第十一話「木曜日の、いつもの放送室で」
── 前話のあらすじ ──
第十話「文化祭当日、ON AIR」
文化祭当日。ソラは「もしうまく喋れなくなったら助けて」とハルに頼み、「信じる」と言った。
三十分の放送では、雲の話、投稿コーナー、そしてソラが「声は消えない。届けた声は残る。父に教わったことです」と語った。放送室に拍手が届いた。
終了後、ソラは笑った。目が赤く、でも確かに笑っていた。ハルは胸の中に広がる温かくて少し苦しい何かを、まだ心にしまっておくことにした。
夕方、ケンジに「雨宮さんのことどう思う?」と聞かれたハルは「好きだと思います」と答えた。「声にしないと残らないので」という理由で。「準備ができたら告白する。そう遠くないと思う」と言い、夕空を見上げた。
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第十一話「木曜日の、いつもの放送室で」
文化祭から、一週間が経った。
木曜日が来た。
いつも通り、ハルは旧棟の廊下を歩いた。いつも通り、床板がきゅうきゅう鳴った。いつも通り、放送室のドアを開けた。
いつも通り、ソラがいた。
「来た」
「来ました」
コーヒーを入れた。二人で飲んだ。
それだけで、なんだか落ち着いた。
文化祭の熱がまだどこかに残っていたから、この静けさが余計に沁みた。
「……廊下、また増えてた」
ソラが言った。
「何人でしたか」
「数えてない。でも、前より多かった」
「文化祭の効果ですね」
「……そうね」
ソラはカップを両手で包んだ。
「……なんか、実感がない。あの日のこと」
「夢みたいでしたか」
「夢というより——遠い気がする。でも確かにあった、って感じ」
「確かにありました」
「……うん」
窓の外に、今日の雲があった。丸くて小さい雲が、いくつも連なっていた。
「今日の雲、何に見えますか」
ソラが先に聞いた。珍しかった。いつもはハルが言い出す話題だ。
「羊ですね。小さい羊がたくさん」
「……私も、そう思った」
「初めて一緒でしたね」
「……そうね」
二人で羊の雲を見た。ゆっくり動いていた。
* * *
放送の前、ソラが言った。
「ハル、一つ聞いていい」
「どうぞ」
「……なんで放送部に入ったの。本当の理由」
ハルは少し考えた。
「プレートが出てたので、と最初に言いました」
「それは知ってる。でも——それだけじゃない気がしてた」
ハルは窓の外を見た。羊の雲はまだいた。
「ラジオをやりたかった、というのも本当です」
「それも知ってる」
「あとは——」
ハルは少し間を置いた。
「ソラさんがいたから、かもしれません」
ソラが、動きを止めた。
「……幽霊みたいだったから?」
「最初はそれです。でも——話してみたかった。声が聞いてみたかった」
「……私の声が?」
「静かで、でも何か持ってる声だと思ったので」
長い沈黙だった。
ソラは窓の外を見た。ハルも見た。
羊の雲が、少しずつ形を変えていた。
「……ありがとう」
ソラが言った。
「何がですか」
「来てくれて。入ってきてくれて」
ハルは何も言わなかった。
言葉より、もっと正確に伝えたいことがあった。
でも——今日はまだ、その準備ができていなかった。
もう少し。もう少しだけ。
* * *
放送が終わった。
廊下の拍手を聞きながら、ソラがふと言った。
「……文化祭のとき、投稿コーナーで読んだやつ、覚えてる?」
「全部は覚えてませんが、何個かは」
「好きな人に話しかけられなかった、って投稿」
「覚えてます」
「あの人、どうなったかな」
ハルは少し考えた。
「話しかけられたんじゃないですか」
「根拠は」
「声にしようと思った、って書いてたから。声にしようと思った人は、たいてい声にします」
ソラはしばらく黙った。
「……そうだといいね」
その言い方が、少し遠かった。
ハルはソラを見た。ソラは窓の外を見ていた。
何かを考えているような顔だった。
でもハルには、それが何かまではわからなかった。
* * *
帰り道。
校門のところで、ソラが立ち止まった。
「ハル」
「はい」
「……来週の木曜日も、来る?」
ハルは少し驚いた。
ソラが「来る?」と聞くのは、初めてだった。いつもは来て当然、という空気だった。
「来ます」
「……絶対に?」
「絶対に」
ソラは少し目を伏せた。
「……じゃあ、来週、話したいことがある」
「何ですか」
「来週言う」
「今日じゃダメですか」
「……準備ができてないから」
ハルはその言葉を聞いて、胸の中で何かが静かに跳ねた。
「わかりました」
「……驚かないで聞いてほしい」
「驚かない自信はないですが、ちゃんと聞きます」
ソラはしばらくハルを見た。
それから、小さく頷いた。
「……じゃあ、木曜日に」
「木曜日に」
ソラは歩き始めた。
ハルはその背中を見送った。
夕暮れの中、ソラの影が長く伸びていた。
ハルは空を見上げた。
羊の雲は、もういなかった。
代わりに——夕焼けの中に、一筋の白い線が残っていた。
飛行機雲だった。
どこかへ向かっている線が、空にまっすぐ引かれていた。
ハルは、その線をしばらく見ていた。
木曜日まで、あと六日。
準備を、しようと思った。
ちゃんと声にできるように。
——第十一話・了——
次回「声にする、木曜日」




