きずな君の記憶④【また先を越された】
大学生活も三年目に突入した頃、逢璃はアパートを引き払って、俺と同棲を始めた。
「――――実はね、成人して違約金が掛からない時期になったら良いよって、お母さんと約束してたんだ」
俺達二人しかいない部屋で、まるで内緒話をするみたいに逢璃が言う。手には大きなカバン一つ。洋服や小物類は宅配便で送ったらしい。
(言ってくれれば手伝ったのに)
そんな風に思いつつ、俺は逢璃を抱き締める。
本当は随分前から、逢璃と片時だって離れたくなかった。「おじゃまします」と言われるのも、「また来るね」と言われるのも嫌だった。ここが――――俺が、逢璃の帰る場所になれば良いのに。そう、ずっと思っていた。
「今日からは寝る時も、起きる時も一緒……だよね?」
そう言って逢璃は嬉しそうに笑う。
「うん」
嬉しくないわけがない。
この時にはもう、死ぬまで逢璃を手離す気なんて無かった。
時が経って、俺達は社会人になった。
逢璃は大手企業の広報担当部署に、俺はとある省庁の総合職として、それぞれ配属された。
「きずな君、忙しそうだね」
運悪く、俺が配属された部署は忙しかった。毎日終電が無くなるまで仕事をし、家には寝に帰る様な生活。当然、逢璃とゆっくり会話ができる時間すらない。
それでも逢璃は、毎晩俺のために食事を作ってくれた。先に眠って貰う日も多かったが、直筆の手紙が添えられた彼女の食事は、俺の大きな活力源だった。
「――――転職しようかな」
朝。スーツに着替えつつ、ぼそりとそう呟く俺に、逢璃はクスクスと笑い声をあげる。
「わたしに会えないから――――――そんな風に思ってる?」
「うん。それ以外に理由なんてない」
俺にとっては逢璃が全てだ。適性があるからと選んだ仕事だが、逢璃に会えないんじゃ意味がない。
「――――わたしも、きずな君に会えなくて寂しい」
それは思わぬ返答だった。『わたしは平気だから』と、そう言われるとばかり思っていた。けれど逢璃は俺のネクタイを結びつつ「でもね」と、そう言葉を続ける。
「寂しいけど、わたしも頑張る。だから、きずな君ももう少しだけ頑張って」
そう言って逢璃は、俺の頬に触れるだけのキスをした。
「……うん」
普通に『頑張れ』と言われるより、ずっと元気が湧いてくる。俺は逢璃を抱き締めながら、底知れぬ幸福感に包まれていた。
俺が仕事を辞められない理由はもう一つある。
(あと2か月ぐらい……か?)
通帳の残高を眺めながら、俺は首を傾げる。
大学を卒業して就職をしたら、給料の3ヶ月分の指輪を逢璃に贈る――――そう、ずっと前から決めていた。彼女へのプロポーズのためだ。
逢璃を俺が幸せにする。そのために、経済的な不安は絶対にさせない。
指輪を購入するに当たって必要な貯蓄は十分にあるけれど、それじゃダメだ。汗水たらして働いて得たお金で、逢璃のために指輪を買う。それが俺の仕事に対する唯一のモチベーションだった。
幸いなことに、給料に加えて残業代が湯水の如く入る上、碌にお金を使う暇もない。貯金の残高は見る見るうちに増えていった。
そうして数ヵ月が経つ内に、激務も少しずつ落ち着いていき、俺はようやくまともな時間に帰宅できるようになった。
「良かったね。きずな君のお仕事が落ち着いて」
「うん。ありがとう」
逢璃と二人、自宅でお酒を飲みながらそんな会話をする。
この日、カバンの中には逢璃のために購入した指輪が入っていた。珍しく定時で庁舎を出て、受け取って来たばかりの指輪だ。指輪には俺たちのイニシャルが刻まれてある。
(どうやって逢璃に贈ろう)
最近どこにも出掛けられていないし、遠出をするのが良いだろうか。久々に地元に帰って、初めてのデートで行った遊園地で贈るのも悪くない。海や夜景の綺麗なレストラン、他にもたくさん、逢璃が喜んでくれそうな場所がある。
(どんな言葉を贈ろう)
逢璃には、俺と生きる未来を心から望んでほしい。だから、逢璃には俺がどれほど彼女を愛しているか、余すことなく伝えたい。
「――――ねぇ、きずな君」
「うん?」
隣に逢璃がいる――――そのあまりの心地よさに微睡んでいた俺は、彼女に名前を呼ばれ、ゆっくりと身を起こす。
「あのね……わたし、きずな君とずっとずーーっと、一生一緒に居たい」
それは思わぬ言葉だった。一気に意識が覚醒した俺は、目を見開いて、しみじみと彼女を見つめる。逢璃は頬を赤らめ、俺のことを真っ直ぐに見上げていた。瞳が熱っぽく揺れている。
「おじいちゃん、おばあちゃんになるまで、ずっと二人で生きて行きたい」
逢璃がそう言って微笑む。俺は胸がいっぱいになった。
「だから、わたしと結婚してください! わたしを、きずな君のお嫁さんにしてくださいっ!」
逢璃はそう言って勢いよく頭を下げた。目頭が熱くなり、瞳に涙が滲む。愛しさのままに、俺は逢璃を抱き締める。
(夢じゃないだろうか)
逢璃が俺との未来を望んでくれた。夫婦になりたいと望んでくれた。そのことが嬉しくて堪らない。
「また――――逢璃に先を越された」
呟きながら、俺は苦笑を漏らす。
(俺が先に言おうと思っていたのになぁ)
告白に加え、また逢璃に先を越されてしまった。そのことが悔しくて、けれど嬉しくい。
「だって、どうしてもきずな君と結婚したかったんだもん。好きで好きで大好きで、『絶対今言わなきゃ後悔する』って、そう思ったの。まぁ、指輪とか、色々準備が間に合わなかったんだけど」
バツの悪そうな表情で笑う逢璃に、俺は自分のカバンを手繰り寄せる。中から今日、受け取ったばかりの指輪を取り出すと、ゆっくりと逢璃の薬指に嵌めた。
「きずな君、これ……!」
逢璃が信じられないといった表情で目を見開く。瞳が涙に濡れて、キラキラと輝いている。俺が指輪を用意しているのは想定外だったらしい。準備が間に合って本当に良かったと心から思った。
「愛してるよ、逢璃」
そう口にして、俺は逢璃を抱き締める。
どこか特別な場所に連れてきてあげられたわけじゃないし、彼女に贈るべき言葉も全然準備が整っていない。けれど、逢璃は信じられない程、幸せそうな表情をしていた。それだけで十分だった。十分すぎるほどに幸せで、俺は想いのままに言葉を紡ぐ。
「だから俺からもお願い。俺を逢璃の夫にして? 絶対、一生幸せにするから。どうか、俺の側に居てほしい」
「…………はいっ、喜んで!」
そう言って笑う逢璃は、格別に美しく、また愛しかった。
何度も何度も、愛していると互いに伝えあって、俺達はこの日、結婚の約束を交わした。




