第7話【「絶対に働かないからな!」とダダをこねるニートの転生希望者を撃沈してみた】
月曜日の午前8時50分。
神界案内課のフロアには、休日明け特有の重苦しい空気が漂っていた。
私は始業10分前の8時50分きっかりに執務室のドアを開け、整頓された己のデスクへと迷いなく向かう。
神聖な純白のオフィススーツのシワを伸ばし、デスクの上に置かれた神界端末のキーボードに軽く指を走らせた。
「おはようございます」
「ひ、ひぃぃ……っ!? 玲奈、頼む……! 週末の間に溜まった転生希望者の予備審査書類が、わしのキャパシティを遥かに超えておるんじゃ! 9時前で構わんから、何枚か処理を代行してくれぇぇ!」
最高神が羊皮紙の山に顔を埋めながら、血走った目で懇願してくる。
だが、私は前世の過酷なCS時代に「1回でも時間外のサービス残業に応じたら、それが永久の既得権益になる」という痛烈な教訓を得ている。
「最高神様、おはようございます。ただいまの時刻は8時51分です。労働契約規定により、私の始業時間は9時となっております。始業前の業務介入は時間外労働命令の不当な強要にあたりますので、9時ちょうどになり次第、順番に対応させていただきます」
「たった9分間の融通すら利かせてくれんのか?」
「『少しだけなら』という甘えが、最終的にサービス残業100時間超えの地獄を作るのです。私は二度と前世の過ちを繰り返しません」
絶望に打ちひしがれる最高神を淡々とスルーし、私はマイボトルから温かいお茶を一口含んだ。今日はほうじ茶にしたので、香ばしい香りが週初めの頭をすっきりとさせてくれる。
ひと息ついてから何気なく神界端末のサブモニターに目をやると、画面の端に『現地リアルタイム口コミトピックス』という通知がポップアップしていた。
流れるテロップをこれまた何となく眺めていたら……
『【速報】バクーガ男爵領にて、レナエル様の新たな神話が誕生!』
『“悪役令嬢”という謎の破滅の運命からレナエル様に救われた男爵家令嬢が、日当たりの良いテラスで極上の熟成チーズを喰みつつ涙の感謝!』
『領民一丸となり「我らに真の安らぎを与えし秩序の女神レナエル様万歳!」と歓喜の狂乱!』
『チーズにまで祝福を与えたレナエル様は万能型女神と判明! 各地でレナエル様の降臨を望む声が高まる!』
「――ぶっ!?」
優雅なモーニングほうじ茶タイムを満喫していたのに、盛大に吹き出してしまった……
……色々と訂正したいことだらけですが、これだけは言わせてほしい。
――チーズへの祝福なんてしていないわ!
先週末、身の丈に合わない「悪役令嬢」を夢見ていた女子高生の小林さんを、現実的な病死・毒殺・暗殺リスクの提示によって「男爵家三女のスローライフルート」へと誘導した件だ。
当人は平和にテラスでお昼寝を楽しんでいるようだが、なぜか現地の住民たちの間では『破滅の宿命から娘を救い出した神の御業』として過剰に神格化されているらしい。
……見なかったことにしましょう。私の業務は神界でのカスタマーサポートであって、現地民の勘違いの火消しではありませんもの。
画面を速やかに閉じ、思考の優先度を「最低」まで切り下げた、まさにその時だった。
壁の神界時計がポーンと9時の訪れを告げると同時に、面談室の転送魔法陣が眩い光を放った。
「――それでは、本日の業務を開始いたします」
光の中から現れたのは、ボサボサの髪にヨレヨレの部屋着を纏った、不機嫌そうな青年だった。
彼は面談室の革張りの椅子に横柄に腰掛けると、開口一番、苛立ちを隠そうともせずに声を張り上げた。
「おい女神! 俺は絶対に働かないからな! それと異世界に行くなら『不労所得チート』と『自動レベルアップ』をつけて、家から一歩も出ずに一生遊んで暮らせる環境を約束しろ!」
本日の転生希望者は、山田賢太くん、24歳。無職。
端末のデータによると、死因は自室でゲーム中にこたつで寝落ちしての低温火傷……ではなく、家族が準備してくれた正月の餅を喉に詰まらせたことによる窒息。
「……改めまして、ようこそ神界へお越しくださいました、山田様。案内を担当いたします神楽坂玲奈と申します」
私は週の始まりの重苦しい空気を吹き飛ばすように、10%増しの爽やかな営業スマイルを張り付け、臨戦態勢へと移行した。
「あのさぁ! ネットのまとめサイトで読んだんだけどさぁ! 転生者の中には自動で金が湧き出るダンジョンマスターとか、不労所得でスローライフ送ってる奴もいるんだろ? 俺もそれで頼むわ! 働いたら負けだと思ってんだよね!」
……出たわ。自ら汗を流すことを拒み、棚から落ちてくる牡丹餅だけを要求する、典型的なニートクレーマー。
楽をして生きたいという欲望自体は人間の性だが、リスクを完全に無視した他力本願はCSの現場では一蹴されるのが世の常だ。
私は笑みを絶やすことなく、指先を滑らかに動かして神界端末を操作した。
「山田様、事前にご申請いただきました『完全引きこもり・不労所得生活』の構成プランを精査いたしました。……結論から申し上げますね」
「餅詰まった時はマジで終わったと思ったけど、俺勝ち組確定じゃん!」
結論を伝えていないのに気が早いこと……私は笑みをさらに深めてから口を開いた。
「お客様のそのご要望ですと、転生後1日目にモンスターに生きたまま食われて即死いたします」
「……は?」
先程まで「勝ち確だわー!」とニヤけていた山田くんの顔が、一瞬で引きつった。
「何言ってんだ? 俺は『引きこもりチート』を求めてるんだぞ? モンスターになんて遭遇しないだろ!?」
不満を露わにする彼に対し、私は手元のモニターをスッと彼の方へと向けた。
「こちらが、山田様が何一つ労働や防犯努力を行わなかった場合の『現地生存リアルタイム・シミュレーション』となります。ご覧ください」
「み、未来予測の画面……?」
「はい。転生1日目、支給された初期拠点にて引きこもりを開始するも――」
私は冷徹なまでに淡々としたトーンで、画面に映し出された惨劇を読み上げた。
「――魔獣の動きが活発になる深夜。近くの大森林にて自然発生したBランク魔獣『ギガント・ゴブリン』が、木造の屋根を破壊して侵入。前世からの引きこもり生活で足腰が弱り切っていることに加え、恐怖心からまともな回避運動すら取れない山田様は、そのまま頭からバリボリと咀嚼されて即死いたします」
「ぎ、ギガント・ゴブリンにバリボリぃぃぃ!?」
「はい。生きたままバリボリです」
生々しい表現に、山田くんの顔面が蒼白に染まる。
「な、なんで家の中にいるのに魔物が襲ってくるんだよ!? おかしいだろ! 普通は家って安全地帯だろ!?」
「おかしくありませんよ。異世界は現代日本とは異なり、警察も自衛隊も存在しない完全な弱肉強食の環境です。家屋の修繕、防御結界の展開、周囲の魔物の間引き――それらの『維持労働』を一切放棄した引きこもりは、現地では単なる『動かない生餌』と同義でございます」
「ひっ……! 生餌!?」
「神界利用規約・第18条に基づき、現地の安全管理能力を完全に放棄する『自己死滅願望』を持った転生者へのチート付与は固く禁じられております」
「それじゃあ、別の場所に転生させてくれよ!」
「異世界に転生する以上、全ての場所に同様のリスクがありますので、『維持労働』を放棄している状態では即死することが既に確定しております」
「で、でも……じゃあ俺に働けって言うのかよ!? 働いたら負けなんだよ! 労力なんて絶対に払いたくないんだ!」
……ふむ。典型的な『現状維持バイアス』と『労働=苦痛・敗北』という強力な固定観念にとらわれている状態ですね。
さらに『損をしたくない』という損失回避バイアスも過剰に働いています。
それならば――
私は前世のCS指導員研修で叩き込まれた説得技法――物事の枠組みを塗り替える『リフレーミング』と、選択肢を二つに絞り、相手が自ら望ましい方向を選ぶよう促す『二者択一法』を脳内で組み立てた。
「いいえ。我が課はお客様が望まない労働を強要するつもりは毛頭ございません。ただ、至高の引きこもり環境を構築するための手段をご提案したいのです」
私はあらかじめ用意しておいた『開拓・クラフト適性プラン』の羊皮紙データを画面に呼び出した。
「山田様。こちらの『クラフト&開拓スキルの作業効率5倍補正つき』はいかがでしょうか?」
「クラフト……? それって結局、体を動かして汗流して働くやつじゃんか……」
「ただの労働とお考えですか? 大きな間違いです。これは労働ではなく『絶対に誰も侵入できない最強の要塞を作る作業』です」
まずは『リフレーミング』で、「働くこと」を「嫌な労働」から「究極の安全地帯を作るクリエイティブな作業」へと意味付けを塗り替える。
「自分の手で頑丈な石壁を築き、防御結界のコアを設置する。それらが完成すれば、ギガント・ゴブリンどころか竜のブレスすら弾く、完全な『絶対安全圏』が誕生します。さらに、作業の過程で余った上質な木材や鉱石をギルドに引き渡すだけで、勝手にお金が手に入ります。作業のついでにお金も入ってくる……最高ではありませんか?」
「ぜ、絶対安全圏を自分の手で組み上げて……そのついでに金も貰えるのか……」
「そうです。自分の手で作り上げた絶対に安全な部屋で、自分の稼いだお金で買う最高級の干し肉と熟成酒。安全と収入を手に入れた後に訪れる『本当の無敵の引きこもり時間』こそ、至高のスローライフとは思いませんか?」
すかさず、心理的テクニック『二者択一法』を仕掛ける。「働くか・働かないか」ではなく、「どちらの生き方を選ぶか」という二者択一を突きつける。
「――無防備な生餌として魔獣に頭から噛み砕かれる情けない引きこもりか、己の要塞を築いて安全を確立する凄腕クラフターか……山田様は、どちらの未来をお望みですか?」
「魔獣に食われるくらいなら……つ、作る……! 俺、自分の要塞作るわ……!」
見事に決まりましたね。
心理誘導、完了です。
「働いたら負け」と叫んでいた青年の瞳から迷いが消え、自ら進んで「クラフター」という選択肢を掴み取った瞬間を確認し、私は心の中で静かにガッツポーズを作った。
「賢明なご判断、恐れ入ります。それではパラメーターおよびスキルの初期調整……完了いたしました。――それでは行ってらっしゃいませ。山田様の開拓ライフが、安全で快適なものとなりますよう、心よりお祈り申し上げます」
「俺が魔獣に食われてすぐに死なないように、色々と考えてくれてありがとうございます女神様! 助けていただいたこの命、無駄にしないように頑張ってみます! まずは丸太の確保と拠点選びからだ! 俺の最強の部屋を作ってやるぜぇぇえ!!」
足元に展開した光の魔法陣に包まれ、山田くんはやる気に満ち溢れた叫び声を残して異世界へと旅立っていった。
「……ふぅ。月曜朝一番の難解案件、無事に着地完了っと」
私は神界端末の「開拓プラン:成約」のステータスを確認し、小さく息を吐いた。
「くくっ……月曜の朝から相変わらず容赦ないわねぇ、レナちゃん。あの筋金入りのニートに自分から丸太を拾いに行かせるなんて、もはや魔法の域よ」
いつの間にか扉の隙間から覗いていたヴィー先輩が、高級神聖ワインのボトルを片手にくすくすと笑っている。
「魔法ではありません、ヴィー先輩。CSの基本理念に従い、顧客の『安全に引きこもりたい』という潜在ニーズを、実現可能な形に再定義しただけです。……それより先輩、朝の9時過ぎからワインを召し上がるのは控えられてはいかがですか?」
「いいのよ、私は半休状態のやさぐれ女神なんだから〜。あ、そうそう、バクーガ領のニュース見た? 『レナエル様万歳!』って現地民が祭りを始めてるわよ」
「……聞いておりませんし、見る気もありません」
即答して視線を画面に戻す。これ以上現地で余計な信仰が過熱しようと、私のデスクワークには一切関係のないことだ。
「レナちゃんってせっかく女神に転生したのに、欲がないわね〜」
「そんなことありません。異世界旅行ができて、グルメとお酒を堪能できればそれだけで満足です」
「それなら今度はどこ行く〜?」
端末の画面で、山田くんの転生先データを何気なくスクロールした。
あの子が配置された『ルメル開拓村』……広大な未開の大森林で、清らかな湧き水と野生の蜜ブドウで作るワインの名産地なのね。
冷たい湧き水で冷やした自家製ワインと、香ばしく炙った魔獣肉をいただく――ありね。
……今週末のお忍び視察の行き先は、ルメル開拓村に決定かしら。
「ちょうど今送り出したルメル開拓村はワインが有名みたいです」
「えっ!? ワイン! 何よそれ行くしかないじゃない! レナ、何があっても行くわよ!」
普段からワインを瓶のままラッパ飲みをしているヴィー先輩にしてみれば、興味津々のようだ。
私も現地でワインを堪能している想像をしただけで、口の中にほんのりと甘酸っぱい果実酒の風味が広がる気がした。
「はい。それではまた週末にお願いします」
「金曜日の定時後すぐに行くから、準備しときなさいよ〜」
楽しそうに部屋から出ていったヴィー先輩の背中を眺めながら、私はマイボトルのほうじ茶を口に含み、完璧な営業スマイルを取り戻した。
「最高神様、次の案件の書類をお回しください。本日も定時退社に向けて、効率的に業務を推進いたします」
「もう案内を終えたのか……さすが玲奈じゃ。次はこの手強い案件を頼んだのう」
軽快なタイピング音を執務室に響かせながら、新たな1週間が、再び幕を開けたのだった。




