第一章 第三幕 ~セイクリッドイクリプス~ その2
廃墟にも過去の名残り、沈みゆく夕映えのような、ひっそりとした佇まいとしての空漠があった。
かつてはそこに人が集まり、憩い、語らいあったであろう大きな十字路の中央の乾いた噴水ひろばの跡地にて、彼らは儀式を執り行っていた。
無数の縄が、空間を斜めに横切っていた。
そのいずれにも、呪符が吊り下げられてある。
護摩の儀式めいた祭壇が中央にしつらえてあり、時折りごうっと中に無数の黒い点がまたたく赤い火を噴き上げていた。
その前に、若い男が立っていた。
総髪――すべての髪を長く後ろに固めて、その怜悧にして威儀深い眼差しは、全方位を意識の中に収めていた。
眉目秀麗のその者は、白い式服を纏い、首に小さな銅鏡を吊るし、左の手首には数珠つなぎの勾玉を、そして右手には抜き身の銅剣を携えていた。
「剣の部――前に……」
裂帛の気迫を内に秘めた、されどそれを抑え込む号令が掛かる。
音も無く、その男――御刀代威人の命ずるままに、部の民たる麾下の霊士たちが歩を進める。
白い頭巾、白い覆面、白い式服。
その手にはいずれも、御刀代のものよりひと回り大きな銅剣が煌めいていた。
一列……
二列……
三列……
まるで逃げ水のように、見えるようで見えない隊列が、そこに整列していった。
「鏡の部――前に……」
声は続く。
同様に、大きな銅鏡を抱えた白い列が一列二列三列と組み上がるが、さりとて実体としての気配はあまりにも乏しく、水に浮かぶ影のようにあやふやだった。
「珠の部――前に……」
ひとつずつ、勾玉を両手で包み込むように前方に差し出す一団が浮かび上がる。こちらも一列二列三列と一糸乱れることなく現れ立った。
そのすべての顕現の境界は、端然として立つ御刀代の一点にあった。
「かけまくも、かしこみては――」
三位一体の部の民の前にありて、御刀代は長く朗誦するように、高らかに宣していた。
「この身は長老より全権を預かるものである。我が意に、そのちからと技を捧げよ」
下命は鋭く、短かった。
そのいらえは、さらに旗幟鮮明として目にも露わにそこにあった。
各々より立ち昇る霊気は、黄昏の街の影をぬぐい去るかのように、ほんのりと輝くまでとなっていた。
「さてと……客人らが、どうされているかだな……」
ふっと、御刀代はいくらか砕けた口調となって配下の霊士たちに下問する。
それを受けて、ざざっと『鏡の部』が動き、三列が正三角形を成し、鏡を掲げる。
その中央に『ヴォーダンの獣』と呼ばれたものの姿が浮かび上がった。
獣は、何をするでも無しに陰に溶け込むかのようにそぞろに歩いていた。
僅かに『剣の部』が剣先を翻して意向を表すが、御刀代は目顔で抑えた。
「奴は、他よりは話が通じる。防衛隊とやり合って気が済んだことだろう。眠れる獅子を起こすまでのことはない」
続けて、鏡は別の映像を浮かび上がらせる。
どこかの、これも打ち棄てられた教会の尖塔のその切っ先に、黒い何かが止まっていた。蹲踞するかのように、滅びを見おろすロダンの像の如くに、されど口には嘲りの色を浮かべて羽ある何者かは彫像と化してとどまっていた。
「『チャーチグリム』だな。厄介だが気ままな奴だ。こちらも寝た子を起こすなかれだよ」
みたび、鏡は光り、その中心に妖しのものが結像される。
その像は、今度はひどく揺れていた。『鏡の部』も苦心してそれを留めようとしているかに見えたが、すぐにもぼやけ消え入りそうに窺えた。
さりとてはっきりと浮かぶ一瞬があっても、それすら朧の、人の真似事めいた影が映るのみではあったが。
「『サトゥルナリア』だな。これは貴君らの手に余る。手出し無用。命を懸けるのもよいが、されど命は惜しまれよ」
その上にも鏡は光り、その中の影はひとつにもふたつにも揺れ惑う。
ふたつの影はお互いを慕い合うかのように、先にゆき後にゆき、重なりてはひとつに、離れてはふたつに見えていた。
御刀代は、ちらりとその結像に目を遣り、首を振る。
「『ドロテア』か。あれは無害なので、気にするまでもない」
だが、『鏡の部』が割って入るかのように、何かしらを具申するかのような気配を見せる。彼らのたずさえた鏡は、そのふたつの姿に怯えるかのように細かい振動を続けていた。
されど御刀代は、さらに重ねて首を振る。
「目に映るものすべてを我が手に収めることが叶うと思うなかれ、だな。水に浮かぶ月の影を掬い取らんとしてその水に吞まれて我が身を虚しくするが如き短慮によって、あたら貴君らが積年の功徳と知徳とを失うのは忍びない。見せかけに惑わされぬことだ。魔性とは――化けるものなのだよ……」
御刀代はおだやかなまでにも、かすかに心ざわつかせてうろたえの片鱗を浮かべる部の民を抑え込み続けていた。
そこに、御刀代の脇に控えるかのように『珠の部』がついっと半歩、歩を進めた。
「ああ、わかっている」
今までにない苦渋の面を浮かべて御刀代は、その端正な顔立ちをして首を捻らせた。
「三箇……異分子が結界を越えて混入しているのは、わきまえているさ。ひとつは、これはまあ貴君らの眼差しあらたかな目に入れるまでもない。もうひとつは……これは、ちと厄介だな。時が時である。時空の狭間を跳梁するものが紛れ込んだのだ。あとのひとつは……これは、ひと言をもって不可解と論ずるほかないな。お手上げだ……」
そこにあるすべての意識が、御刀代とその苦悩に集結している僅かな間隙だった。
「何を覗き見してやがるんだ?」
『鏡の部』が持つ鏡の一枚が千々(ちぢ)に砕けて、そこに腕を突き出した姿勢のまま、『チャーチグリム』が顕現していた。
乱れた隊列は瞬時に再構成され、『珠の部』が収束結界をもって『チャーチグリム』を抑え込まんとし、それに乗じて『剣の部』が三列三段の剣戟を撃ち込んだ。
だが、目前で『チャーチグリム』は無数のシャボン玉に揺らめく無数の鏡像のように大小無限に散り、そのいくつかを砕いたところで何の手ごたえもないことは歴然としていた。
「けけけ! 効かねえよ。そんななまくらで撫ぜられてもな! オレは兄貴みたいに人ができてねえってな!」
無数の影が踊るたびに、そこに控えていた誰彼が吹き飛んでいた。
「まあ、余興だしな。めんどくせえからやってやるよ――そこの丁稚の頭が次の生贄か?」
「如何にも」
鋭い視線を向けると、その先には剣、鏡、珠のすべてに霊気をみなぎらせた御刀代が臨戦態勢を整えていた。
「丁稚頭と侮る我が術と技を御覧ぜよ」
「やなこった」
とんぼ返りを打つように『チャーチグリム』は空中で廻転しながら落ちていた鏡の中に吸い込まれるように消えていた。
「ふ……ありがたい。拗ね者はあのように体よくあしらうのか一番だな。まともにやり合っては、それこそ命がいくつあっても足りはせぬな。む……」
御刀代の表情が、複雑に曇っていた。
「困ったな。慮外者が近付いている。まあ、どちらにとってもだが……」
倒れていた部の民は、ひとりずつ何も無かったかのように起き上がっていた。
御刀代が手を振ると、護摩のかがり火はさらに勢いよく炎の渦と化し天に噴き上がっていったが、それをもってしてもいっかな、常闇の侵攻を止められぬこの黄昏の街を赤く照らすことが叶わなかった。




