第6話【休日のお忍び観光と広がり続ける女神伝説】
ついにやってきました週末。
神界のありがたい福利厚生――『異世界自由アクセス権』を行使する時間です。
平日は転生希望者の人生設計に頭を悩ませ、最高神様の残務処理に巻き込まれ、挙げ句の果てには現地住民からの信仰度モニターが垂直上昇するという謎のトラブルまで発生した。
そんな1週間を乗り切った私には、休日を満喫する権利がある。
もちろん、休日出勤など論外だ。
ましてや、異世界での信仰トラブル対応など、『労働契約書』のどこにも記載されていない。
「レナちゃん、今日の行き先は決まってるの?」
いつものようにウェーブのかかった金髪をなびかせたヴィー先輩が、期待に満ちた表情で尋ねてきた。
今日のヴィー先輩は、普段の神々しい女神ドレスではなく、動きやすそうな私服風の軽装だ。休日の観光客といった風情ではあるが、その神秘的な美貌は隠しきれていないので、高貴な身分の方がお忍び旅行している感が余計に強くなっている気がする。
「ええ。先日ご案内した小林さんの転生先、バクーガ男爵領に行ってみようかなと」
「ああ、あの永久ニート生活が保障された田舎町ね!」
「言い方に少々問題がありますが、概ね間違ってはいません。美味しい大麦パンと熟成チーズ、それに地元の麦酒が有名な土地だそうです
「最高じゃない! さっそく行きましょ!」
グルメの話をした途端、ヴィー先輩の目が輝いた。
さすがは私の食べ歩き仲間である。
仕事への情熱はともかく、食への情熱だけは誰にも負けない人だ。
「はい、到着!」
「……綺麗……」
先輩がパチンと指を鳴らすと、今回は周囲の空間がぐにゃりと歪み、視界が一瞬だけ黄金色の光に包まれる。
そして次の瞬間、私たちは爽やかな風の吹き抜ける街並みの中に立っていた。
目の前に広がるのは、青い空と緑豊かな牧草地。街道沿いには可愛らしい石造りの家々が並び、遠くからは家畜の鳴き声と、パンを焼く香ばしい匂いが漂ってくる。
王都のような陰湿な派閥争いや、権力者たちの腹の探り合いとは無縁の、のんびりとした田舎町だ。
穏やかな日差しを浴びながら歩いているだけで、心の底から癒やされる。
「へえ、いい場所ねぇ。あの子、ちゃんと馴染めてるの?」
「転生後の状況を確認したところ、健康状態も良好です。毎朝の起床時間は以前より遅くなり、食事の満足度も高水準を維持しています」
「何その報告書みたいな言い方! もっとこう、幸せそうとかないの?」
「……魂の追跡ログによれば、昨日はテラスでパンを食べながら三時間ほど昼寝をしていたようです」
「幸せそうじゃない!」
ヴィー先輩が満足げに頷いた。
それは何よりである。
あのとき、悪役令嬢ルートの恐ろしさを説明した甲斐があったというものだ。
本人の希望を無視して人生を決めるのではなく、リスクを理解してもらったうえで、より幸福になれる選択肢を提示する。
これぞ、CS――カスタマーサポートの真髄である。
もっとも、私の場合はイキリ転生希望者を撃沈するために、転生後の死亡リスクまで説明する必要があるのだけれど。
……私の神界業務内容だけやっぱりおかしくないかしら。
そんなことを考えながら、私たちは街の中央広場へと向かった。
広場に面した一角には、木造の看板に可愛らしい太陽の絵が描かれたカフェテラスがあった。
店名は『黄金色の木漏れ日亭』。
窓辺には色とりどりの花が飾られ、テラス席では住民たちが談笑しながらお茶を楽しんでいる。
店内から漂ってくる焼き菓子の香りも素晴らしい。
「ヴィー先輩、ここにしましょう」
「異議なし! さぁ〜食べるわよ!」
私たちはテラス席に腰を下ろして、注文を行った。
ほどなくして運ばれてきたのは、この土地の特産品をふんだんに使用した『バクーガ風チーズタルト』と、果実を漬け込んだ香り豊かな果実茶だった。
タルトの表面はこんがりと焼き色がつき、切り分けられた断面からは、濃厚なチーズがとろりと顔を覗かせている。
添えられた果実のソースも、甘酸っぱい香りを漂わせていた。
「では、いただきます」
ひと口食べてレベルの高さを確信した。
……これは、素晴らしい。
香ばしく焼き上げられた生地の食感。その直後に広がる、ミルクの風味を凝縮したようなチーズのコク。甘さは控えめで、果実の酸味が後味をすっきりとまとめている。
これは紅茶にも合うだろうが、少し塩気のあるチーズを使っているため、地元の麦酒との相性も相当なものに違いない。
帰りにお土産を買っていこう。
……いや、待って。
お土産だけでいいのかしら。
焼きたてをもう一皿いただいて、麦酒と合わせて味わうという選択肢も――
「レナちゃん、顔が緩んでるわよ」
「失礼しました。あまりの美味しさに、つい」
「ふふっ、わかるわぁ。仕事から解放された休日スイーツ、最高ねぇ……。胃を痛めながらクレーマー対応をしていた頃が嘘みたいだわ」
「ヴィー先輩、今の発言は聞かなかったことにしますね」
「えっ、なんで!?」
ワイン飲んだくれヴィー先輩の最近の職務態度について、これ以上追及するのはやめておこう。
せっかくの休日なのだ。
仕事の話は、できるだけ避けたい。
私たちはしばらく、タルトと果実茶を堪能した。
――その時だった。
「う〜ん! やっぱり男爵家の三女は最高だなぁ!」
隣のテラス席から、聞き覚えのある弾んだ声が聞こえてきた。
「朝はゆっくり起きていいし、美味しいパンとチーズは食べられるし、面倒な社交界も派閥争いもない! あのとき女神様に言われた通りにして、本当によかった〜!」
私は思わず、そちらへ視線を向けた。
麦わら帽子を被り、フリルのついた可愛らしいドレスを着た少女が、幸せそうにタルトを頬張っている。
その隣には、爽やかな笑顔を浮かべた青年の姿があった。少女のためにお茶を注いでいるところを見るに、ふたりの仲は良好らしい。
青年の名前はロイド。
現在は騎士見習いをしている青年だ。
そして、少女の正体は――。
……小林さん、こんなところにいたのね。
前世の記憶を保ったまま、男爵家の三女として第二の人生を歩み始めた小林美咲さん。
現在の名前は、ミルカ・バクーガ男爵令嬢。
どうやら、私が提案した『食いっぱぐれのない永久ニート生活』を、想像以上に満喫しているようだった。
んっ……満足していただけているようで何よりだわ。
CS冥利に尽きる。
私はほっこりとした気持ちで果実茶を口に含んだ。
しかし、幸福なひとときは長く続かなかった。
「あっ」
不意に、ミルカさんと目が合った。
彼女はタルトを口に運んだまま、ぴたりと動きを止めた。
そしてその目が、徐々に大きく見開かれていく。
「……め、女神……様?」
……しまった。
いくら私服に着替えているとはいえ、転生時に直接対面したばかりだ。顔を覚えられていても不思議ではない。
私は静かに人差し指を唇に当て、営業スマイルを浮かべた。
――どうか、内緒にしてくださいね。
声には出さず、目でそう伝えたつもりだった。
「あの、ミルカ様? どうかされましたか?」
隣に座るロイドくんが、不思議そうに首を傾げる。
だが、ミルカさんはそれどころではなかった。
ガタッ!
勢いよく椅子を鳴らして立ち上がると、彼女は私たちのテーブルへと駆け寄ってきた。
なんでそうなるのよ……
「め、女神様……! いえ、玲奈様! どうしてこちらに!?」
「小林様、声が大きいです」
「はっ!? ……す、すみません!」
「本日は私的なお忍び観光です。周囲の方々に騒がれると、ゆっくり食事ができなくなってしまいますので……」
私はちらりと、テーブルの上に残されたタルトへ視線を落とした。
……まだ半分も食べれていないのだ。
このまま騒ぎになれば、せっかくのタルトが冷めてしまう。
それだけは避けなければならない。
「……ちなみに、こちらの世界では本名を伏せております。私のことは、どうか秘密にしていただけますか?」
「も、もちろんです! でも……お名前は、どうお呼びすれば……?」
私は一口、果実茶を嗜んでから、静かに微笑んだ。
「……レナエル、とお呼びください」
――その瞬間、カフェの店主である老夫婦が同時に顔を上げた。
近くのテーブルでお茶を飲んでいた住民たちも、ぴたりと動きを止める。
そして次の瞬間、あちらこちらで椅子が鳴り、グラスが卓上に置かれる音が響き渡った。
「な、なんだって……!?」
「今、レナエル様とおっしゃったのか!?」
「レナエル様……? まさか、王都で噂になっている、あの導きの女神様か!?」
……え?
私とヴィー先輩は、無言で顔を見合わせて同時に固まった。
導きの女神。
聞き覚えのありすぎるその単語には、正直、嫌な予感しかしない。
「迷える魂に破滅の危険を告げ、正しき道へと導かれたという……あの女神様なのか!?」
「悪役令嬢として生まれ変わるはずだった娘を救い、このバクーガ領に幸福をもたらしてくださったという、あの伝説の女神様だぁぁぁ!」
「おおお……! まさか生きているうちにお目にかかれるとは……!」
「「……え?」」
今度は私とヴィー先輩の声が重なった。
ちょっと待って。王都の噂って何? どうして、そんな話になっているの?
いや、原因はだいたい想像できる。
あの居酒屋で、私を勝手に女神扱いしたドワーフの店主だ。
きっと、あの人が面白おかしく話を広めたのだろう。
しかし、どうして王都だけでなく、こんな遠く離れた地方にまで伝わっているのか。
異世界の情報伝達速度、少しおかしくないだろうか。
「吟遊詩人の歌っていた以上に、目が醒めるほどの美しいお姿……これは私もこの体験を歌って皆に広く伝えていかねば! やるぞ! 吟遊詩人で世界を周るぞ!」
吟遊詩人……犯人はあなたでしたか……許すまじ。
そしてあなたもここで吟遊詩人を志さないで! お願いだからもうこれ以上広めないで!
「おい、みんな! 女神様の降臨だ! 伝説の導きの女神レナエル様が、我が領地の特産品を召し上がっておられるぞ!」
「「「「「な、なんだってぇぇぇぇ!?」」」」」
店主の叫びを合図に、店内だけでなく、道を歩いていた周囲の住民たちもテラス席に一斉に集まってきた。
人が人を呼ぶ状態になっており、街の人々が次々と押し寄せ、私たちのテーブルを幾重にも取り囲む。
そして、誰からともなく膝をつき、深々と頭を下げ始めた。
「おおお……なんという神々しいお姿……!」
「我が領地の特産品をご賞味くださるとは、なんというご加護!」
「レナエル様! どうか我が家のチーズの熟成にもご加護を……!」
「うちの大麦も、どうか豊作になりますように!」
「麦酒を造る麦芽にもぜひご加護を!」
最後の3人、お願いの内容が妙に具体的ね!?
神への祈りというより、地元産業の陳情である。
しかも、チーズの熟成にご加護とは何だ。
私は神界の農業振興担当ではない。
……いや、そもそもそんな部署があるのかどうかも知らないけれど。
騒ぎの中心では、ミルカさんまでもが瞳をキラキラと輝かせ、両手を合わせていた。
「やっぱり……! 私を過酷な悪役令嬢ルートから救ってくださったレナエル様は、現地でも伝説の女神様だったんですね……! 感動ですっ!」
違うのよ、小林さん!
心の中で、私は全力で叫んだ。
それ、ただの私の名前を少し変えただけなの! それに、伝説でも何でもなくて、あなたの人生設計を安全な方向へ修正しただけなのよ!
しかも、私は今、ただの休日を満喫しているだけだ。
神託を授けたわけでも、奇跡を起こしたわけでもない。
ただチーズタルトを食べていただけなのに、なぜこんなことになるのだろう。
隣を見れば、案の定だった。
「ひーっひっひっひっ!!」
ヴィー先輩が、お腹を抱えて爆笑していた。
「レナちゃん、もうダメ! この世界、どこに行っても『即死リスクを告げる伝説の女神』として噂が先回りしてるじゃない! あははははっ!」
「笑っていないで助けてください、ヴィー先輩!」
「だって、チーズの熟成にご加護よ!? レナちゃん、ついにチーズの守護神にまで昇格したのね! 先輩として鼻が高いわ!」
「そんな役職はありません!」
「じゃあ、明日から作ってもらいましょうよ! 『神界・チーズ熟成管理課』! ひーっひっひっひっ!」
「絶対に嫌です!」
現地民には理解されない言語だからと、ヴィー先輩が言いたい放題喋っている。
……そんな私たちが言い合っている間にも、群衆は増えていく。その上「女神様同士の神界語による会話だ! ありがたや〜」なんて謎の拝まれムーブもかまされる始末。
私は目の前のチーズタルトを楽しみたいだけなのに……
ひとりでこの現状に泣きそうになっていると、いつの間にやら誰かが持ってきた花束がテーブルに置かれ、別の誰かが店の奥から最高級のチーズを運んできた。
しまいには、店主の老婦人が涙を浮かべながら頭を下げた。
「レナエル様……! どうか、こちらのチーズをお納めください! 代金など、とてもいただけません!」
「いえ、普通にお支払いしますので……」
「滅相もございません! 女神様からお金をいただくなど、とんでもないことでございます!」
「ですが、対価を支払わずに飲食するのは、私の主義に反しますので……」
「なんとご立派なお心がけ……!」
どうしてそうなるの!?
私は、静かに目を閉じた。
休日のお忍び観光。
美味しいチーズタルトに、香り豊かな果実茶。
あとは地元の麦酒を楽しみながら、薫製チーズと大麦パンを食べてのんびりと過ごすはずだった。
それなのに、気が付けば私は大勢の住民に囲まれ、チーズの熟成と大麦の豊作を祈願されている。
……やだ、もう何も考えたくない。
「レナちゃん、どうするの?」
「どうするも何も、撤収です。これ以上騒ぎが大きくなる前に、神界へ戻ります」
「え〜っ、せっかく来たのに?」
「ヴィー先輩、タルトがもう冷めてしまいましたので、神界に持ち帰って食べても変わりありません……私は出来立てを現地で静かに食べたかったのに……」
「……それは確かにそうね」
さすがの先輩も、真剣な表情になった。
しかし、立ち上がろうとした私の前に、ミルカさんが再び駆け寄ってきた。
「レナエル様! 今日は本当にありがとうございました! 私、この領地でニート生活を謳歌できるように、前世の知識も活かして生活環境改善にも取り組んで絶対に幸せになります! ロイドとも、ずっと仲良く暮らしていきますね!」
その言葉に、私は思わず表情を和らげた。
彼女の顔には、前世で抱えていた不安も、悪役令嬢への憧れに浮かれていた様子もない。
ただ、自分で選んだ人生を楽しんでいる少女の笑顔があった。
「……ええ。どうか、ご自分の望む幸せを大切になさってくださいね」
「はいっ!」
ミルカさんは、満面の笑みで頷いた。
……うん。
こういう瞬間があるからこそ、この仕事も悪くないと思えるのだ。
たとえ休日にまで女神扱いされようとも。
たとえチーズの熟成にご加護を求められようとも。
……いや、やっぱり休日くらいは静かに過ごしたい。
私はヴィー先輩が発動した転移魔法で、群衆の歓声を背に神界へと無事に帰還した。
こうして、せっかくの休日お忍びスイーツ観光は、またしても現地住民から盛大に崇め奉られるという、もはやお約束と化した展開で幕を閉じたのだった。
――なお、後日。
神界の情報データベースには、『導きの女神レナエル、バクーガ領に降臨。チーズと大麦に祝福を授ける』という、事実とは似ても似つかない記録が追加されていた。
この記録付けたの誰かしら……泣いて謝っても絶対に許さないわ。




