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きずな君の記憶⑤【感無量】

 俺達は、プロポーズから数か月後――俺達が付き合い始めた日――に入籍することに決めた。本当は今すぐにでも籍を入れてしまいたかったけれど、両親や逢璃の友人たちへの報告も必要だ。こういうことに関して、昔に比べたら随分と寛容になったけれど、一応の準備期間を設けた形だ。



「実質、もう夫婦みたいなものだけどね」



 そう言って逢璃は嬉しそうに笑う。



「だって、もう二年前から同棲してるし、そもそもわたしは高校入学してからきずな君のことしか見えてないし。将来を共にするのはきずな君しかいないって、ずっと思ってたもん」



 二人で手を繋いで歩きながら、俺達は桜並木を眺めていた。ただ買い物に出掛けるだけでも、逢璃と一緒ならば特別な時間になる。「そうだね」って答えながら、俺も笑った。


 式は入籍の後。今から約一年後に海外で挙げることにした。



「良いの? そんな贅沢して。っていうか、きずな君、そんなにお休み取れるの?」



 不安気に尋ねる逢璃に、俺はコクリと頷く。



「大丈夫だよ。お金の心配はしなくて良いし、休みも――――死ぬ気で調整する。逢璃が一番幸せだと思える方法で結婚したい」



 言えば逢璃は「もう十分幸せなんだけど」と、はにかむ様に笑う。



「でも……嬉しい。ありがとう、きずな君」



 嬉しそうな逢璃は堪らなく可愛くて。額や頬に口付けながら、俺は幸せを噛みしめた。



 けれど、そんな幸せも束の間、俺はまた激務の波に呑み込まれた。本来の繁忙期は過ぎたはずだというのに、予期していない仕事の波だった。折角の衣装合わせの日に、どうしても外せない仕事の入った日には、俺は己と職場を深く深く呪った。



「仕方ないよ。お仕事だもの」



 逢璃はそんな聞き分けの良いことを言って笑うけれど、俺にはそうは思えない。俺がどれほど逢璃のウエディングドレス姿を渇望していたか、きっと逢璃は知らないのだろう。

 今頃、逢璃は彼女の母親とウエディングドレスを試着しているのだろうか。そう思うと胸が痞えるような心地がする。書類の山に埋もれながら、俺は深々とため息を吐いた。


 折角の機会だし、ドレスはレンタルじゃなくて、オーダーメイドで購入することに決めた。そうすれば、式の後でも逢璃のドレス姿をいつでも見られる。

 けれど、そんな俺の想いとは裏腹に、逢璃は試着したドレスの写真を、俺に一切見せてくれなかった。



「だって、楽しみが減っちゃうでしょう?」



 逢璃はそう言ってクスクスと楽しそうに笑う。



「いや、減らないよ」



 答えつつ、俺は唇を尖らせる。本当だったら俺は、逢璃のどんな瞬間だって見逃したくはない。写真を見たぐらいで、楽しみが減るわけがなかった。



「でもでも、きずな君が今日来れなかったのはきっと、神様の思し召しだと思うんだよね。折角だし、当日めちゃくちゃ喜ばせたいから、今は見ちゃダメ!」



 けれど逢璃は頑なだった。スマホを俺から隠しつつ、悪戯っぽく笑う。そんな行動や仕草すらも全て可愛いのだから、もうどうしようもない。俺は逢璃を抱き締めながら、逢璃と一緒になって笑った。



***



「いよいよだね、きずな君」



 逢璃が緊張の面持ちでそう口にする。手には少しばかり張りのある紙が一枚握られている。俺達の婚姻届だ。


 たかが紙切れ。されど紙切れ。


 この、たった1枚の紙切れで、俺達は今日夫婦になる。

 逢璃には言わないけど、俺も内心ドキドキしていた。

 これまでだって二人で一緒に住んでいたし、別に何かが変わるわけじゃない。それでも、逢璃が俺の妻になる――――そのことが嬉しくて堪らなかった。



「おめでとうございます」



 窓口で婚姻届けが受理され、俺達は顔を見合わせて笑う。胸がじーーんと温かくなった。



「これで、きずな君がわたしの『旦那様』になったんだねっ」



 逢璃はそう言って涙を流した。

 二人固く手を繋いで、役所の周りを何ともなしに歩く。本当に夫婦になったんだな――そう実感する。



「旦那様」


「……うん」


「旦那様っ」



 逢璃が嬉しそうに、何度も何度もそう口にする。嬉しかった。幸せだった。この世の全ての幸せを凝縮したみたいな、温かくて何にも代えがたい瞬間だった。



「ねぇ、きずな君」



 逢璃が俺を見上げて笑う。



「もしも生まれ変わったら、また一緒になろうね」



 その時、風が音を立てて流れた。俺は思わず目を見開き、逢璃に向かって手を伸ばす。ほんの一瞬、逢璃の輪郭が揺らいだような、そんな気がした。抱き寄せて温もりを確認してから、俺はほっと息を吐く。



(逢璃はいる。ここに――――俺の側に居る)



 生まれ変わっても一緒になりたい――――そんな風に言われるのは、何も今日が初めてじゃない。その度に俺は『そんなの当たり前だ』と、そう思ってきた。


 俺が逢璃を探さないわけがない。求めないわけがない。俺は逢璃がいないと息もできないのに。逢璃にはそれが分かっていないらしい。



「生まれ変わっても、またきずな君のお嫁さんになりたいな」



 逢璃がそう言って笑うから、俺も目を細めて笑った。



(絶対一緒になるよ。何度でも。何があっても)



 俺が逢璃を幸せにするから。必ず、幸せにするから。そんなありったけの想いを込めて、俺は逢璃を抱き締める。



「きずな君、わたしの旦那様になってくれてありがとう」



 そう言って逢璃は満面の笑みを浮かべた。俺は胸が一杯で言葉が上手く出なかった。嬉しくて幸せで堪らないのに、それを上手く逢璃に伝えることができない。



(一生掛けて、必ず伝えていくから)



 愛情も、感謝も、この幸福感も。全部全部、大切に伝える。逢璃の笑顔を絶対に守り抜くと、俺は自分自身に誓う。


 そんな俺の想いがその日、呆気なく打ち砕かれることになるとも知らずに。

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