巷の聖女
王都に住む人々は聖竜の加護の元で暮らしているとはいえ、普段からその姿を見られる訳ではない。聖竜ガイウスは王宮内部にある神殿にいて、おいそれと人前に姿を現さない。それは地方になればなるほど余計に見ることは叶わない。
そういう事情もあり、王都を始めとする各地方の街では、聖なる竜を奉る神殿が建てられている。どういう原理かは分からないが、神殿には聖竜ガイウスの加護が受けられており、神聖な場所となっていた。
「おい、聞いたか?グラン男爵のご息女イオアンナ様の話」
「ああ、聞いたぜ。何でも巷じゃ聖女様と言われてるそうじゃねぇか」
「傷付いた人達を無償で治療してるらしいぞ」
「本当か?そりゃあすごい」
「ブロンドの髪にエメラルドの瞳の美少女らしい」
「そりゃあ一度拝んでみたいもんだ」
グラン男爵の治める領地では、イオアンナ男爵令嬢の話で持ちきりだった。
「どう思う?」
「はい?」
休憩中のラルスの元にやってきたルキウスが、唐突に問いかける。内容は勿論イオアンナ嬢の事だ。
「聖女と言われてるそうだが、この時期に急にそんな話が持ち上がるとは、完全に聖竜の巫女の座を狙ってると思わないか?」
「さあ…そうなんじゃないスか?別にいいと思いますけどね」
あくまで素っ気ないラルスだったが、ルキウスは気にする様子もない。顎に手を当てながら、何かを考えるように斜め上を眺めている。
「平民を分け隔てなく治療してるそうだが、今まで何もしていなかったのに、ここに来て急にだぞ。聖女と言うよりもあざとい女にしか思えん」
「そうですけど、実際の選定は聖竜様がされる訳ですから、あんまり関係ないんじゃないですかね」
「それはそうだが、どうにも気になる」
「そうですか。じゃあ自分は訓練に戻りますので」
何だかんだ言っても宰相の息子だ。無下にもできずに相手をしているが、それはそれで意外な情報が入る事もある。
(聖女ねぇ…)
無駄な足掻きだとは思うが、狙いが聖竜の巫女になる事ではないのかもしれない。民衆の評判を上げて何を狙っているのか。それとも本当に善意での事か。
(今結論を出す事ではないな)
考えても無駄だと判断したラルスは、思考を止めて訓練に戻った。
※※※
その頃、グラン男爵領の街にある教会では、一人の少女が列をなす人々に一人ずつ癒しの魔法を施していた。
「ありがとうございます、聖女様。おかげで楽になりました」
「まあ、それは良かったですわ。お身体お気をつけてくださいね」
今日は後3人程が限界だろう。そばにいる神父に告げると、列をなす民衆達に説明し、帰ってもらう。何やら文句を言う者もいたが、魔力の限界だと伝えれば、しぶしぶながらも納得したようだ。
「イオアンナ様」
「何よ、聖女様と呼びなさいと言ってるでしょう」
侍従らしき男性に声をかけられ、不機嫌そうに答える。疲れているのだから仕方がないだろうと、イオアンナは内心ため息をついていた。
いつの間にか全員の治療をおえたらしく、住民達の姿はなく、いるのはイオアンナと神父、それと今しがた彼女に声をかけた侍従の3人だけだった。
「ねえ、いつまでコレを続けるのよ。無償で治療なんて馬鹿げてるし、それにすごく疲れるわ」
「ですが男爵様に言われておりますので」
「わかってるわよ、そんな事。だけど本当にこんな事するのが役に立つの?」
「勿論です。住民達は口々にイオアンナ様を聖女様と呼び、感謝しております。聖竜の巫女になれれば僥倖ですが、なれなくても民衆の心を掴んでおられるイオアンナ様を無下にはできないでしょう」
神父も侍従の言葉にうんうんと頷いている。どうやらグルらしく、ひたすらイオアンナの機嫌をうかがっているようだ。
「聖竜の巫女なんてどうでもいいわ。面倒臭そうだし。それよりも王太子様の婚約者になって、未来の王妃になる方がずっといいわ」
うっとりとした表情を浮かべながらイオアンナが呟くと、侍従と神父もそれに頷く。
「本来なら男爵令嬢では王妃にはなれませんが、聖女となれば別でしょう。ですのでイオアンナ様はこのまま民衆の心を掴むべく、奉仕活動に力を入れてもらいますよ」
「わかってるわ」
そう言って口の端ニッと上げ、とても聖女とはいえないような表情を浮かべる。
巷で噂の聖女様は、かなりの野心家のようだ。




