第三章 第二幕 ~次元跳躍の猫~ その4 灰神楽篇1
見れば見るほどに、人をして圧倒させる建物でした。
白堊の大殿堂――古風な城と近代のお屋敷を融合させて形よくまとめ上げた風情の、どこにもない建造物がそこにありました。
大時代めいて、たしかに古色蒼然、旧態依然はその通りでもあり、無数のつたが這いずり廻る壁は妖しい風紋めいて眩惑を誘ってくるものでした。
無数の嵌め殺しの磨りガラスと、佇立して天を突きさす尖塔には、風雅を尽したステンドグラスが飾られてありました。壁の一部にはよく見ると象嵌された貴金属が見え隠れして、壁によっては奇妙な怪物のレリーフがうっすらと浮かび上がってもいました。
全体的にはゴシック様式の正統継承者でありながら、どことなく異風を織り交ぜ、いくつかある覗き窓は、あたかも合戦を想定しているかのように物々しい造りでもあるのです。
それは、その方向から風が吹くだけでも弱い花は目を背け、虫は縮こまり、飛ぶものは羽の向きを急ぎ翻し、獣も牙を隠すほどの冷厳の体現者として、威風堂々と君臨していたのです。
「うわぁ……」
彼方はひたすらに、自然に口を開けてその居城を見上げていました。
「本物のお城みたい……」
「ええ。半分は本国より運ばせて、残り半分は半世紀を費やして形を整えたものなのです」
いつの間にか彼方の横にクレアが立って、いっしょにお城を見ていました。
「そうですか……」
何気に、クレアに向かい合うとその肩越しに、先程通過した〈薔薇の迷路〉が目に入ったのです。
たしかにそこは甘い気配が渦をなしてその上を妖しく漂う湯気のように覆い尽くし、迷路そのままに曲がりくねっていたのです。
その瞬間、彼方の脳裏に浮かんだのはベンチでひと休みしていたA子とダイアナの姿でした。
はっとして、彼方はクレアに訊ねます。
「あの……迷路みたいな薔薇園に――」
と、そこまで訊いて、よそ様の庭を迷路扱いしてもよいものかと口をつぐみます。
それを悟ってクレアも頷きます。
「ええ。迷路です。神話に名高きダイダロスの迷路のモデルとされる屋上屋を架したクレタ島の大伽藍と同じく、年々歳々の時の流れがかくも人をして迷わせる造りとなったのですが、それは我らが居城も同じこと。幾世代も重ねた結果、その時々の風情を残して住みやすく造り変えたのです。水蓮様はそれを、『テセウスの船が、そのすべての段階をひとつの次元に重ね合わせで存在しているようなもの』と表現されましたが、伝わりますでしょうか?」
「いえ、その……残念ですが……」
彼方は恐縮して首をすくめます。
「お気になさることはございません。あの迷路に何か?」
「その……薔薇のお庭のベンチのところに、私に付き添っていただいたおふたりが休んでいると思うのですが、もしもあのまま迷っていたら困りますので……」
「かしこまりました。では、ご両名を〈ブルーブラッド家〉の御客としてお迎えに参ります。巫様は……」
「あ、私は猫を捜しているだけなので……」
「そうですか。それでは……」
クレアは薔薇の迷路を見おろして一点を見定めると、そのまま慣れた足で斜面を下ってゆきました。
彼方はしばらくお城に圧倒されていましたが、どこを捜しても同じこととわきまえてゆっくりと足の向くまま、城壁の一角に向って歩いてゆきました。
レンガのひとつずつが目に迫るまでに近付いたとき、どこかで猫の鳴き声を聞いた気がしました。
ふっと、そちらを向いても何もいません。
ですが、妙な気配があったのです。
あまりにも異質な、異物が景色に混ざり込んでいました。
ある一点が、浮き上がっていたのです。
そこだけ――まるでお城の庭にお菓子の家をねじ込んだかのように不釣り合いな、際立って仕方のない小屋が、あたかも彼方を呼んでいるかのように怪し気に建っていたのです。
再び、かすかに猫のよび声を聞いた気がしました。
「猫さん……そこにいますか?」
吸い込まれるように彼方はそちらに向かっていました。
ギィ……っと、扉の蝶番を軋ませて、その小屋はたやすく彼方を招き入れたのです。
「あの……失礼します。どなたかいらっしゃいますか?」
肩口を差し込み、斜めに中を覗き込んでも無数の陰翳が影の濃淡を形づくっていることはわかっても、そこに何があるかまでは見えませんでした。
すると、突然――
『――どうぞ、お入りください――』
頭の中に直接、響く声がありました。
許可を得てと思ってか、彼方は扉を半分ほど開き、その中に足を踏み入れていました。
内外の境界を越えてみると、中は外で見ていたよりかははっきりと、明り取りの小さな窓から差し込む陽光に浮かび上がってその内装がくっきりと見えてはいたのです。
さりとて、見えたところで理解には決して及びませんでしたが……
そこはつまるところ、蓋を閉ざされたお人形箱の中そのものだったのです。
様々なぬいぐるみがところ狭しと鎮座していました。しかし乱雑に積み上げられているのではなく、椅子に腰掛けていたり、気取ったポーズを取っていたり、ふたりひと組でダンスに興じている人形もありました。
彼方は、そろりそろりと姿勢を低くしてぬいぐるみと人形と、それを支える調度品たちとの間をすり抜けてゆきました。どの人形も、最高級に手の掛かったアンティークと見受けられたので、ぶつかって落としたりしないよう、細心の慎重さでもって歩いていったのです。
ふと、彼方は気になる人形の前で足を止めました。
そこだけ、さらに木組みの簡素な山小屋が造ってありました。
もちろん、ぬいぐるみ用のサイズでしたが。
その中にはテーブルがひとつ、それに椅子とベッドがみっつずつありました。
テーブルの上にはスープ皿がみっつあり、大きなものと中くらいのものは飲みかけで、小さなひと皿は飲み尽されていました。
みっつの椅子は斜めに引かれて乱されていて、よく見ると小屋の入口には三匹の熊がいて、中の様子を見てひどく落ち込んでいる様子でした。
熊の目線の先を追うと、一番小さなベッドの上に、女の子のお人形が横たえられてありました。
女の子は寝ている風でしたが、熊はそれを見て仰天していたのです。
カタッと、音が聞こえた気がして彼方は後ろを見ましたが、何もありません。
何気なく首を戻すと、先程まで入り口にいたはずの三匹の熊は、よく見ると家の中に入っていったところでした。
瞬間、彼方はぞっとして思わず「逃げて!」と女の子に向って叫んでいました。
ですが、熊のぬいぐるみも女の子の人形も、もちろん変化はありませんでした。
それに気付くと急に恥ずかしくなって、彼方は小屋から視線を外しました。
ですがやはり気になって再び小屋の中を見ると、三匹の熊はいつの間にか、ベッドの女の子を覆い尽くすまでに集まって見下ろしていました。
「きゃあ!?」
思わず悲鳴を上げた彼方は、小屋の中に手を入れて――その時になって小屋は、とても小さなものだったと気が付きました――女の子を救出したのです。
人形を膝の上に乗せ、ふっと息をつくと今度もどこかでカタッと音が聞こえ、そちらを向いて視線を戻すと、やけにその人形に大きな影がかぶさっていることに気付きました。はて……と見上げると、視界のすべてを塞ぐかのように、いずれも困った様子の大きな三匹の熊が彼方を覗き込んでいました。
「わっ!? ごめんなさい!」
何に対してか彼方は思い切り謝罪して、それでも人形は膝に乗せたままその場を飛び退きました。
その瞬間、階段の最上段にあと一段あると思って足が空振った時のようにふと、足のちからが抜けた気がしました
ごろん、と目の前が反転し、気が付くと膝をついたまま床にへたり込んでいる自分を発見しました。
気分が錯綜したままふと我に返ってよく見た女の子の人形は、ひどくつまらない顔をしていて、彼方は首を捻りながらそれを木組みの小屋に戻しました。
三匹の熊はどこに行ったのかと辺りを見廻すと、針金と緑色に塗られた綿とでつくった森の中に一列となって、大きな熊は荷物を背負い、中くらいの熊は手荷物を下げ、小さな熊は木の枝を振り上げながら、楽し気に顎を突きだして、森の奥に入ってゆくところでした。
「ハイキングかな……」
彼方はぽつりとつぶやき、慌てて寝かせた人形を、小さなベッドの上で寝かし直しました。
そうして改めて山小屋を見返すと、それはもう、なぜこんな家の中に入り込めると思ったのかと訝しむほど、小さな作り物の山小屋に過ぎませんでした。




