第5話【「悪役令嬢になって夢の逆ハーレム!」ネット知識でイキるモブ女子を撃沈させてみた】
――大波乱となった異世界『カグランディア』での初お忍びグルメ旅行から、一夜が明けた。
結局あの後、店内の狂乱は閉店間際まで収まることがなかった。
『オークの酒樽亭』の店主からは「我が一族の至宝にさせていただきます!」と涙ながらに宣言され、代金は一銅貨どころか「拝観料をお支払いしたいくらいだ」と固辞された。それどころか、店を出る際には店内の客全員が道を開けて平伏し、まるで古代の英雄でも見送るかのような大歓声を浴びる羽目になったのだ。
……静かにタダ酒と美味しいご飯を楽しみたいだけだったのに、どうしてこうなったのかしら。
深々とため息をつきながら神界の自室でベッドから起き上がり、鏡の前で身だしなみを整える。
他の女神のような華やかなドレスではなく、神聖な純白のオフィススーツに袖を通し、髪をきっちりと結い上げる。前世のCS時代から身体に染み付いた、隙のないフォーマルな装いである。
細い長針と短針が重なり合い、時計がちょうど【8:50】を指した。
始業10分前のジャスト出社。早すぎず、遅すぎず。労働基準とビジネスマナーを完璧に遵守した出社時間だ。
「おはようございます」
神界・異世界転生案内課の執務室のドアを開けると、そこには案の定、羊皮紙の書類の山に埋もれて白目を剥いている最高神の姿があった。
「お、おはよう玲奈……っ! 頼む、助けてくれ! 昨日の残務処理が全く終わっておらんのじゃ! 朝一番で引き継ぎたい案件が山のように――」
「最高神様、おはようございます。始業時間の9時まではまだ10分ございますので、業務に関するご相談は9時以降に順次対応させていただきます。なお、労働時間外の指示出しは時間外労働命令に該当する恐れがありますのでご注意ください」
「うぐぁっ……!? 10分……たった10分くらい融通を利かせてくれてもいいじゃろうに……!」
「少しくらいと受け始めた結果、私は前世で痛い目をみました。……最高神様、少しくらいという気持ちが徐々に大きくなることは想像に難くないですよね?」
「う、うむぅ……わしが悪かったのじゃ」
涙目になっている最高神を横目に、デスクのノートパソコン型神界端末を開き、電源を入れる。
画面が立ち上がるまでの間にマイボトルから温かい緑茶を一口含み、心を静かに整えた。
「ふぅ……」
昨夜の居酒屋でのカオスな光景を思い出し、こめかみを軽く揉む。
『レナエル』という偽名が創世神話の女神と完全一致し、さらに1年のタイムラグによって佐藤くんの改心劇が『奇跡の神託』として語り継がれてしまっていた件。
……まあ、過ぎてしまった事故は仕方がない。
カグランディアでのお忍び旅行は当分控え、神界でのデスクワークに専念すればいいだけの話だ。
現地民の狂信など、私が干渉しなければそのうち熱も冷めるはずである。
ちなみにお忍びだったのにガッツリと崇め奉られた件は、現地の信仰事情を一切説明していなかった最高神の過失となり、特に私へのペナルティもなかった。
「おっはよ〜、レナちゃん! 昨日は楽しかったわねぇ〜!」
ガチャリとドアが開き、ハイテンションな声とともにヴィー先輩が出社してきた。
昨夜あんなに浴びるほどお酒を飲んでいたというのに、相変わらず波打つ金髪とアンニュイな美貌を保っている。……まあ、目の下の深いクマとやさぐれオーラも相変わらずなのだが。
「ヴィー先輩、おはようございます。昨夜はごちそうさまでした。……ですが、タイムラグの件はまだ根に持っていますので」
「ひーっ! 冷たい眼差しが最高にゾクゾクするわね! ……でも見てよこれ、昨日の酒場の噂、もう神界の情報データベースにまで反映され始めてるわよ?」
ヴィー先輩がニヤニヤしながら自分の神界端末の画面をこちらに向けてきた。
そこには、異世界カグランディアの『ヴェルザリア地域・信仰度モニター』というグラフが表示されていた。
なんと、昨日までほぼ平坦だった『秩序の女神レナエル』の信仰度グラフが、昨夜を境に垂直に立ち上がるような急上昇を描いている。
な、なによこれ……きっとデータが狂ったのね。そうよ、狂ったに違いない。
「……見なかったことにします」
「現実逃避ね! 社畜の鑑だわ!」
静かに画面から目を逸らしたその時、壁に設置された神界時計が【9:00】を告げるポーンという澄んだ鈴の音を響かせた。
「――よし、本日の業務を開始いたします」
私が業務開始を口にしたと同時に、執務室の転送魔法陣が黄金色の眩い光を放った。
今日のお客様は、転送魔法陣から現れて椅子に座るなり身を乗り出し、フンスフンスと荒い鼻息を立てている……やる気満々のようね。
「女神様! 私、前世は勉強とバイトに追われるだけの冴えない女子高生だったんです! だから異世界では――悪役令嬢に転生して、断罪イベントも破滅フラグも全回避して、夢の逆ハーレムを築きたいんです!!」
転生希望者の名前は、小林美咲さん、17歳。
端末に表示されたデータによると、死因はテスト勉強中のエナジードリンク過剰摂取による心不全。若さゆえの無理がたたった痛ましい事故である。
「――改めまして、ようこそ神界へお越しくださいました、小林様。案内を担当いたします神楽坂玲奈と申します」
私は完璧な角度の営業スマイルを浮かべ、臨戦態勢へと突入した。
「ネットのまとめサイトで読みました! 悪役令嬢になれば、王太子や側近のイケメンたちから最初は嫌われてても、ギャップ萌えで全員攻略して逆ハーレムルート確定ですよね!? 破滅フラグなんて、前世の乙女ゲーム知識で全部へし折って見せます!」
……出たわね。
ネットの乙女ゲーム知識と悪役令嬢物の小説と転生まとめサイトで知恵をつけた、拗らせタイプだわ。
夢を見るのは勝手だが、現実はそう甘くない。
私は笑顔を一切崩さず、手元の神界端末をカタカタと軽快にブラインドタッチした。
「小林様、事前にご希望いただきました『大公爵家の悪役令嬢』としての転生構成を拝見いたしました。……結論から申し上げますね」
「はいっ! いつ公爵家に生まれ変わって逆ハーレムを謳歌できますか!?」
「小林様の選択ですと、社交界デビュー前に即死ですね。具体的にはストレスによる過労で病死、または暗殺されます」
「……え? そんな冗談言われても、私はめげませんよ!」
小林さんの乙女チックな笑顔がピキリと固まる。
「何を仰っているんですか?」と言わんばかりの表情に、私は手元の端末の画面をスッと彼女の方へ向けた。
「こちらが小林様の『ヴァロワール公爵家悪役令嬢・日常スケジュール表』となります。ご確認ください」
「に、日常スケジュール表……?」
「はい。まず朝は4時に起床。複数人の侍女にコルセットで内臓が潰れそうなほど体型を締め上げられた後、3時間かけてドレスの着付けやメイクなどが行われます。その後朝食は毒殺防止と体型維持のため、冷め切った検食済みの不味いスープのみ。午前中は帝国語・古代神聖語・高等帝王学・社交ダンスのスパルタ教育。午後は他家の令嬢たちとの腹の探り合いが繰り広げられるお茶会で、マウント争いによる精神的な殴り合い。そして夜は三大公爵家との血で血を洗う派閥抗争の夜会に強制出席です」
「えっ……全部イヤなんですけど! そ、それに夜会って、イケメンと踊るキラキラしたパーティじゃ――」
「――そんな滅相もございません。小林様の扇子の開き方一つで『あのヴァロワール家の小娘、我が派閥を愚弄したわね』と陰湿な噂を流され、翌日にはお茶にアコニット――古くから知られる猛毒植物を盛られます。睡眠時間は毎日4時間。破滅フラグ以前に、過酷なマウント合戦と毒殺リスクにより、お伝えしております通り、15歳までに胃潰瘍で病死、または暗殺されます」
「ひっ、胃潰瘍に暗殺ぅ!?」
ようやく冗談でないと理解したのか、ガタガタと震え出す小林さん。
「また、王太子をはじめとする高スペックな男性陣ですが……政治的思惑とドロドロの権力闘争にそれはもう揉まれきって育っているため、全員が重度の人間不信かつ腹黒です。前世が普通の女子高生だった小林様が下手に『ギャップ萌え』を狙おうものなら『ふん、面白い女』ではなく『我が家の秘密を探りにきた間者か』と判断され、翌朝には王宮の掲示板に指名手配の似顔絵が貼られ、その日のうちに影の暗殺部隊に跡形もなく始末されますが?」
「怖すぎるよぉぉ! 乙女ゲームのキラキラ感どこいったの!?」
「ファンタジーと現実の政治力学を混同しないでいただけますか?」
私は冷徹なまでのトーンで言い放ち、あらかじめ用意しておいた『代替適正プラン』の画面を提示した。
「小林様。代わりに、こちらの『平和な地方男爵家の三女プラン』をご提案いたします」
「だ、男爵家の三女……? めっちゃモブじゃないですか……」
「モブとお考えですか? 地方男爵家は政治抗争の圏外につき、暗殺リスクは【0.01%】。広大な敷地で可愛い動物やペットとして飼える温厚な魔物に囲まれ、美味しいパンとチーズを食べ、日当たりの良いテラスで昼寝三昧。実質的に『食いっぱぐれのない永久ニート生活』が保障されておりますが?」
「え、永久ニート生活っ!?」
「さらに、近所の素朴でイケメンな幼馴染の騎士見習いや、たまに訪れる商人見習いの青年から一途に愛される『のんびりスローライフルート』も確定しております。殺伐ドロドロ世界での毒殺・暗殺マウント合戦と、日当たりの良いテラスでのお昼寝付き一途に愛されルート……どちらがお好みでしょうか?」
「後者です! 絶対に男爵家の三女でお願いします!」
目を輝かせ、即答する小林さん。
よし、完璧ね。
人間は、最悪の選択肢を提示されたあとでは、それよりマシな選択肢を実際以上に魅力的に感じるようになる。
心理学でいう『フレーミング効果』や『コントラスト効果』を応用した、実に単純かつ効果的な誘導尋問である。
毒殺と暗殺の地獄を見せたあとに、昼寝と一途な愛を差し出す。これで男爵家の三女を選ばない人間がいるだろうか……いや、いるはずがない。
「賢明なご判断、恐れ入ります。それでは初期パラメーターの調整……完了いたしました。――それでは行ってらっしゃいませ、小林様。お客様の異世界での歩みが、健やかで実りあるものとなりますよう、心よりお祈り申し上げます」
「よかったぁぁぁ! もう毒も暗殺も派閥争いもないんですね! 女神様! あなた様に一生ついていきます! ――あっ、もう一生のお別れでしたね! ありがとうございましたぁぁ!」
光の魔法陣が足元に浮かび上がり、小林さんは満面の笑みを浮かべながら異世界へと旅立っていった。
「……ふう、一仕事完了ね」
私は手元の神界端末で「男爵家三女プラン:成約」のボタンをタップした。
扉の隙間から見守っていたヴィー先輩が、感心したように口笛を鳴らす。
「見事なもんねぇ、レナちゃん。夢見がちな女子高生を傷つけずに、完璧なリスクヘッジで安全なルートに誘導しちゃったわね」
「カスタマーサポートの基本です。顧客の不都合な現実を可視化し、より再現性の高い幸福をご提案したまでですので」
「レナちゃんが順調でお姉さんは安心してワインが飲めるわ〜」
いや、ヴィー先輩も仕事してくださいよ……
上機嫌な様子で部屋から出ていくヴィー先輩の背中に怨念を込めながら、端末の画面に表示された、小林さんの転生先データを何気なくスクロールした。
あの子が転生した『バクーガ男爵領』……確か、美味しい大麦と熟成チーズ、それに麦酒の有名な特産地だったわね。
……平日は自粛するとして、週末のお忍び旅行の行き先は、バクーガ男爵領に決定ね。ヴェルザリアからも遠く離れていることだし、きっと大丈夫でしょう。
極上の搾りたてミルクから作られる熟成チーズと、焼きたての大麦パン。そこに地元の麦酒を合わせたら――想像しただけで、口の中に唾液が広がっていく。
私はふっと口元をゆるめ、完璧な営業スマイルを取り戻すと、次なる転生希望者の対応を開始したのだった。




