第五話「桐島センパイが来た日」
── 前話のあらすじ ──
第四話「深夜三時のラジオ、第二回」
ソラがついに「やる」と言った。月曜日の朝、放送室のドアを開けた瞬間、背中越しに。
条件は「校内には流さない、聴くのはケンジ一人だけ」。ハルはケンジを呼び、三人で初めての放送に臨んだ。
マイクの前に座ったソラは、十六年前の「深夜三時のラジオ 第一回」のことを語り始めた。小学一年生のとき、ラジオ好きの父のために一人で録音した番組のこと。翌朝、父が笑って「面白かったぞ」と言ってくれたこと。
「声は消えないって、最近思うようになったので。だから、喋ってみます」
放送を聴いたケンジは「ちゃんと届いた感じがした」と言った。帰り際、ソラはかすかに——ほんのわずかに——笑った。
次の放送は、木曜日。ハルが「木曜日の雲が好きだから」という理由で決めた。
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第五話「桐島センパイが来た日」
木曜日の放課後。
ハルが放送室に着くと、扉の前に見知らぬ人物が立っていた。
背が高かった。大学生くらいに見えた。くたびれたジャケットを着て、手には紙袋を提げている。扉のプレートをじっと見ながら、何かを確認するように小さく頷いていた。
「……あの」
ハルが声をかけると、その人物が振り返った。
丸眼鏡。無精髭。目の下にうっすら隈。でも、なぜか笑顔だった。
「お、部員?」
「一応」
「一応って何だ、いい返事だな。俺は桐島。桐島 誠。去年まで放送部の顧問やってた」
ハルは少し考えた。
「荷物を置きっぱなしにしてる人ですか」
桐島は三秒固まった。
「……誰から聞いた」
「聞いてません。引き出しに荷物がありました」
「ああ——そうか、まだあったか」
桐島は頭を掻いた。悪びれた様子は全くなかった。
「で、雨宮はいる?」
「知り合いですか」
「去年の部員。一年のとき入ってきて、俺が赴任先変わったあとも居座り続けてるらしい子」
居座り続けている——その言い方が、妙に正確だった。
* * *
ソラは、桐島を見た瞬間に固まった。
「……桐島先生」
「久しぶり。元気そうだな」
「なんで来たんですか」
「荷物取りに。あと、様子見に」
「様子見なくていいです」
「まあそう言うな」
桐島は部屋に入り、迷わず奥の棚の前に歩いた。段ボール箱を一つ引き出し、中を確認する。
「……なんか、片付いてるな。去年より」
「掃除した」
「誰が」
ソラがハルを見た。
「私と、こいつが」
「こいつって誰だ」
「朝倉ハルです」とハルは言った。「二年です」
「新入り?」
「一応」
「また一応か」
桐島は笑った。悪い人ではなさそうだ、とハルは思った。ただ、少しだけ——何かを確認しに来たような目をしていた。
* * *
桐島は荷物を確認しながら、何気ない口調で言った。
「ラジオ、やってるんだって?」
ソラの動きが止まった。
「……誰から聞いたんですか」
「職員室。木村が『放送部が急に活動し始めた』って言ってた」
「校内には流してない」
「知ってる。でも機材動かしたら電源ランプが管理室に繋がってるんだよ。ON AIRのやつ」
ソラは黙った。
「怒ってるわけじゃない。むしろ——」
桐島は段ボールを棚に戻し、ソラを見た。
「よかったと思って」
「……別に」
「雨宮がここで喋るとは思わなかった。去年、何度か誘ったけど首を縦に振らなかったから」
ソラは窓の外を向いた。
「……こいつが来たから」
「こいつ、って俺ですか」とハルは言った。
「そう」
「どういう経緯で?」と桐島が聞いた。
「トイレを探してたら迷い込みました」
桐島はハルを三秒見た。それからソラを三秒見た。
「……なるほどな」
「何がですか」
「いや——ちょうどいい感じだなと思って」
ソラが眉をひそめた。桐島は笑って立ち上がった。
* * *
帰り際、桐島は紙袋からカセットテープのプレイヤーを取り出した。
古い機種だった。単三電池で動くやつだ。
「これ、置いていく」
「何ですか」とソラが言った。
「カセットプレイヤー。この部屋にあったテープ、再生できるやつがなかっただろうと思って」
ソラの表情が、かすかに変わった。
「……いらない」
「まあ置いとくだけ。使わなくていい」
桐島はプレイヤーを机の上に置いた。
「雨宮のお父さんのこと、職員室で少し聞いた。三年前だったな」
「……関係ない」
「そうだな。関係ない。ただ——」
桐島は扉に向かいながら、振り返らずに言った。
「声は録っておくといい。残るから」
それだけ言って、出ていった。
扉が閉まった。
部屋が静かになった。
机の上に、カセットプレイヤーが残った。
* * *
しばらく、二人は黙っていた。
ソラはプレイヤーを見ていた。見ているだけで、触らなかった。
「……使わなくていい」
ソラが言った。独り言みたいな声だった。
「わかりました」
「あのテープ、再生するつもりない」
「わかりました」
「……ただ、あるだけでいい」
「わかりました」
ソラはハルを見た。
「……あなた、さっきから『わかりました』しか言ってない」
「全部わかったので」
「全部?」
「使わなくていい。でも捨てたくもない。近くにあればいい。そういうことだと思ったので」
ソラは三秒、ハルを見た。
「……変なやつ」
「よく言われます」
「褒めてない……けど」
ソラは小さく息を吐いた。
「……今日の放送、する?」
「します」
「何か喋ることある?」
「今日の雲が、タコに似てた話をしようと思います」
ソラはまた、かすかに口の端を動かした。
「……タコ」
「八本足がくっきり出てました」
「……それで何分持つの」
「三十分くらいは」
「嘘つかないで」
「十分なら」
「……まあいいか」
ソラはミキサーの前に座った。ハルはマイクの前に座った。
スライダーが上がった。
「ON AIR」のランプが、今日も赤く灯った。
机の上のカセットプレイヤーが、静かに光を受けて光った。
——第五話・了——
次回「テープを、再生する夜」




