第六話「戦闘」
出発したのは夜だった。
といっても、この世界に昼夜の差はほとんどない。空が少し暗くなる、それだけだ。でも街の雰囲気は変わった。昼間より静かで、より息が詰まる感じがした。
「旧市街の東側まで歩いて二十分」とソウイチが言った。「ケノの群れが固まっている間に片をつける。散らばると厄介だ」
「数は?」とレンが聞く。
「昨日より増えてる可能性がある」
「六十か七十ってとこかな」とユズキが軽い口調で言った。「まあなんとかなるでしょ」
「なんとかなるって言えるのがすごいな」
俺が言うと、ユズキは肩をすくめた。
「慣れだよ慣れ。ハヤトもそのうちそうなる」
そのうち、という言葉が妙に重かった。
歩きながら、俺は自分の左手首のクロスを確認した。レンに巻き直してもらった部分は、しっかりと固定されていた。
旧市街の東側は、他の場所より建物の密度が高かった。
路地が入り組んでいて、見通しが悪い。その暗がりの中に、ケノがいた。
最初に気づいたのはレンだった。
「右の路地、十体」
声が低くて、静かだった。俺には何も見えていなかった。
「左の広場にも固まってる」とユズキが続けた。「私が広場を引き受ける」
「俺は右を片す」とレンが言った。
「あなたはソウイチと一緒に動いて」とユイが俺を見た。「まだ単独は早い」
俺は頷いた。
「ユイは?」
「全体を見る」
それだけ言って、五人は動いた。
ソウイチと並んで路地の入り口に立った時、ケノが気づいた。
十五体ほど。ゆっくりとこちらに向かってくる。あの虚ろな目が、暗がりの中でも見えた。
ソウイチが前に出た。
両腕を広げた瞬間、光が生まれた。淡くて、でも確かな光だ。それが壁のように広がって、俺とソウイチの前に立ちふさがった。ケノが触れた瞬間、弾かれる。何度触れても、その壁は揺るがなかった。
「これが——」
「マインドだ」とソウイチは静かに言った。「お前は後ろから叩け」
俺は鉄パイプを握って、壁の隙間から飛び出した。ソウイチの結界で動きが鈍ったケノに向けて振り下ろす。一体、また一体。倒れては立ち上がるけど、ソウイチの壁がある限り数で押されることはなかった。
それでも十五体は多かった。じわじわと消耗していくのがわかる。
その時、悲鳴に近い声が聞こえた。
「ソウイチ、左!」
ユイの声だった。
振り返った瞬間、ソウイチの結界の端を三体が突き破っていた。ソウイチが結界を張り直す。でも一瞬の隙が生まれた。
その隙を、ケノが突いた。
俺の視界が塞がれた。体に重さがかかる。押し倒される、と思った瞬間——
風が切れた。
ケノが消えた。
俺の目の前に、レンがいた。
いつの間にそこにいたのかわからなかった。右の路地を片付けてきたはずなのに、いつの間にか俺の隣に立っている。鞘に刀を収めるところだった。
「……いつから」
「今来た」
それだけ言って、レンは踵を返した。
広場の方から光が見えた。
オレンジ色の、激しい光だ。
俺とソウイチが残りのケノを片付けてから広場に向かうと、ユズキがいた。周りに灰が散らばっている。ケノの残骸だった。ユズキは肩で息をしながら、でも顔は笑っていた。
「終わった!」
「一人でやったのか」
「まあね。てかハヤト見てよこれ」
ユズキは自分の手のひらを俺に向けた。小さな炎が揺れている。
「これが私のマインド。かっこよくない?」
「……かっこいいな」
「でしょ!怒ってる時が一番強くなるんだけど、今日はそこそこだったかな」
けろっとした顔で言う。六十体近くのケノを一人で片付けておいて、そこそこ、とはどういう感覚なんだろうと思った。
ユイが俺の隣に来た。無言で俺の右腕に触れる。さっき押し倒されそうになった時に擦ったのか、うっすらと傷になっていた。
ユイの手から、淡い光が広がった。
痛みが、消えた。
「これがユイのマインドか」
「そう」
短い答えだった。でもその手の温かさは、言葉より多くのものを伝えてくる気がした。
帰り道、俺はレンの隣を歩いた。
少し前をユズキとソウイチが歩いていて、ユイはその後ろにいる。レンは一番後ろで、俺はその隣に自然と並んでいた。
「さっきはありがとう」
俺が言うと、レンは前を向いたまま答えた。
「別に」
「あの距離からどうやって気づいたんだ。俺のとこに」
「あれぐらいの距離ならなんてことはない」
それ以上は言わなかった。俺も追わなかった。
しばらく無言で歩いてから、レンが口を開いた。
「マインドを使わなかったな」
「使い方がまだわからない。あの時みたいに追い詰められた時じゃないと出ない」
「そうか」
「レンはなんで刀なんだ。マインドを使った方が楽じゃないのか」
レンは少し間を置いた。
「必要な時に使う。それだけだ」
その答えが、なぜか今の俺には刺さった。
必要な時に使う。
俺のマインドが出たのは、追い詰められた時だった。あれは必要だったのか、それとも——
「ハヤト」
レンが俺を見た。珍しく、真っすぐに。
「お前がここにいる理由、いつか話せ」
命令でも、詰問でもなかった。ただ静かに、そう言った。
俺は何も答えられなかった。
レンはそれ以上何も言わずに前を向いた。灰色の街に、五人分の足音だけが響いていた。




