エリクサーの前に
その日はもう夜だった事もあり、イルナはキルスティの家で夕食をよばれ、そのまま客室に案内された。ベッドに入ると今日の事が頭を過る。自分はとんでもなく皆に心配をかけてるんじゃないかと、急激に不安になった。
よくよく考えればあんなに急いでエルフの村に行く必要はあったのかとも思ったが、来てしまったものは仕方がない。とにかく自分にやれる事を一つずつやっていこうと、改めて決心してから眠りについた。
翌日、早くに目覚めたイルナは、身支度を整えて部屋を出た。侯爵令嬢とはいえ、自分の家を与えられてからは身の回りの事はできるだけ自分でやってきた。アミンには随分怒られたが、いちいち着替え一つでも誰かの手を借りないとできないようでは、平民になった時に困ると思ったからだ。
「おはよう、イルナ。よく眠れた?」
「キルスティ」
キルスティが笑顔で廊下に立っていた。いつも思うが彼女は神出鬼没だ。というか気配なく側にいるので驚いてしまう。
「イルナ、朝食の後パパが色々と話があるって」
「わかった」
こくりと頷き、キルスティと食事の用意された部屋へ向かう。
いよいよ今日からエリクサーを作る為の特訓だ。
食事が終わるとキルスティに案内されたのは、庭にある小さな建物だった。その中へ促されて入ると、キルスティのハーブ園と同じように空間魔法が施されていて、中はとても広かった。
「おはようございます、イルナ様」
「お、おはようございます」
すでに来ていたカジミールの姿を見て、イルナが思わず背筋を伸ばす。イルナにすれば、エリクサー自体が未知の薬だ。上手く作れる自信は全くなかった。
「イルナ様。エリクサーは簡単には作れません。ですのでまずは別のものを作って練習しましょう」
「別…ですか?」
一体何を作るのか分からず首を傾げる。するとカジミールは棚の中から小瓶を一つ取り出した。不思議に思い、中身を訪ねる。
「それは?」
「これはスプリームポーションです。ご存じですか?」
「スプリームポーション!?」
知っているもなにも、知らないはずがない。ポーションの最上級なのがスプリームポーションだ。
イルナが作った事があるのは、普通のポーションとハイポーションの二種類だ。ポーションは怪我を治してくれるし、体力も少しだけ回復する。それより高性能なのがハイポーションだ。ただ、たいした怪我でなければポーションで事足りるが、命に関わるような怪我を負うと、ハイポーションでも難しい。けれどスプリームポーションならそれを完全に治癒できる。
つまり、初級、中級、上級と思ってくれれば分かりやすいだろう。ポーションは初級でハイポーションは中級、スプリームポーションは上級の回復薬という事だ。
「あの、それはどなたが作られたのですか?」
イルナにエリクサーを作るように頼むという事は、今現在エルフの村に薬師はいないという事だろう。ポーション作りは一見簡単そうに見えて実は繊細で難しい。イルナも完璧にマスターするまで1年はかかったのだ。
「これを作った…と言いますか、この村にいた薬師のエルフは、全員眠っております」
「え…」
予想していなかった答えにイルナが目を見開くと、カジミールの言葉に付け足すように、キルスティがその疑問に答えた。
「ヴァルデマーがエルフの村に現れて、回復薬を作れるエルフを全員呪いで眠らせちゃったの」
理由は簡単だ。エリクサーを作らせない為だそうだ。万能薬とも言われるエリクサーを作られると、この先の彼の野望の妨げになるのだと言っていたらしい。
「で、でも…ただの薬師でしょう?勇者や賢者じゃあるまいし、そんな邪魔だなんて…」
「どんなに強い人でも、回復の手立てがなくなれば無敵じゃなくなるでしょ。魔法で回復するにしても、魔力が底をつけばそこまで。その時頼るのはエーテルやエリクサーのような回復薬になるからね」
「ヴァルデマーは小さな所から潰しにかかってるのです。そして、それが世間で気付かれるようになった時にはすでに遅い。守護竜様達を眠らせたのも、もちろん力を奪う為ではありますが、この先の邪魔をさせないという理由もあったようですね」
やってる事が小さいような気もするが、守護竜様達にした事は大胆不敵だ。ヴァルデマーという人物像が全く浮かばない。
「とにかく、人間でエリクサーを作れる人はいません。ですのでヴァルデマーも人間の薬師をどうこうする気はないようです。尤も、人間の薬師の数は多いので、いちいち全員探すのは手間だというのもあるでしょう」
「そうなんですか…」
普通に知らなかった。エリクサーを作れる人間はいないのか。キルスティは材料を集められないからとも言っていたが、確かに市場に出回っているのを見たことはない。王宮で保管しているのも、どうやらエルフが売っているかららしい。
「とにかく、スプリームポーションも人間は作り方を知らない。ですのでイルナ様にはまずスプリームポーションをマスターしてもらいます」
そう言ってカジミールはニッコリとイルナにとてもいい笑顔を向けたのだった。




