第三章 第一幕 ~薔薇迷路~
第三章 ~次元跳躍の猫~
第一幕 ~薔薇迷路~
「わあ!」
馬車を降りた三人は、異口同音に感嘆の叫びを上げました。
丘のすべてが領界ゆえにあえてまでも必要はないのか、形式のみの柵と門と、その横のこちらも慇懃を尽した門番の横をくぐり抜けると、辺りは一変して見渡す限りをある区画は鮮烈で瑞々しい黄緑が埋め尽くし、別の一画は落ち着いた紫の花の色で塗りつぶし、さらに別の場所はピンクめいた点描が所狭しと妍を競い合っているのでした。
「わ、わ、わぁ~~!」
言葉を無くして、ただ三人はこの光景に圧倒されていました。
ぽつん、ぽつんと、いかにも造園的な大樹も遠くに近くに憩いの陰をつくり上げています。それらはとてもひとつ時に目に入れることなど叶わぬままに、どこまでも天に地に、果てしないまでに羽をひろげているのでした。
「うわあ~~」
手を取り合って三人が覗き込むと、それぞれに真っ直ぐ上を目指す細い茎に列を成して、びっしりと秋の天日を受けて輝く鮮やかな釣り鐘型の花と花とが鈴生りに整列しているのが目を奪いました。
「ヒースって寂しい花だと思っていましたの。ですが、考えを改めさせられました。こんなにも可憐な花でしたとは」
「何だか雑にてきとうに生えてる木のつもりだったけど、さすがだな。何がさすがだか、よくわからないけどさ」
「ほんとに……。あ、ピンクと紫だけかと思ったら、あっちに白とか黄色のもあります」
「わ、わ! ぜひ、見るべきですの~~」
「それは、見なきゃだな」
三人はあっちにうろうろこっちにうろうろと、あらずもがなの人の領域としての小径を花に惹かれるままに飛び交う蝶となってさまよっていましたが、いつの間にか門前より影のように傍に控えていた案内人の姿は消え、一段隆起した先に壁然として立ち塞がっていた切り揃えられた庭木を抜けると、今度は一転して、そこに薔薇の庭園が待っていたのでした。
さらにそれに埋もれるかのように、今まで見えていなかったのが不思議なまでに威容をもってそびえ立つ洋館が目に迫って来るのでした。
ですがそれよりもまず、三人は薔薇にうっとりしていましたが……
「凄いな。これがこのお屋敷が誇る〈薔薇の迷路〉ってやつか。たしかに迷いそうだ」
「あまりの香気に酔いそうですの。お話しに聞く桃花源とはこのようなところでしょうか?」
「ほんと……めまいがしそう……」
三人はゆく手を遮るように、あるいはどこかに導くかのように開けては閉じ、塞がっては突き抜ける薔薇の迷路を浮足立って歩いてゆくのでした。
「あ、あれ……待てよ? あたしたちって、ご招待を受けたよな……」
ぼんやりして、とろけた目でA子は薔薇の中に立ち止まります。
「だとしたら、勝手に庭を見て廻るのは無作法かな?」
「いいえ……」
ダイアナも視線を移ろわせて首を振ります。
「招待されたお客はその家の主人を待つ間、そこに絵画が飾ってあればそれを観賞しながら待つのが作法ですのよ。応接室に調度品が飾られてあるのはそれが目的ですの。それと同じく庭に案内されたら……お庭を愛でてこそ……」
半分は自分に聞かせるかのように、浮ついたダイアナの声が響きます。
「ああ、でもあまり奥までは……。ここって〈薔薇の迷路〉ですし……」
彼方も自分を抑えようとあらがいますが、蠱惑的を通り越して妖しくも耽美な病いに魅入られたかのように、三人は操り人形めいた足取りで花園に呑み込まれてゆくのでした。
無限とすら思える薔薇の列に、彼方はぼんやりと埋め尽くされて立っていました。
どこを見ても薔薇でしたが、その中でもひときわ妖艶に咲き誇る大輪の真っ赤な薔薇に無意識に手を添えようとした時でした。
「あっ……」
その指先に薔薇の棘があたり、思わず声を上げて慌てて指先を口にあてがい、何気なく後ろを見ました。
すると、いつの間にかやけに遠く離れたところに、ふたりは止まっていました。
通り過ぎた通路の後方に、薔薇のつたをあしらった、風雪にさらされて却って別の雅趣を具えた気品ある長椅子がありました。
ふたりはそれに坐り、互いに肩を支え合ってしばしの休息を、まどろみの国のうたた寝に興じているのでした。
「ああ……」
彼方は口元を手で覆い、自分の声を抑えました。
風にねっとりとした薔薇の香気が乗り、赤い薔薇の色が空気も塗り替えるほど渦巻き、景色を霞ませていることに今さらながら彼方は呆然としたものでした。
甘ったるい、醸し出された薔薇のエキスがそのまま彼方をどこかにいざなおうとしているのです。
そしてそれは、不意に意識の先に、目の前に現れたのでした。




