第七話「消える」
拠点に戻ると、ソウイチが地図の前に立って戦闘の記録をつけ始めた。ユズキは床に寝転がって天井を見ていた。疲れたというより、燃え尽きた後の猫みたいな感じだった。
「ねえソウイチ、今日六十二体だったよね。新記録じゃない?」
「記録を競ってどうする」
「いいじゃん、モチベーションってやつだよ」
ソウイチは答えなかった。でも口元が微かに動いた気がした。
俺はテーブルの端に腰を下ろして、さっきの戦闘を頭の中で振り返っていた。ソウイチの結界、ユズキの炎、ユイの回復、レンの刀。みんな当たり前みたいに使いこなしている。俺だけが、まだ自分の力を制御できていない。
「霧島」
ユイが隣に座った。
「さっきの戦闘、無茶をした」
「無茶というか——」
「ソウイチの後ろにいれば良かった。前に出る必要はなかった」
責めているわけじゃない。でも真っすぐな言い方だった。
「わかった。次は気をつける」
ユイはしばらく俺を見てから、小さく頷いた。
「マインドが使えない間は、無理をするな」
「使えない間は、ってことは使えるようになるのか」
「なる。時間の問題だ」
その確信はどこから来るんだろうと思った。でもユイが言うなら、そういうものなのかもしれないと思った。
レンは壁際に座って目を閉じていた。寝ているのか考えているのか、わからない。でも存在感だけはある。さっきの「いつか話せ」という言葉が、まだ頭に残っていた。
俺がここにいる理由。
話すべきなのかもしれない。でもどこから話せばいいのかわからなかった。自分でもまだ、半分も理解できていないのだから。
それから一時間ほど経った頃だった。
突然、眠くなった。
抗えない眠気だった。意識が遠くなる感覚は、あの世界に来る直前と似ていた。まずい、と思った。いつもは寝て起きたら現実世界に戻っている。でも今回は——
「ハヤト?」
ユズキの声が遠くなる。
「霧島」
ソウイチの声が聞こえた。
でも体が言うことを聞かなかった。テーブルに手をついて、堪えようとした。駄目だった。意識が、落ちていく。
みんなの顔が見えた。ユズキが立ち上がっている。ソウイチが立ち上がりかけている。レンは動いていなかった。ただ静かに、俺を見ていた。ユイも——ユイも、動いていなかった。
その顔に、微かに何かが浮かんでいた。
俺が最後に見たのは、ユイのその顔だった。
そして、消えた。
天井だった。
見慣れた、染みのある、安アパートの天井。
俺はしばらく動けなかった。さっきまでの感覚がまだ残っていた。みんなの顔が、頭に張り付いている。
特に、ユイの顔が。
動いていなかった。驚いていなかった。
知っていたのか。
その考えが頭に浮かんだ瞬間、俺は起き上がった。部屋の中は静かで、東京の朝の音がカーテンの向こうから聞こえてくる。
今頃あっちでは、どうなっているんだろう。
ユズキは騒いでいるだろう。ソウイチは冷静に状況を整理しようとしているだろう。レンは——
レンはたぶん、驚いていない。
そう思った。
結局その日は、現実世界で過ごした。
唯とばったり会って、近くの公園を歩いた。唯はよく喋った。美大の課題が難しいこと、最近また新しい絵を描き始めたこと、好きなパン屋を見つけたこと。俺は相槌を打ちながら、半分だけそこにいた。
「霧島さん、なんか今日ぼーっとしてません?」
「そうか?」
「そうですよ。何か悩んでることあります?」
俺は少し考えてから、首を振った。
「悩みというか——うまく説明できないことがあって」
「説明できないこと?」
「自分でもよくわかってないことだから」
唯はしばらく俺を見てから、柔らかく笑った。
「それ、無理に説明しなくていいと思いますよ。わかってから話せばいい」
その言葉が、妙に心に刺さった。
わかってから話せばいい。
でも、わかった時に話せる相手が、俺にはいるんだろうか。
「霧島さん」
「何」
「また絵、見てもらえますか。新しいの描いてて」
「ああ」
「ありがとうございます」
唯はまた笑った。その笑顔が、あの灰色の世界とひどく対照的だった。
同じ顔をした、全く違う誰か。
でも今は、この笑顔が少しだけ、救いになっていた。
次の朝、目が覚めたら空が灰色だった。
起き上がると、拠点だった。ユイの家じゃない。直接ここに来たのは初めてだった。
全員がいた。
ユズキが真っ先に俺を見た。いつものテンションじゃなかった。
「ハヤト」
声が、低かった。
「昨日、どこ行ってたの」
全員の視線が俺に集まった。ソウイチは腕を組んで俺を見ている。レンは壁際に立って、静かにこちらを見ていた。
ユイだけが、少し目を伏せていた。
俺は全員の顔を見回してから、息を吐いた。
もう、隠せない。
「話す。全部」
静寂の中で、俺は口を開いた。




