第三章 第二幕 ~次元跳躍の猫~ その5 灰神楽篇2
彼方はそれ以上、何かを刺戟しないようそろりそろりとその場を離れ、身体を低くして床に物陰に、猫を捜しました。
お菓子の家の中は、木組みのしっとりとした色合いと、ぬいぐるみとその衣装と、きらびやかな家具との配色が入り混じって目まぐるしいコントラストを形づくり、さらにその上にきらきらと光の粒のような自然光がこぼれ落ち続けているのでした。
彼方は一歩ずつ、足音を忍ばせて歩いてゆきました。
ようやく「あれ? この小屋ってこんなにも大きかったかな?」と思う頃、気配が変わったことに気付きました。
ぬいぐるみに、人間型が多くなりました。それらは進みゆくほどに大きくなり、最初は手乗りサイズだったものが、いつしか等身大に近付いていました。不思議なもので、そうなると親しみより押し迫ってくる感じがするのです。
彼方は胸の前に拳をあて、そろそろと歩いてゆきました。
すると、何かに突きあたりました。
「あ、すみません」
反射的に、彼方は立ち止まり頭を下げていました。
先方も同じく頭を下げています。ですが、それはよく見ると大きな姿見に映った自分自身だったのです。
「うわ……恥ずかしいなあ……」
一瞬感じた恐怖心を紛らわすかのように、彼方は強がってみせました。そして辺りに目をやると、いつしかそこら中に鏡が立てられて、さながら鏡迷路を形成していることに気付くのです。
「鏡って、シンプルに怖いかも」
なるべく見ないように、ですが避けようにもゆく先々が鏡尽くしなのでそれも叶わず、びくびくしながら彼方は鏡にゆきあたるたびに方向を変え、いつしか小屋の奥の奥まで踏み込んでいました。
「あ……」
ふっと空間が開かれて、前方にはたったひとつ、巨大なリボンを頭にも胸元にも手の先にも飾った今にも動き出しそうな生き人形が大きなクッションを積み上げた上に座っていました。
そしてその手の中では、捜し続けていた黒猫が、丸まって眠っていたのです。
「ほら、猫さん。帰りましょう……」
彼方はぎこちなくそろそろと、足はそのままに身体を可能な限り前に倒して腕先のみで、猫に触れようとしたのです。その時、後ろでコトッと音がしました。
ギクッとして首をすくめながら後方を見ると、そこにも同じ人形がありました。
「あ、鏡か……」
彼方は自分に聞かせるように呟きました。
でも、よく考えてみると、そこはついさっき自分が通過した通路です。
鏡なんて、ありはしないはずなのに……
それに何より、鏡でしたら自分を貫いて背後にある人形だけ映るのは変でした。
「あれ……? この鏡……私だけ映っていない?」
そう思って身体ごと後ろを振り向くと、やはりクッションの山に生き人形が座っていましたが、その手に猫はいませんでした。
「猫……どこ?」
きょろきょろすると、目の前に猫が差し出されました。
「どうぞ、です!」
背後の鏡に映っていたはずの人形が、すっと猫を抱きかかえて渡してくるのでした。
「ひゃっ!?」
思わず後ずさりしようとして腰砕けになり、そのまま後ろにずり下がると、その後ろで「デス!」と続ける声がして振り向くと、さっきまでクッションに座っていた生き人形が座り込んだ彼方の両肩を抑えてその顔を覗き込んでいたのでした。
「きゃっ!」
息を呑んでそのまま目をつぶります。
ですがいつまで経ってもそれ以上のことはなかったので恐る恐る目を開けると、小さなそっくりな幼女ふたりが、円い目をしてそれぞれ反対方向に首を傾けながら彼方を不思議そうに見上げていました。
彼方はしばらく交互に幼女を見詰めて、ようやくほっとしていました。
「あ……鏡かと思ったら……双子なの……」
彼方にとっては自分を奮い立たせる呟きに過ぎませんでしたが、それを聞いて幼女たちは目にも鮮やかに興奮し、喜び立ちました。
「彼方お姉さま好きです!」「デス!」
両方で同時に首にぶら下がってきました。
その勢いに後ろに倒れそうになりながら「えっと……あの……私……」と、状況が掴めないまま、ふたりの幼女を支えていました。
改めて立ち上がってふたりを見ると、服装は全くの同一デザインでした。差があるとしたら一方が白い部分は一方が黒く、その逆にもなっていることでした。
ふたりは左右で彼方の両手を引っ張り「お姉さまはどなたです?」「デス?」と訊ねてきました。
「わ、私は今日、このお屋敷にお招きに預かった……」
彼方が返事をしようとするとそれに被せて「トワお姉さまのお客様です!」「デス!」と、騒ぎ立てました。そしてさらに「お姉さまも今日のお祭りに参加するです?」「デス?」と、勢い込んで訊ねてきました。
「えっと……」
彼方は途惑います。
「私、招かれただけで今日の趣向までは聞いてなくて……おふたりは知っているの?」
逆に訊いてみます。
「知ってるです!」「デス!」
「楽しみです!」「デス!」
「今度こそ勝つです!」「デス!」
彼方の周りを手を引っ張りながら目まぐるしく回転し、ふたりは交互に跳びはねながら何事かに誓いを新たにしていました。
「えっと……待って……」
ちょろちょろしている幼女ふたりを必死に抑えて、彼方は訊ねます。
「私、巫彼方です。おふたりは……」
するとふたりは立ち止まり、両手をひろげてそれぞれ時計廻りと反時計廻りにフィギュアスケートみたいにふわりと廻って彼方の前でぴたりと止まってみせました。
「お初にお目にかかるのです! 『灰神楽』なのです!」
「デス!」
目をキラキラさせて見上げるその眩しさに圧倒されつつも、気になって訊き返します。
「えっと……どちらが灰神楽さん?」
「灰神楽なのです!」
白メインの子が名乗ります。
「デス!」
黒メインの子も続けます。
「……どちらも灰神楽さん?」
「はいです!」
「デス!」
「……」
彼方は返答に困って立ち尽くしますが、それ以上踏み込んだところで変化はなさそうなので、それはそれとして受け止めることにしました。
そしてふと気が付くと、抱いていたはずの猫が見あたりません。
「あれ? 猫知らないかな? 迷子の猫」
ふたりに訊ねると「迷っているのは、お姉さまです!」「デス!」と、もっともなことを嬉しそうに返しました。
「あ、はい。それは……そうだと思います」
「猫は好き勝手に生きるです!」「デス!」
「なので人が猫に合わせるのは無理過ぎです!」「デス!」
「だったら猫が人に合わせる時だけ人が猫に会えばよいのです」「デス!」
「そんなことより、さあ! トワお姉さまが首を長くしてお待ちなのです!」「デス!」
それを聞いた途端、彼方の先程までの猫を追いかける押し迫った感覚はふぁさりと消え去り、それもそうだと頷きました。
「え、ええ。そうでした。招かれて……私、何をしていたんだろ?」
「ゆくのです!」「デス!」
ふたりに両手を引かれて歩き出すと、今までゆく手を塞ぐ格好で折り重なっていた鏡の衝立も様々な姿かたちを見せるぬいぐるみも人形劇の一場面を切り取ったかのような人形たちも、さっと脇に退いて彼方に先を譲るのでした。
山小屋の横を通る時だけ気になりましたが、熊はどこにも見えず、小屋の中も空っぽでした。
「わっ……」
お菓子の家の外に立つと、秋の日差しは衰えを知らず、千々に散りつつ彼方の上にかけらとなってこぼれ落ち続けていたのです。
彼方は眩しさに目を閉じ、しばらくして目を開けるといつの間にか館の脇の庭に立っていました。
はっとして両手を見ると、そこには誰もいませんでした。




