、ウィクトルが嬉しそうな顔でイルナを見つめ
「俺も君が好きだ」
そう呟いて、頬に小さくキスをした。
この日、イルナはこれがいっぱいいっぱいで、そのまま机に突っ伏してしまい、ウィクトルがいる間は顔を上げれなかったらしい。




