第九話「文化祭放送、やりますか」
前話のあらすじ
第八話「リスナーが増える日」
木曜日の放送を楽しみに、廊下に集まる生徒が増え始めた。三週目には七人が旧棟の廊下に並んで放送を聴いていた。
ケンジ経由で「落ち着く声」「ちゃんと届く声」というリスナーの感想がソラに伝わった。ソラは窓の外を見ながら「お父さんも、そう思ってたかな」とつぶやいた。
ハルはケンジに「雨宮さんのことを気にしてるのはそれだけか?」と問われ、「それだけではないかもしれない」と珍しく自覚を見せた。
ソラは「ちゃんと続けようと思う」と宣言。その夜ハルは日記に書いた——「ソラさんの声が誰かに届いている。それが、なぜかとても嬉しい」。
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第九話「文化祭放送、やりますか」
提案してきたのは、桐島だった。
ある火曜日の昼休み、放送室に突然現れて、开口一番こう言った。
「文化祭、放送部として何かやらないか」
ソラが即答した。
「やらない」
「まあ聞け」
「聞かなくていい」
「文化祭の当日、校内放送の時間を一枠もらえる。三十分。好きに使っていい」
ソラが口を閉じた。
ハルはその沈黙を、慎重に観察した。「やらない」と即答したときとは、空気が少し違った。
「……三十分」
「そう。生徒も保護者も先生もいる。全員が聴ける放送だ」
「……プレッシャーをかけないでほしい」
「事実を言っただけだ」
桐島はにやりと笑った。この人は、たまにずるい言い方をする、とハルは思った。
「考えます」とソラが言った。
「一週間で返事くれ」
桐島は颯爽と去った。
部屋に静寂が戻った。
ソラはしばらく机の木目を見ていた。
「……ハル」
「はい」
「どう思う」
ハルは少し考えた。
「やりたいと思います」
「あなたが、じゃなくて。私が、どう思うかって聞いてる」
「ソラさんが怖いと思うのはわかります。でも——やりたいとも思ってると思います」
ソラはハルを見た。
「……なんで言い切れるの」
「テープを再生したとき、校内に流したとき、リスナーが増えたとき——全部怖そうだったけど、全部やった。だから」
長い沈黙だった。
「……嫌な分析」
「すみません」
「当たってるから、嫌」
* * *
一週間、ソラは何も言わなかった。
木曜日の放送もいつも通りやった。廊下のリスナーも増えていた。十二人になっていた。
ハルも何も言わなかった。
待つことにした。
ソラが自分で決めるまで。
そして翌週の火曜日、ソラは放送室に入るなり言った。
「……やる」
「文化祭ですか」
「そう。ただし——」
ソラはハルを真っ直ぐ見た。
「一人じゃできない。あなたも一緒に喋ってくれないと、無理」
ハルは少し驚いた。
ソラが「無理」と言ったのは、初めてだった。強がらずに、そのまま言ったのは。
「わかりました」
「また即答」
「考える必要がないので」
ソラは少し目を伏せた。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
二人は少しの間、黙っていた。
それから同時に、桐島に連絡しなければ、と気づいた。
* * *
文化祭まで、三週間だった。
準備は、思ったより大変だった。
三十分の構成を考えなければならない。いつもの「雲の話」と「ソラの声」だけでは、さすがに間が持たない。
「コーナーを作ろう」とハルが言った。
「コーナー?」
「リスナーから投稿を募集する」
「どんな」
「今日見た、誰かに話したくなったこと。なんでもいい」
ソラは少し考えた。
「……それ、私たちがやってることじゃない」
「そうです」
「みんなにも喋らせるってこと?」
「喋ってもらうというより——みんなの『誰かに話したくなったこと』を、私たちが代わりに声に乗せる」
ソラはしばらく黙った。
「……それ、ラジオっぽい」
「ラジオなので」
ソラはかすかに笑った。
「……お父さんが聴いてたラジオも、そういうコーナーがあった気がする」
「どんな内容でしたか」
「覚えてない。でも声が楽しそうだったのは覚えてる。投稿した人の名前を読み上げると、すごく嬉しそうだった」
「じゃあ名前も読みましょう」
「……ラジオネームで」
「ラジオネームで」
二人で顔を見合わせた。
なんとなく、うまくいく気がした。
* * *
投稿箱は、ケンジが段ボールで作ってくれた。
「俺も参加していいか」と言ったので、ハルは「もちろん」と答えた。
投稿箱を旧棟の入り口に置いた翌日、十七枚の紙が入っていた。
ハルとソラで一枚ずつ読んだ。
「今日の給食のプリン、隣の子にあげたら泣くほど喜ばれた。プリンってそんなにすごいのか」
「部活の先輩に初めて褒められた。嬉しくて家に帰ってから三回思い出した」
「登校中に猫がついてきた。学校まで来た。どうしようかと思った」
「好きな人に話しかけられなかった。明日こそ話す。たぶん」
ソラは全部読んで、しばらく黙っていた。
「……みんな、いろんなことがあるんだ」
「そうですね」
「大したことじゃないけど——大切なこと」
「そうですね」
ソラはもう一度、最後の一枚を見た。
「好きな人に話しかけられなかった、って」
「はい」
「……話せるといいね」
ハルはその言葉を聞いて、少し心臓が跳ねた。
なぜかは、よくわからなかった。
でも——わからなくもなかった。
* * *
文化祭の前日、二人は放送室で最後の確認をした。
構成表。コーナーの順番。読み上げる投稿の選定。
ソラは珍しく緊張していた。いつもより口数が少なく、何度も構成表を見直していた。
「大丈夫ですか」
「……大丈夫じゃないかもしれない」
「正直ですね」
「あなたの前では正直になる癖がついた。困ってる」
ハルは少し笑った。
「明日、ソラさんの声を聴きたい人がたくさんいます」
「……怖い」
「でもやる」
「……やる」
ソラは構成表を折り畳んだ。鞄にしまった。
それから、ふと机の引き出しを開けた。
カセットテープと、あの便箋を、少し見た。
引き出しを閉めた。
「……行こう」
「はい」
二人で旧棟を出た。
夕暮れの空に、今日の雲があった。
ハルは空を見上げた。
「……今日の雲、何に見えますか」
ソラも見上げた。しばらく考えた。
「……ラジオ」
「ラジオ?」
「古い、四角いやつ。アンテナが出てる」
ハルは空を見た。確かに——言われてみれば、そう見えなくもなかった。
「明日の放送、うまくいきますように」
ソラが、小さく言った。
誰に向けた言葉かは、わからなかった。
でもハルには、なんとなく届いた気がした。
——第九話・了——
次回「文化祭当日、ON AIR」




