第三章 第二幕 ~次元跳躍の猫~ その6
彼方は慌てて首を巡らせて先程までいた〝お菓子の家〟を捜しました。
ですが、それよりも先に目に入ってきたのは窓越しに見える館の内側でした。
ひとつの窓を覗くと、その部屋の中は意外なことに空っぽでした。
何も無い床がどこまでも続き、反対側には無数のカーテンがたなびいていました。
そこは失われて何も無くなったのではなく、意図して何も無いようにつくられた感じでした。
「レッスンルーム?」
彼方は思ったままを率直に呟いていました。
そして自分がなぜ、そのように感じてそこに目を奪われてしまったのかを脳がやっと認識しました。
その、空間として拡げられた空漠の中央に、慇懃実直を具現化したような、御仕着せを完全に着こなしてりゅうとして佇む――前に学校で見た紳士が立っていたのです。
「あ……えっと……ダイアナさんが執事であり従者な人……と仰っていた方……」
そのまま覗くのはあまりにも不謹慎であり無作法だとは思いましたが、どうにも目がそこに固定され、動かすことができなかったのです。
紳士は、おもむろに少し前進しました。
つられて見ていると、いつの間にか紳士の周りを包むように、これもレッスンルームにあるような、全身を映す鏡が六枚ほど立っていたのです。
やおら……紳士は突然その上衣を剥ぎ取りました。
「ひゃっ!?」
彼方は両手で顔を覆います。ですが、好奇心に勝てずに少しだけ、指の隙間から先の光景を見てみました。
紳士は、毅然として口を横一文字にきつく引き結び、目を細めて自分の裸体を鏡に映して検分していました。
「なぜ、蝶ネクタイだけ残すのでしょうか?」
彼方は、どうでもよいことを疑問に思いました。
たしかに、猪頸たるがっしりとした首にかろうじて抱き着くかのように、ぎりぎりのところで蝶ネクタイはすがりついていました。
ですが、すぐにそれどころではなくなったので彼方はそのようなことなど気にしなくなりましたが。
「ふううっ!」
すーーっと、舞の所作の前動作のように紳士が両腕をゆったりと円を描くかのように上げると、一気に肘を曲げ、そのまま拳を固めたまま、かすかに上体を丸めつつ、拳の先を衝突させるかのように腹の前で止めました。
その瞬間、果てしない大きな部屋全体に衝撃が走り、ガラス窓がびりびりと震え、カーテンは見えない手がぐるりとひと撫でしたかのように時間差でふわりと浮かび上がったのです。
もちろん、彼方も吹き飛ばされるところでした。
どうにか窓枠に身体を預け、なぜそうまでして見ているのか自分でも不思議に思いつつも、その様子を見守り続けていました。
「えっと……あれってたしか、ボディビルの人のポージングとか……」
この辺りは、さすがに彼方にも知識はありました。
さらに今度は、紳士は右腕を曲げながら上に、左腕も高さに差をつけながらやはり曲げ、そのまま胸を押し拡げるように背中を反らせてゆきました。
その顔は自信に溢れ、うっとりしているかのようでした。
紳士が斜めに身体を捩じってゆく動きが、鏡で背中をチェックしようとしていることに気付いた彼方は、目線が合うことを恐れてはっとしてしゃがみ込みます。
そしてしばらく坐っていたのち、唐突に気付きます。
「あれ……私、何してるんだろ?」
両手で顔を覆い、耳まで真っ赤になっていました。
そうして屈んだまま、足先のみでちょこちょこ歩きをして、やっとのことでその場を離れていったのです。
立ち上がれるところまで来ると、周りを気にしつつ膝を伸ばします。
そして気付きます。
「あ……〈薔薇の迷路〉に戻ってる?」
たしかに、周りは薔薇だらけでした。
ですが整然と壁として造られていた薔薇迷路とは異なり、ここはブーケをひょいひょいとひとまとめに配列していったかのような気楽さで、圧迫感はありませんでした。
なので彼方もさして気にせず歩いていったのです。
「えっと……扉を捜しましょう……」
そうして闇雲に歩いてはみましたが、却って館は遠ざかってゆくようです。
そして、館につながる通路などの扉らしきものはいくら捜しても見あたりません。
「ゆけばゆくほど、遠くなってるみたい……」
そうして彷徨い歩き続けて心細くなりつつある彼方の目の前に、ようやく――
大きな金属の扉が現れたのです。




