第二章 第一幕 ~初登校~ その1
第二章 ~ハロウィンの招待状~
第一幕 ~初登校~
朝――
新居の二階。
片付いた彼方の部屋。
全身が映る姿見の前に、制服姿の彼方。
身体を捻って、右側、左側を念入りにチェック。
「どう……かな……」
何度見てもどこか自信なさげに首を傾ける。
紺系統の落ち着いた色合いのブレザー。
襟の大きなシャツに上品なリボン。
左の上腕部に大き目な楯型の校章が縫い取られてあるのが僅かに他とは異なる特徴となっている。
長さが気になるチェック柄のスカートは、ほんのりと暖色系。
ソックスはもちろん、今日の初登校用の下ろし立て。
何度も見返すのは、腰の辺りまで長く伸ばしたツインテールとその結び目の白いフリルたっぷりのリボン。
「変かな? 目立ってたら困るな……」
「彼方~~早くしなさい~~学校に間に合わなくなるわよ~~」
「は~~い! 今、行きま~~す」
階下で母親の呼ぶ声がする。彼方も半開きのドア越しに返事を返す。
しばらくして……母親の運転する軽自動車の中。
「ほら、あなたと同じ学校の子が登校してる」
「そうみたい……」
うわのそらの助手席の彼方。
「緊張しているの?」
「だって、こんな中途半端な時期の転入って……どうなのかな?」
「別に? ここって開発中の学園都市だし、人の流入が激しいので転入なんてしょっちゅうらしいけど? ほら、しゃんとしなさい!」
「わかってる……」
少し緊張気味の彼方と、それをやわらげようとする母親を乗せた自動車は、市街地を抜けて一路、森に包まれた『霧が森学園』に向って走ってゆく……
「では、よろしくお願いします」
校長室を退いて頭を深く下げる母親の横の彼方も、ぎこちなく直角にお辞儀していました。
「先生、今後も彼方のことをよろしくお願いします」
隣りにいた気配のうすい初老の担任の先生にもお辞儀をする。
「ええ。では、教室に……」
「は、はい!」
抑揚のない先生の声。
彼方は緊張のし過ぎで、微妙に声が裏返る。
その袖を引きながら、シャツの襟とリボンを流れる動作で直して母親が彼方の耳にいたずらっぽく囁きます。
「しっかりね。無理そうだったら、挨拶だけいっしょに付き合ってあげようか?」
「い、いらない! 自分でできる!」
「あら、そう? だったら応援してるから」
「ありがとう……」
少し離れて見守っていた印象のうすい先生は目線で彼方を促し、母親はきちんと会釈して玄関に向かう階段を下りてゆき、彼方は瞬間的に心細くなりながらも、つつつっと小走りになって先生の後ろまで足を速めてゆく……
「呼んだら来てください」
「は、はい……」
一年二組の教室の前の廊下に、ひとり残される彼方。
中ではよくある「起立」「礼」の掛け声が。
しばらくざわざわしたのち「今日は転入生を紹介します」の声と「どうぞ」の合図が聞こえました。
うわあ……
一瞬、全身の血が沸き立つかのように彼方は身震いして、顔を紅潮させつつ無意識に両手を動かしてツインテールを後ろになびかせる。
その、右の掌が耳の横を通り過ぎた時、ふわりと今まで無かったはずの真紅のイヤリング――〈ブラッドストーン〉が妖しくまたたいたが、舞い上がった髪がおだやかに収まると、その時には再び影も形も無くしていました。
ドアを開けようとした時、磨りガラスの小窓に朝の光が乱反射して、まるで教会のステンドグラスに変ったかのように廊下を眩しく染め上げた錯覚を覚えつつ、彼方は教室に一歩を踏み入れたのでした。
黒板の前。
既に先生の手によって、「巫彼方」と白いチョークで書いてある。
全員――ここは女子専用の学園なので女子のみ三十名ほどが、壇上の彼方を注視していました。
「は、初めまして。読みづらいかもしれませんが、〝かんなぎかなた〟です。この街には父の都合で引っ越してきました。わからないことだらけですが、どうぞよろしくお願いします……」
雰囲気半分温かさ半分の拍手が起こってほっとした彼方は、何度も頭を下げていました。
「ええと、巫さんの席は……」
存在感の無い先生は、教室の端の窓際の後ろを見る。
「はい」
彼方も促されるままに頷きました。
身体を細くして一番窓際の通路を歩いてゆくと、その空いている席の隣りのふんわりとした背中までの長い黒髪のおっとりした感じの子が、抑えながらもよく通る声で「ここ、ここ」と教えながら、両手で「どうぞ、どうぞ」を繰り返していました。
そのさらに隣の茶髪の上着を着ずにカーディガンのみの、よく見ると上腕部がちらりと見える半分ノースリーブ気味の改造シャツを着た子も「よろしく~~」と、机にだらしなく突っ伏す姿勢ながらも手を振っていました。
彼方は途惑いつつも、その両方に感謝の会釈を返し、音を殺して椅子を引き、身体を机に埋めて、ようやく注目されなくなってほっとして、先程のふたりに改めてお辞儀をしつつ窓に背を向けて、それを戻そうと身体を捻ろうとした、その時でした――
雪の日の朝、湖を覆い尽くした表面の氷が朝日の一撃を受けて一点が砕け、それが一直線に湖を両断する鮮烈な破壊の斬撃となって風に乗って吹き抜けてゆく――その「キーーン」とした破裂音のように……
教室の外、すなわち廊下の気配が変わったのでした。
「失礼いたします。どうぞ我らに学び舎をおとなう勅許を頂けるよう、願い奉ります」
廊下の外で女性の声がしました。
透き通った美しい声でしたがどこまでも控えめに、されど口上に慣れた端々まで礼節のゆきとどいた声でした。
その口調はどこか古めかしいものでしたが、先生は古文が専門でしたので入来の承認を求められていることを読み取り、そうでありながらも「どうぞ?」と、幾分怪訝に応対しました。
扉が開くと、まず現れたのは古式ゆかしいまでに古風な、ファッションとしてではないしっとりとした黒服の上に長い白エプロンを纏い、頭に白いメイドキャップを被った若いメイドでした。
メイドが何ものも気にせず一心に身を屈め、携えていた赤い筒状に丸めた絨毯を廊下から教壇までくるくると転がしてゆくと、いつしかそこに高貴な赤い通路が完成していたのでした。
その上を、一切たじろぎも見劣りもせず颯爽と、こちらも大時代がかった、しかし時代を超越した美しさを秘めた眩しいほどに鮮やかな、赤くも赤いドレスを纏った絢爛たる花として咲き誇る長い金髪の少女が、ふわりと歩いてゆくのです。
まるで豊穣の女神の象徴的な溢れる艶麗な髪の如き豪華極まりない煌びやかな金髪は、赤いドレスを真新しい朝の光に反射させて、かがり火のように、身をよじる妖艶な炎のように、自身も紅くも朱く燃え上がらせていたのです。
少女はあたかも太陽のマントを背負っているかのように、りりしくそこに翻っていました。
その瞬間、時はその動きを止めました。
誰もがひと目見て、その華麗にも凄艶なまでの美しさに魂を奪われ、思考を停止していたのです。
ですがその少女の目は、揺るぎもせず一直線に彼方を射抜いていました。
そしてぱっと、見た目そのままの幼さに見合う可憐さで喜びを露わとしました。
「おお、彼方よ! 再びの邂逅に歓喜雀躍せむところなのじゃ。わらわは一日千秋の想いにて、今日を待ちわびたのじゃぞ!」
「お嬢様。昨日の今日ですので、一日が長すぎますが……」
メイドが慇懃に突っ込みを入れますが、動じません。
呼ばれて、反射的に立ち上がってしまう彼方。
さりとて、何が起こっているのかさっぱりわからず途惑うのみでした。
少女の視線は、ついっと、背景と同化しつつある先生に向かいます。
僅かに首を斜めに傾けて、少女曰く――
「国の明日を担う学徒を教導せむ学究の師に求むるに、わらわにしばしの久闊を叙するひと時を認められよ、なのじゃな」
「ですから、お嬢様。久闊も何も、ほぼ初対面です」
少女とメイドのいずれもが、全員硬直している状態になど一切動じず、我が道を貫き通していました。
その少女が目を向けると先生の目の光がふっと消え、「あ……ええ……どうぞ……」とぎこちなく頷き、半歩下がってさらに背景と一体化してゆきました。
さらに少女が、教室中のクラスメイトを視線をもってひと撫でした途端、一斉に誰も彼もが目の焦点を無くし、ぼんやりとなっていました。ひとり、彼方のみが目に光を宿していましたが。
それを見届けて、少女は改めて浮かれ叫びます。
「おお、彼方よ! こちらに参るのじゃ!」
「え? あ、はい……」
疑問はありましたがなぜか抗いきれず、促されるままに彼方は立ち上がり、教壇までゆっくりと歩いてゆきました。
「おお、彼方よ! 逢えて嬉しいのじゃ!」
はち切れんほどの感情の発露に衝き動かされて、小柄な彼方よりもさらにひと廻り小柄な、どう見ても中学生くらいの少女が何の遠慮もてらいもなく、あたかもそれが自然であるかのように彼方の胸に飛び込んでくるのでした。
「お嬢様。はしたのう存じますよ?」
慇懃に、その耳にメイドが囁きます。
「うむ。そうなのじゃ」
啞然として棒立ちの彼方をよそに、少女は舞台劇の貴婦人風にスカートの両脇をちょこんとつまんで、片足を引いて薔薇の花が舞い散るかのような美妙を極めた辞儀をするのです。
「わらわは〈ブルーブラッド家〉の現館主。『トワ・ブルーアイズ・ブルーブラッド』なのじゃ。どうぞ、『トワ』と呼んでたもれなのじゃ」
「え、えっと……巫彼方です。は、初めまして……トワさん。よ、よろしく……」
彼方は面喰いながらも、ぎこちなく対応します。
一方のトワは、何のてらいもなく続けます。
「この巡り合わせは二度目なのじゃが、まあよいのじゃ。あと、トワでよいのじゃ! よしなに頼むのじゃ」
「あ、はい……ト、トワ……」
この上なくもぎくしゃくと、されど操られるように彼方はトワを呼んでいました。
対するトワは喜悦法楽に酔いしれて、爆発しそうなほどの情動ににっこりしていました。
「うむうむ! めでたいのじゃ。慶賀ここに極まれりなのじゃ」
トワが彼方をふわふわ撫ぜながらぴょこぴょこ跳びはねるので、いくらか彼方が身を屈めますと、その右の耳をトワが触るたび、例の〈ブラッドストーン〉が見え隠れしては、固体がまるで流体のように息衝き、うねり、その渦の中心には光すら生まれていました。
「お嬢様。今日のご用向きは……」
状況にも情趣にも流されず、メイドは淡々と事を進めます。
「そうじゃったのじゃ!」
今、思い出したかのようにトワはようやく彼方に抱き付いていた手を離します。
「ではクレアよ。彼方に招待状を贈るのじゃ」
「かしこまりました」
これもどこにあったのか、気が付くとクレアと呼ばれたメイドの手には荘重な様式美の紋様が施された封蠟の押された正式の〝招待状〟があり、さらにその上には一輪の小さな真紅の薔薇を添えて、彼方に手渡されてあったのです。
「どうぞ、彼方様。我らが〈ブルーブラッド家〉の招待をお受けくださいますように請い願います。我ら心より彼方様のご来駕をお待ちしています」
「時はその至高たる『サウィンの祭り』なのじゃ! 是非にも、我れらが『饗宴』に彼方を招きたいのじゃな」
「よろしければ、ご同窓の方々もごいっしょに。ええ、お心尽くしは結構ですので、どうぞ身ひとつにていらしてください」
「遠慮するなかれ、なのじゃ」
ふっと、王城のテラスにて市民の讃仰をその身に受ける王族の如くにトワが教室を見渡しますと、その視線に打たれたひとりふたり――先程のおっとりした子と茶髪の子の目に、ほんのりと僅かに光が戻りました。
そのまま、返事に迷っている彼方を残して、トワはつむじ風のように現れ、去っていったのでした。




