ガールミーツボーイ
辺りの閃光が鎮まると、鬼たちは影も形も無くなっていた。
(凄い)
そう思った途端、私はくたくたと地面にへたり込んだ。
「!リィンっ平気かっ」
【男】が抱きかかえてくれる。
長時間にわたって、あまりに魔力を放出し過ぎたのだろう。私は口を利くのも億劫だった。
【男】がまた、私に唇を寄せてきた。
と、温かいエネルギーが口を介して、流れ込んで来た。
「ん……」
「よし。頬に赤みが射してきたな。すまない、さっきはお前からのエネルギーが甘くて美味くて貪り過ぎた」
ほっとしたように言った【男】は、照れたような笑みを浮かべた。
(何を言っている?)
私の頭は、まだ、ぼうっとしていた。
抵抗が出来ない私の唇を、また【男】は美味さそうに貪り始めた。
くちゅくちゅ、と水音が耳の近くでする。
私の躰はしっかりと【男】に抱きこまれていて、身動きが出来ない。
ただ、縋りつくことしか出来なかった。
はあ……。
ようやく【男】が名残惜し気に私から唇を離してくれた時には、私は(認めたくはないが)別の意味で力が抜けてしまっていて、自分の力では立てて居なかった。
【男】が私の状態に気が付いて、苦笑しながら、あぐらをかいた上に私を抱え込んだ。
私の右側の首筋をす、と撫でた。
「ん……っ!」
それだけで刺激を感じてしまって、私の体は勝手にびくついた。
「この傷跡にキスをすれば、お前に”女”を返せるんだな?」
【男】の声が何故か嬉しそうで。
愛おしい、みたいな感情を感じてしまったのは、なんでなんだろうか。
そんな事を考えてしまった途端に、私は躰の中から満たされ始めていた。
(天界人だった時の幸福感に似てるな)
人界を眺めて、人間の幸せを祈っている時は、サイコーに幸せだった。
(でも、今は)
今、感じている事はちょと違う。
私は【男】に包まれている感じが凄く気持ちよくて。なのにドキドキして。
【男】が目を細めて、私を見つめていると、嬉しくて。だけど、胸がきゅう、と締まって。
耳は【男】が言葉を発するのを待ち構えて居て。
キスして貰うと、昇り立ての太陽の光を浴びるよりも、躰に熱い血潮が駆け巡って。
(それなのに)
足元がふわふわしているんだ。
「ん……いい気が満ちてきているな」
(なんか嬉しそう)
頭の回っていない私は、”まあ、いいか。この【男】が嬉しいのなら”とか、ぼんやりと思っていた。
「キスするぞ」
そ、と触れられた唇から首筋に、びりびりとした、熱いものが伝わってきて、それは胎内に流れ込んでくると躰中を走り回った。
「ん!ん!……っ」
私を抱きしめている【男】の躰が膨らみ、硬くなっていった。そして私の体はどんどん柔らかく。
まだ唇を私の首筋に付けている【男】は、煩そうに私の髪を振り払った。
(私の髪)
「……髪……」
「伸びてきてるな」
それと同時に首筋がくすぐったくなってきた。
どうも、男の口元あたりだ。手をやってみると、耳から顎にかけてのラインが、ふさふさになっていた。
「……髭……」
「伸びてきてるな」
お互いに、くすくすと笑いあった。
私は女を取り戻し。【男】は”男”に戻りつつあった。
男のキスはまだ止まらない。たまにぺろりと舐められて、私はくすぐったくて身悶えた。
躰を捩って避けようにも、がっしりと腰を掴まれていて、逃げられない。
男の両腕の中に納まっている、白湯気柳のようになよやかな私の腰。
(こんなに細かったっけ、私)
男の手がふにふにと、私の柔らかく膨らんだ胸を揉み込んで来た。
(これ以上は何か別の波に襲われそうだ)
決して嫌ではない、しかし今迄経験したことのない大波に攫われて、どこかへ運ばれてしまいそうな、何かに。
私は慌てて、男の手を制止したが。
「十分、”引っ越し”したと思うぞ」
「まだ、足りない」
そう言って男は相変わらず、私の首から唇を離さなかった。
◇
どのくらい、そうしていたのだろうか。私達は森の下草に二人並んで寝転がっていた。
リンカはというと、丸くなって眠っていた。
「ねえ」
私が男のほうを見ると、男も私を見つめ返してきた。
「うん?」
「君の名前は?私、聴いてないよ」
男が真の名前を教えてくれてもくれなくても別に私は、構わなかったけど。
(この男と何時まで一緒にいるかわからないけれど、いつまでも”おい、そこの男!”て呼びつけるのもな)
この森を出る時には、右と左に別れるのだろうか。
その思いつきは、生まれたばかりの心臓を、ぎゅう、と締め付けて辛かった。
私のことを、柑蜜を口に含んだ時のように、うっとりとした甘い顔で見つめながら男は、私の指に口づけながら、口を開いた。
「ああ。ウイシュラムだ」
男はしゃら、と簡単に伝えた。それが略称ではなく、真の名であることは、男の真剣な瞳からもわかった。私はゆっくりとその音を繰り返した。
「ウイシュラム」
私が口にした響きを気に入ったのだろうか。男……ウイシュラムは嬉しそうに目を細めた。
「ウイッシュでも、なんとでも。言いにくければ、好きに呼んでいいぞ、……リィン」
どきん、とした。
男が覆いかぶさってきて、私を見つめる。
「俺の名前を呼んで」
「……ウイッシュ」
「もう一度」
私は思い切って、男の真の名を呼んだ。
「ウイシュラム」
また、男は嬉しそうに私にキスをしてきた。
(これまで生きてきた中で、してきたキスの数を今日一日であっさりと越えてしまった)
気持ち良いけれど、そろそろ日が堕ちる。
獣たちや妖魔、そして鬼たちに世界を明け渡す時間だ。
男……、ウイシュラムもわかったのだろう。よっこらしょ、とばかりに私を抱き起しながら自分も立ちあがった。
ヒュウイイと口笛を鳴らすと、暫し待つ。やがてバッサバッサと微かに羽ばたく音が聞こえてきた。その音が段々と近づいてくる。私が警戒して剣の柄に手をかけると、ウイシュラムが、そっと私の手を握って大丈夫だ、と言った。
「俺の友達を呼んだだけだ」
見ればリンカも不安そうに、音が近づいてくる方角の空を見上げている。
と。
一頭の翼竜が降り立ってきた。前腕に弓矢の包みを抱えている。
青みがかった鱗を纏い紫の羽。金がかった茶の鱗に、銀色の羽のリンカとはまた違った色彩の、竜。
(妖界の竜だ……!)
ウイシュラムはずんずんと竜に近寄っていく。竜も男が近づいてくるのを待ち構えているようで。
二人、いや一人と一頭は、ひし、と抱き合った。
「ウイシュラム!探したぞ……っ」
「心配をかけた」
「これからは、ずっと一緒だ」
「ああ」
(どうして、妖界の竜が)
というようにウイシュラムを見つめていると。ちょいちょい、と差し招かれた。ウイシュラムは竜から弓矢を受け取り、嬉しそうに懐かしそうに背中に装着していた。
私は彼らの近くに立った。
「リィン。こいつは俺の相棒のヴィズ。俺が赤ん坊の頃に親父が卵を拾ったんだ。シービーの卵だと思ってたから、温めた。孵ってみたら、ドラゴンだったらしい」
彼の父親はそのまま、息子の兄弟として育てることにしたという。
(私とリンカのような関係なんだな)
シービーとは飛べないが、二本足で高速に移動できる、大型の鳥のことだ。卵は栄養価は高いし、その羽は軽くて温かい。大人しくてよく懐くので、乗り物としても家畜としても、よく飼われている動物だ。
それを聴いた、リンカがぷ、と噴出した。音を聞きつけたヴィズは、くるん、そちらに顔を向けて、『しまった』とでもいうように、リンカが首を竦めた。
「「……」」
しばし、二頭が見つめ合って。
と、人型に戻った彼の竜がすたすたとリンカの傍に近づいていった。
「おい、ヴィズ!」
ウイシュラムが焦ったような声を出した。
「お前の心配しているような事はしないよ、ウイッシュ」
ヴィズはどんどんリンカに近づいていき。彼女に手を差し伸べた。
「綺麗なお嬢さん。俺と番になりませんか」
リンカはぼん!と鼻から火を噴いた。そして慌てて飛んで逃げてしまった。ヴィズがまたドラゴン化して追いかけていく。
「竜達は放っておいて。俺達はどうする?」
私がぼーと二頭の追いかけっこを見上げていると、ウイシュラムが、こっちが蕩けそうな目で私を見つめてきた。
「どうする……って」
くうくう、という声が聞こえ出したので、もう一度見あげれば、上空で二頭はお互いにくうくう言いながら旋回していた。
(あれは)
天界界で見たことがある。竜同士の求愛の儀式だ。
「あいつらはまとまったみたいだが。リィンは俺とどうなりたい」
「どう……って」
私は途方にくれた。
天界人の時には、求愛されたこともしたこともない。これからどうしていいのか、なんてわからない。
ましてや人界人となっても、私は探し物屋稼業に勤しんでたから、客の依頼しか人間と接したことはない。
ぐい、と頬を両手で挟まれて、覗き込まれた。
「俺がお前に求愛しているのはわかってるか」
(これが人間の求愛の仕方なのか)
ならば、返事はどのような形なのだろう。
頭をしっかりと固定されてて頷くことが出来ない。おまけに、頬をがっつりと挟まれているから、言葉を紡ぐことも出来ない。
かといって、拳でウイシュラムの顔を殴りつけるのも、脚を踏んだり膝を腹に入れるのも、この場合なんとなく違う気がする。
(そんな事をしていた人界人たちは、大抵闘気を纏っていたしな)
よく、女が男の顔を掌で張り飛ばすのを見かけたことがあったから、この場合にそれを行うのが正解なような気もしたが、あれは悪いことをした時に叱りつけていたようにも見えたし。
その為、瞼をぱちん、と閉じて開けてみたら、微笑んでいる男が目に映った。
……どうやら、正解だったらしい。
ぶっちゅ!と唇をまたしてもくっつけられて、ついでに、ぐいと乱暴に離されたが、私の腰を抱いている腕は緩まることはなかった。
ウイシュラムが、ヒュウイイとまたしても、口笛を吹いた。
ヴィズがバサバサ、と翼を鳴らしながら降りてきた。その傍らにリンカも降りてくる。
「俺達を森の傍にある宿まで載せていってくれ、ヴィズ。そうだな、お前たちが目立たない処にでもいったん降ろして貰って、……明日の夕方。近くの森まで迎えに来てくれるか」
「わかった」
そういうとウイシュラムは、私の腰を抱いたまま、ヴィズの背中に乗った。
ふわ、とヴィズが空中に飛びあがる。そのまま何処かを目指してフライングし始めた。後ろを見れば、リンカも付いてきてくれた。
足元に小屋が見えた。
そこから少し離れた処にヴィズは降り立って私達を降ろすと、また飛び立ち、空中で旋回していたリンカを伴って、何処かへ行ってしまった。
(……)
私は少し、心細くなった。
冥界を彷徨っていた時以外、リンカと離れたことはないからだ。
私の表情に気がついたのだろう、ウイシュラムが私の頬を撫ぜてくれた。
「そんな顔をするな。あいつらはドラゴン化してたほうが都合がいいんだ」
(そんなものかな)
何が都合がいいのか、わからなかったが、どうやら人間のウイシュラムのほうが、元天界人だった私より、ドラゴンの生態に詳しいようだったから、任せておこうと思った。
そして、私達は宿屋へと歩き出した。
◇
数か月後。
二頭のドラゴンが向き合っている形の板に「ウイッシュ&リィンの探し物屋」と描かれている看板が掛かっている、とある一軒の家の前に、顧客が訪れた。
「リィン!いい加減に起きろ!お前に客だ!」
「面倒くさい~祝福に花びらでも撒いておいてよお~……」
朝日が暴力的に眩しい。そして思いっ切りだるい。
もぞもぞ。掛布の中に潜ろうとしたら、ばっと掛布を剥ぎ取られた。
「寒いー、眠いー」
私が返して、と両腕を伸ばしたら、その腕をとって起き上がらされた。
そのままバンザイをさせられて、頭から服を被せられる。
「わっぷ!」
「夜更かししてるからだ」
ウイシュラムが陽気に言うのに、私は恨めし気に見つめた。
「……ウイッシュが、寝かせてくれなかったくせに……」
「それはそれ。これはこれだ。なんとジーメル石を報酬に貰ったんだぞ♪」
ジーメル石。
耳がぴくりとなる。
(それじゃあ、受けない訳にいかないか☆)
そして。
応対に現れたリィンの顔を見て、顧客はにこやかに笑った。
「久しぶりだな、リィン」
「げ!」
どうやら二人と二頭の探し物屋稼業は、今日も繁盛しているようである。
Fin.